- ナノ -



電線で繋がっていた鉄塔はひとつが倒れたのを皮切りにもう一方の鉄塔が倒れてくる。その方向がよろしくなかった。

「わ、わわわぁああああ!!」

此方に向かってゆっくりと、しかし徐々に速度を早めて倒れてくる。悲鳴を上げながら、ナツキは左に向かって跳ねるように逃げた。
鉄塔の崩れる、金属が地面を打ち鳴らすけたたましい音が響き、火の粉が飛び散る。その熱気に手で顔を庇いながら、周囲を見回した。燃え盛る鉄塔の向こう側にレオンとヘレナがいる。

ん……向こう側?

そろりと隣を見た。俺の横にはシェリーとジェイク。そして視線を前に戻す。燃え盛る鉄塔の瓦礫はとても越えられそうにない。もしかしなくとも俺はレオンとヘレナと離ればなれになってしまった。

「クーチェンのクンルンビル!そこでシモンズと落ち合うことになってる!」

燃え盛る炎の音に負けないくらい大きな声でシェリーが叫ぶ。その内容はレオンが知りたがっていた物だ。先程は答えを渋っていたが、シェリー自身思うところがあったのだろう。結局教えることにしたようだ。

レオンが何か叫んでいたが、どん、とすぐ近くで小規模の爆発が起こって、その姿も見えなくなってしまった。炎が広がり他のガスボンベにも引火して、被害が大きくなっている。このままここにいるのは危険だ。それなのにシェリーは中々逃げようとせず、必死に鉄塔の向こう側のレオンを探している。

「お前の英雄さんだろ?無事来るさ」

腕を引き、ジェイクが子供に言い聞かせるように優しく言う。シェリーは暫し鉄塔を見つめていたが、ジェイクの言葉を聞いて目を伏せて頷いた。


危険な場所から離れてから「そういえば」とシェリーが怪訝な顔で此方を振り返る。

「レオンと一緒にいたけど……貴方は誰なの?私はシェリー」

ウスタナクの乱入ですっかり忘れていたが、挨拶もまだだった。レオンと一緒にいたから敵だとは思われてはいないだろうが、シェリーからすれば初対面だし怪しさ満点なのは間違いない。

足を止めてシェリーとジェイクがナツキに向き直った。

「……俺はナツキ。トールオークスでレオンに助けられた一般人です」

「一般人?エージェントでもないの?」

「まぁ……ちょっと色々あって……レオンと一緒にいるんです。でもちゃんと戦えるんで心配しないでください」

だから、置いていかないでください、と付け足す。こんな所で二人に置いていかれたら、生きていける自信がない。敵はともかくとして、迷子的な意味で。

「……んな顔してるヤツを置いていけるかよ」

ぽん、と頭に大きな手が乗せられて、わしゃわしゃと髪をかき混ぜられる。おずおずと顔を上げるとジェイクが優しく笑っていた。強面には似合わぬその笑顔に何故だか涙が浮かんだ。最近涙腺が弱くて、こんなことでさえすぐ泣いてしまう。

「ぉ、おい、どうしたんだよ!?」

「ぅ……す、すいません……何でもないんです。ただのしょっぱい汁ですぅ……」

──世間一般的にそれを涙というのだが。ジェイクとシェリーの内心はともかく、俺は服の袖口で強引に涙を拭う。

クリスといい、レオンといい、彼らもそうだけどこの世界の人達はどうしてこんなにも優しいのだろう。得体の知れない俺に笑顔を向けてくれる。それだけで嬉しくて胸がいっぱいだ。

「へへへ……二人ともよろしくお願いします!」

よろしくと二人が笑って、俺は嬉しくてもっと笑顔になれた。





コンテナが詰まれた物置のような空間の隅に、小さな穴が空いていた。元々の使用用途は不明だが、かなり深い穴のようだ。

「え?ここから行くの?」

うっすらと底は見えるが飛び降りるには少々高すぎる。それに梯子やロープのような物は何もない。シェリーもジェイクも当然の様にここから行こうとしているけれど、普通の人はこんな高さから飛び降りたら無傷ではいられないと思うのだが。

「何だ、怖いのか?」

戸惑う俺にジェイクが意地悪く笑う。

怖いか怖くないかで言うならば勿論怖い。ウロボロスで強化された身体ならばこの高さくらい、なんて事はない……筈だ。たぶん、恐らく、きっと。自信はない。下手をすれば複雑骨折とか、打ち所悪くて内臓破裂とか──そこまで想像して、ナツキは考えることを放棄した。これ以上はグロテスク過ぎてダメだ。

「?……先行ってるわよ」

ナツキとジェイクを放置して、シェリーが真っ先に飛び降りて行く。躊躇など一切ない。自分よりもずっと男前なその姿にナツキは感心した。

こうなったらナツキも尻込みしている訳にもいかない。ほら、とジェイクに背中を押されて、ナツキは渋りつつも穴に近づいた。やっぱり穴は深い。

「……行かなきゃダメですか?」

「ここで留守番でもしてるか?……迎えに来ないけどな」

「デスヨネー……はぁ……」

重苦しいため息を吐き出して、深呼吸をひとつ。いつまでもこんな所で油を売っている暇もない。腹をくくってナツキは穴を睨み付けた。

「えいっ!ちょっ、ぁ、つまず、う"っ……ぎぁああああああああああ!!!!」

元気よく掛け声を上げて穴に向かうまでは良かったのだが、穴に飛び込む一歩手前で窪みに足をとられ、躓いたナツキは穴の縁で顔を打って妙な体勢のまま落ちていった。 その一部始終を見ていたジェイクは呆れたように呟く。

「──おいおい、大丈夫かよ……あいつ」

ああああああ──とエコーを響かせながら、ナツキは落下していた。深い穴とはいえ落ちればすぐ底に辿り着く。妙な姿勢のままで。

「あああぁああうぐぇぇえっふぅっ!?」

胸から落ちて、ナツキは呻く。胸を強打して痛みのあまりにごろごろと左右に転がる。じっとしていられるような痛みじゃない。

え、何この人怖い。そんな感情がありありと浮かぶシェリーの目線が痛い。出来ればちょっとくらい心配してほしかったんだけれども。

後から降りてきたジェイクが軽やかに着地すると、地面に転がるナツキを見て呆れ混じりの笑みを浮かべながらも助け起こしてくれた。

「お前ドジだな、あんなところで躓くなんて……くくっ」

ナツキのダサい転げっぷりを思い出したのか、ジェイクは吹き出す。助け起こしてくれる優しさは嬉しいが間違いなくバカにされている。膨れっ面をして、そっぽを向いた。隣でまだジェイクが笑っている気配がする。

「そう拗ねんなよ。大怪我しなくて何よりだ」

「……わっ!?」

無視したら、わしゃわしゃと頭をかき混ぜられた。乱れた髪がぴょこぴょこと跳ねる。その荒っぽさはクリスを彷彿させて、ナツキはほんの少しセンチメンタルな気持ちになった。

「まあ……頑丈さには自信があるから……」

細やかなナツキの怒りはどこかに消え去って、俯いたままぼそぼそと呟く。実際、痛みはもう殆ど引いていた。何となく気まずい様な空気になって、三人は何も言わないまま先に進み始めた。

薄暗い通路を青白い蛍光灯が照らしている。静かな通路に足音だけが反響していた。突き当たりの扉を開けて外に出る。大きな河川が目の前に広がり、その向こう岸には赤やピンクの色鮮やかなネオンが眩く光っていた。

「あの河口の先がクーチェンよ」

デバイスで地図を確認しながら、シェリーが目映く光る街の先を指す。目的地に向かうには河を渡る必要がありそうだ。

急ごうぜ、とやる気のあるジェイクとは対称的に、シェリーはどこか憂いを帯びた表情を浮かべていた。どうも先程のレオンの言葉を気にしているらしい。自分の上司が事件の犯人だと命の恩人に言われたら、戸惑うのも無理もない。

「びびんな。会えばわかる」

「……まあ、気持ちの問題だしね。俺としてはレオンを信じてほしいけど……」

「うん……」

シェリーは俺とジェイクを交互に見やり、小さく頷いた。



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