- ナノ -



「は、ぁいいいいいいいいいい!??」

本日数度目の浮遊感にナツキは絶叫する。こんなに何度も落ちれば慣れ──る訳もなく、毎度の事ながら受け身もとれず、びたんと胸を打ち付けた。衝撃に息が詰まり、噎せるように咳をする。埃っぽい臭いが呼吸の度に鼻を掠めた。

ざらついた地面に手をついて、ノロノロと身体を起こす。

「……ここ、どこ……?」

「ロストワールドへようこそ、だな」

地下とは思えないだだっ広い空間が広がっている。僅かな足場の向こう側は底も見えぬ常闇だ。ついうっかり躓きでもすれば一巻の終わりである。最悪の想像をして震え上がり、ナツキは絶対に真ん中を進むと誓った。

ここも前の場所と同じく遺跡のようだ。ただ年代はこちらの方が幾らか古そうには見える。人の手で造られたであろうアーチ状の建築物は所々が崩れて、原型を留めていない。申し訳程度に取り付けられた木の柵も古びており、触れただけで一部が欠けた。これでは本来の落下を防ぐ能力は無に等しいし、足場の強度も不安だ。

ロストワールドでもゾンビは健在でふらふらと意味もなく行ったり来たりを繰り返していた。上のゾンビも大概だったが此方のゾンビは更に酷く、肉は腐り落ちてほぼ骨のみ。辛うじて残った腐肉が酷い悪臭を放っている。

突き刺ような激臭に鼻を手で押さえつつ、片手で銃を撃つ。それが不味かった。一歩前に踏み出した瞬間、足場がぱきりと割れた。

「のぉおおおあ!!!?」

「ナツキッ!?」

反射的に淵を掴んだのは褒めてほしい。ヘレナさんが引き上げてくれて事なきを得たが、心臓が暴れまくっている。胸を押さえて深呼吸をした。

クリスとシェバに会うまでは死ねない。会えるかどうかも分からないけれど、はいそうですかと諦めきれる程俺は物分かりは良くない。

ようよう落ち着いてきた鼓動に吐息を漏らして、少し先に進んでいる二人の背中を追いかけた。

「何で立ち止まって──……ってうわ……」

何故か進まず立ち往生している二人の視線の先に吊り橋とその向こうで太りまくったゾンビ──ウーバーが待ち構えている。吊り橋は年季が入ったオンボロだ。あんなドラム缶三個分の体型のおデブが暴れようものなら一瞬で仲良く奈落の底に転落するだろう。

もう少し頑強な橋だったなら強行突破もできたかもしれないが、この橋では自殺行為だ。さてどうしよう、と三人で顔を見合わせた。

「レオンさん、あのゾンビ……狙撃できませんか?」

「……やっぱりそれしかないか。やってみよう」

気づかれないように柱の影に隠れながら、レオンさんがウーバーをライフルで狙撃する。命中はした。だが、ウーバーの耐久力は凄まじく、膝小僧をカチ割ったくらいでは足止めにはならないようで鈍い足音を響かせながら吊り橋に踏み込もうとしている。

「あぁ、クソ……不味いぞ……」

もう一度レオンさんがライフルの引き金を引いた。もう一方の膝から血が噴き出して、ウーバーの身体が危なげに揺れる。「あ」と声を上げたのは誰だったか。

バランスを崩したウーバーがふらりと倒れて、そのまま吸い込まれるように谷底へと消えた。何だか可愛そうな退場にナツキは心の中で合掌しておいた。

吊り橋崩落の危険がなくなった所で、恐る恐ると爪先を乗せる。

ギシ……──

嫌な軋みに冷や汗が米神を伝った。張られたロープを握り締めて、すでにガクガクの足腰を必死の思いで動かす。下を見てはいけないと思いつつも自然と視線が落ちて、板の隙間の奈落とこんにちは。帰りたいゲージはもうすでにマックス通り越している。……帰る場所なんてないけれど。

「ほら、ナツキ。手を掴め」

「あ、ありがとうございますぅぅ〜!!!」

生まれたての子鹿以下の足腰になっている俺にレオンさんが手を差しのべてくれた。貴方が神か……とレオンさんの手を握り──そして後悔した。

「ぶっ──!?」

行くぞ、と言うや否やレオンさんは全力でダッシュしていた。その勢いの反動で恐ろしく揺れる足元。手を握られているせいで止まるに止まれず……というか逆に止まる方が怖いまである。

危なっかしげに揺れる吊り橋の上、ナツキは泣いていた。そんな体験を数度繰り返してナツキは誓う。

もう二度とレオンさんの手は掴まない、と。





人が身の丈以上の大岩を押せるのかという疑問について、ナツキはその答えを知っている。答えはイエスだ。とはいえ、万人がそれを出来るとは思えない。あれは身体を鍛えていたクリスだから出来る訳であって、普通の人はまず不可能だと思う。

不可能──の筈なのだが。

道を塞ぐ大岩を簡単に押し転がしたレオンさんとヘレナさんを見て自分がおかしいのかと考え始める。この世界の人達は大岩を転がせるのが普通……?

いや、そんなわけないだろ、と自答しつつ、障害物の無くなった細い道のど真ん中を歩く。落ちたらどうしようなんて不安は杞憂に終わり、クランクハンドルが両脇につけられた跳ね橋を見つけた。二人でクランクを回せば橋が下ろせる仕組みになっているようだ。

片方はレオンさんに任せて、もう一方を俺が掴む。「よいしょ」なんて年寄り臭い掛け声と共に腕に力を入れた時、視界の端を何かが通り過ぎた。

「ん?」

かつんと足元で何かが跳ねる。先端でぱちぱちと火が弾けている赤い筒がナツキのすぐそばに転がっていた。

暫し硬直。さぁーっと顔から血の気が引いていく。

「のぉおぉわぁあああああ!!!」

もしかして:ダイナマイト──理解すると同時にナツキは筒を蹴り飛ばす。カンマ一秒、ずどんと爆発。その余波で足元が崩れて傾き、そのまま転がるように転落した。

「げふっ……」

俺が情けない転げ落ち方をしている横でレオンさんとヘレナさんは百点満点の着地をしていて擦り傷ひとつない。

「ナツキ!モタモタするな!崩れるぞ!」

「ちょ……まっ……!!」

ひとつが壊れてバランスを失った足場が端から崩落を始めていた。息をつく暇もない。跳ねるように身体を起こし、浅い呼吸をしながら走り出す。

道中にゾンビもいたが、相手にするだけ時間の無駄だ。レオンさんの動きを見様見真似でゾンビの横をすり抜けてかわした。何度か掴まれそうになって冷や汗が吹き出たがギリギリで何とかなっている。が、この状態がいつまでも続くのは身体的にキツイ。確実に二人との距離は離れているし、喉の奥もひりひりと痛みだした。

(死ねないんだってば……!)

地面を力強く蹴って、途切れた足場を飛び越えて、まだ走り続ける。喘ぐように酸素を補給して汗ばんだ手を握りしめた。もう少し、もう少し、と自分に言い聞かせて、走るも徐々に疲労は蓄積する。

「っわ……!?」

足が縺れて身体が傾いた。同時に足元も崩壊する。悪い事には悪い事が続く。腕を伸ばすも指先は空を切り、重力がナツキの身体を引っ張った。

こんなところで死ねないって思ってたのに──離れていく崖をただ呆然と見つめて、漠然と終わりを感じた。涙さえも流れなかった。


落ちていく。


堕ちていく。


闇におちていく。


「ナツキッ!!」

「れ、レオンさん……!」

間一髪だった。レオンさんが腕を精一杯伸ばしてギリギリの所で引き留めていた。助かった、とその瞬間は安堵したものの状況は悪い。足場の崩壊はここまで到達していないだけで続いている。下手をすれば俺だけでなく、レオンさんまでもが崩落に巻き込まれて死んでしまう。それは俺にとってかなり不本意だ。

背後から近付いてくる音はまるで死神の足音のようで。

「レオンさんまで巻き込まれる……俺のことは──」

「何言ってるんだ!絶対に引き上げてやる!ナツキもここから脱出するんだ!」

「……レオンさん……」

弱音を吐く俺を叱咤し、レオンさんは必死に引き上げようとする。こんなに頑張ってくれているのに、俺が諦めていたら意味がない。歯を食い縛り、宙ぶらりんになっていた片手を岩壁に掛けた。

「うぉおおお!!」

全身に力を入れて、火事場の馬鹿力を発揮する。レオンさんの瞳にギラギラと光る赤い目が映ったけれど、そんなことを気にしている余裕なんてない。
強引に壁を鷲掴み、爪が剥がれるのも気にせず身体を上へと持ち上げた。レオンさんの力も相まって、何とか崩落が来るよりも前に崖から上がる。

「二人とも急いで!」

礼を言う暇もなく、ナツキ達は走った。




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