走って、跳ねて。どれ程進んだろうか。
背後から迫り来る崩落が恐ろしい。延々と続きそうな障害物競争にもやがて終わりが来た。
突き当たりに古びた神殿の入り口があり、三人はその中に駆け込む。ここなら崩壊することもないだろう。と思っていたが、鈍い地響きは止まない。気を休める暇もなく、神殿内に一歩踏み出した瞬間に壁が割れ、頭上から大量の水が降り注ぐ。
「うわぁっ!?」
止まることのない水は勢いを増し、三人を巻き込んで流れていく。口を閉じ、息を止めて、身を堅くした。ウォータースライダーのように激しい水流にどんどんと下へと押し流される。岩肌のせいで少々尻が痛い。
距離にして二、三十メートル程だろうか。突然ウォータースライダーが途切れて、宙に投げ出された。と、その三秒後には水面に叩きつけられる。どぷんと冷たい水の中に勢いよく沈められて、驚いたせいで口から気泡が漏れた。すぐに息を止めて周囲を確認する。見えづらい視界の中で二人を見つけて着いていく。今度は水に沈んだ遺跡を進まなければならないらしい。
生まれてこの方泳いだことなんて一度もないが、泳ぎ方くらいは一応知識として頭には入っていた。最低限の知識に水泳を入れてくれたウェスカーには感謝しなければ。
手で水をかいて水中を進む。
途中、天井に空いた穴の僅かな隙間で酸素を補給して、何とか溺死は免れた。深呼吸をして酸素を肺に行き渡らせる。
「はぁ……疲れた」
「そうね……」
俺の言葉にヘレナさんが同意した。レオンさんは何も言わなかったが、その顔は少々草臥れている。暫しその場で三人で身を寄せ合って呼吸を整えていたら、足元を何かが掠めた。
「ん?」
「どうかしたか?」
「今何か足に当たったような気がして……気のせいかな?」
植物も生えていたし、浮遊物も多い。葉っぱでも掠めたのだろうと検討付けて「そろそろ行く?」と声をかけた。身体も冷えるし出来ることなら早く水から上がりたい。
「っ!?」
呑気にそんなことを考えていたら、突然足に激痛が走り水の中に引き込まれた。巨大な鮫のような生き物──ブルザクがナツキの足を食いちぎらん勢いで噛みついている。ブルザクの動きに沿って水が赤く濁り線を描く。
急な出来事に折角補給した酸素も吐き出してしまった。声も出せぬまま、どうすることも出来ずにただもがく。なけなしの酸素さえも口端から漏れて無くなった。もう息を止め続けるのは無理だ。
ごぽり。酸素の無くなった身体に水が入り込む。霞んだ視界の中でレオンさんが何かを振り上げているのが見えた。
ぎゃああああおぉお──
鋭い悲鳴と共にナツキはブルザクの口から解放されて激流と共に吹っ飛ばされた。訳もわからないままはね飛ばされて、地面に叩きつけられる。
「ぅっ……げほっ……」
今度こそ死んだと思ったが、悪運はまあまあ強かったらしい。全身は絶望的に痛いけれども。
少し飲み込んでしまった水を噎せるように吐き出しながら、ナツキは辺りを見回した。また別の空間に出たようだ。一体この遺跡はどこまで続いているのだろう。無事に脱出出来るのかも不安になってくる。
「レオン!気をつけて!ヤツが近くにいるかも!」
運悪くレオンさんだけ水に落ちてしまっていた。水中はブルザクの庭だ。このままだとさっきの俺みたいにがぶり、とイカれかねない。
「──っい……」
立ち上がろうとしたが、右足の激痛に蹲る。履いていたジーンズに牙の数だけ穴が空き、青は赤黒く変色していた。目を背けたくなる程の大怪我ではあるが、少し放っておけば治る筈だ。多分、恐らく、きっと。
「二人とも!援護してくれ!」
遠くから聞こえた声に俺は顔を上げた。レオンさんの背後に大口を開けたブルザクが迫っている。滅多に来ない食事にありつこうとしぶとく俺達を狙っているようだ。
「ナツキは怪我してるんだから無理しないで!援護は私がするわ!」
ハンドガンに手を伸ばし、援護をしようとしたがヘレナさんに止められた。確かにこの怪我ではとても良い援護等出来やしない。
言葉に甘えてナツキは一先ず傷口を手で押さえて止血を試みる。みるみるうちに手が赤く染まり、地面にも血が伝った。
「……治れ〜なお〜れ〜なおれっ!」
小さな声で呪文のように"治れ"を繰り返す。正直これで治るとは思っていなかったのだが、予想に反してじわり、と傷口が熱を持つ。新陳代謝が盛んになり、傷が治癒していくのを感じた。
手の下でどうなっているのか気にはなったが、とても見る勇気は出なかった。見てしまったら自分が"バケモノ"だってまた再確認させられるから。
「ナツキ、こっちに来れそう?」
「あっ!はい!もう大丈夫そうです!」
傷跡さえ残さずに完治した所でヘレナさんが遠くから声を掛けてきた。返事をしてナツキはゆっくりと立ち上がる。足にこれといった違和感はない。走っても大丈夫そうだったが、あんな怪我をした後だ。怪しまれたくない。少し速く歩く程度に留めた。
「お待たせしました。レオンさん無事で良かった」
「いや、俺よりナツキだろう?傷は大丈夫か?」
「大丈夫です。俺、普通じゃないんで」
へらりと笑って誤魔化す。ナツキの言葉に二人は不思議そうな顔をしたが、何も言わずに笑顔で黙殺した。
「とりあえず」とレオンさんは背後にあった壊れた鉄柵に手を掛けた。奥にはまだ道が続いているようだが、レオンさん一人では厳しそうだ。協力しようと鉄柵を動かそうとしたが俺の細やかな力ではびくともしない。
それでも何とか動かして、僅かに出来た隙間に俺とヘレナさんは身体を滑り込ませた。後はレオンさんだけだ。隙間を維持しようと反対側から持ち上げるがやはり重い。
「レオンッ!」
ヘレナさんが叫ぶ。鉄格子のその向こう、レオンさんの背後に大口を開けたブルザクが飛び掛かってくるところだった。俺の前にいるレオンさんに向かってくるという事は必然的に俺も危ない訳で。あ、ヤバいぞ、と気付いた時にはヘレナさんに手を引かれて後ろに倒れこんでいた。
ばしゃん──再び身体が水に沈み、頭上を弾けとんだ鉄格子とブルザクが通りすぎていく。落下、打撲に続いて今度は水難だ。不運には事欠かない。全く嬉しくないけれど。
ウォータースライダーの如く流されながら、ため息ひとつ。
「ナツキ!気を付けろ来るぞ!」
流水の音に負けないくらいの声でレオンさんが叫んだ。あたふたとしながらズボンのベルトに捩じ込んでいたハンドガンを引っ張りだして構えた。
だが、この水流の激しさと体勢の悪さで上手く狙いを付けれない。むむむと眉間にシワを寄せてブルザクを睨む。弾を無駄にするのは出来ることなら避けたい。
そうこう考えていたらブルザクが噛み付こうと大きな口を開けて迫ってくる。口の中に赤く発光する舌らしき触手が見えた。
(あれだ)
今までの経験からそれが弱点だと察し、そこから狙いを付けて引き金を引くのに時間は掛からなかった。迫りくるブルザクが弱点を射ぬかれて怯み、失速する。
「やるわね、ナツキ!」
「こういうのは得意なんで!」
油断ならない状況ではあるが褒められて悪い気はしない。へへ、なんて笑って鼻を擦る。シェバにもこんな感じで褒められたな、と思い出した。
懲りずに喰らおうとブルザクが大口を開ける。
「アレを撃て!」
レオンさんが指したのは今しがた流れてきた火薬のマークが描かれた小樽だ。何でこんなところに樽がとか絶対湿気ってるだろとか突っ込むのは野暮なのだろう。
火薬樽が丁度ブルザクの口許に転がったタイミングでナツキは撃ちぬいた。ずどんと激しい爆発が起こって、黒煙が立ち込める。暫くの間また来るのではとヒヤヒヤしていたが杞憂に終わり、煙が晴れた時にはブルザクの姿はもうそこにはなかった。
長かった戦いもようやっと終わりだ。良かった、と胸を撫で下ろすと同時にウォータースライダーが途切れて身体が宙を舞う。
「息を止めろ!」
鋭く飛ばされた指示に、ナツキは息を止めて目を堅く瞑った。どぷん、と身体が水に沈む。水深があるお陰で怪我もない。後はここが安全であれば文句なしだ。
「よし、ナツキもいるな」
水面に顔を出すと夜空が見えた。澄んだ空気が肺を満たす。周囲は静かでゾンビの気配もない。安堵の吐息を漏らして俺達は岸辺に上がった。
──と、頭上に戦闘機が二機飛び去った。数分もしないうちにその方角が赤く染まる。嫌な色だった。
「滅菌作戦……」
「それって……?」
「街を爆撃したのさ。B.O.W.もろともヤツはこれで証拠を全て消し去った……」
ゾンビの襲撃を免れて生きている人がいたとしても、あの教会の人達も、全て無かったことにされた。非道過ぎるその作戦に怒りが滲む。痛いくらいに手を握りしめて赤い空を見つめた。
「──ハニガン?」
二人が同時に耳元の通信機を押さえた。ずっと不通だった向こう側から通信が入ったらしい。ナツキには聞こえないが二人の深刻そうな表情から察するに、あまり良い内容では無さそうだ。
聞き耳を立てるのも悪い気がして俺はさりげなく二人から離れて、静かな水面に意識を向けた。それでもやっぱり声は自然と耳に入ってくる。
「──俺達二人を死んだことに出来るか?」
「え?」
思わず、振り返る。レオンさんは真剣な表情だった。咎めるようなヘレナさんの言葉を振り切ってレオンさんはただ一言告げる。
──中国へ乗り込む。
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