- ナノ -



唐突だけど俺は死んだ。
正確には死んだ、筈だった。

ウェスカーと共に溶岩の海に沈み、I'll be back……ってそんなカッコよく死んだ訳じゃないけれども。うん、とりあえず死んだのだ。

その筈なのに──

「いき、てる……?」

寝転がった状態でナツキは呆然と呟いた。両手で自分の頬を触る。ああ、手が冷たくて気持ちいい──じゃなくって!

勢いよく身体を起こして、辺りをキョロキョロと見回した。夜の闇が周囲を包み、月明かりだけが微かに足元を照らしている。特に目立った物は何もないが、肉の腐ったような酸っぱい臭いが鼻に付く。付近で犬だか猫だかの死体が腐っているのかもしれない。

ここでじっとしていても埒が明かない。あまり気乗りはしないが、移動すべきだろう。そう考えてナツキはのそのそと立ち上がり、衣服の埃を払った。

「マジでどこ……ここ……」

生暖かい空気に身震いして、何とはなしに腰元に手を伸ばして空ぶった。何も掴めなかった事に一瞬呆けたが、銃も何もかもあの日落としてしまったのを思い出す。

目を閉じるとあの日の思い出が瞼の裏に浮かぶ。クリスとシェバ、それにジョッシュ、ジルさん──他にも死んでいった人達。懐かしむように目を細めて、寂しさを感じて視線を落とした。

──うぅぅ……。

暗がりから呻き声が聞こえて、ビクッと肩が跳ねた。闇夜が余計に恐怖を煽ってくる。めちゃくちゃに怖いが、もしかしたら怪我をした人かもしれないし確認くらいはした方がよさそうだ。

おっかなびっくりしながら、声の聞こえた方に足を動かした。突き当たりからよたよたと覚束ない足取りの何者かが近付いてくる。それと同時につんとした腐敗臭が鼻先を掠めた。

「──え」

近付いてきたのは人間だ。しかし、その様相は人とは言い難い程に異様だった。皮膚はどす黒く変色し、頬の肉は爛れて顎先でぶら下がっている。腹から溢れ落ちているのは腸……だろうか。

想像の斜め上の化け物の出現に喉が引きつった。思わず、後退る。

「え?え?なになになになになに!?」

一歩近づいてくる度に一歩下がる。得たいの知れない生き物との遭遇に全身から汗が止まらない。少なくとも対話は出来そうにないし、平和的な生き物では無いことは確実だ。

「ぅう、うぅ……」

背後からまた別の呻き声が聞こえて、耳の横からにゅ、とどす黒い腕が伸びた。背筋がぞわっと粟立つ。

「ひぎゃぁぁぁぁああああああ!!!!」

そこいら一帯に響き渡るほどの悲鳴を上げながら、反射的に耳の横から伸びた腕を掴み背負い投げる。目の前にいた"それ"を巻き込んでべきょ、と嫌な音をたてて"それ"は逆くの字に曲がって腕は肩からもげた。右手に残った腕を見つめてナツキは呆然とする。

──いや、これ何?

熟れに熟れた皮膚はずる剥けてるし、髪の毛はみそっかすくらいにしかないし。とにかく気味の悪いことこの上ない。マジニとはまた違った怖さがある。

腕をその場に投げ捨ててナツキは服の裾でぬるついた手を拭った。

クリスとシェバと一緒に戦っていたお陰でそれなりに精神力はついたが、やっぱり怖いものは怖い。倒したと思ったのにずるずると地を這い出した"それ"にナツキは跳ねるように退いた。

「な、な……マジでなにこれぇえぇええええ!!!」

ひええ、と悲鳴を上げて、今度こそナツキは背を向けてその場から逃げ出した。せめてハンドガンさえあれば対抗くらいは出来たろうが、今は持たざるものだ。

あぁ、もう最悪だ。誰か助けて。

目尻に涙を浮かべながら、訳もわからないままがむしゃらに走る。こんな時にクリスとシェバがいてくれれば心強いのに、なんて。彼らの顔を思い出したらもっと泣きそうになった。

ガッ──

脇目もふらずにダッシュしていたから足元が疎かになっていた。石畳の凹凸に爪先を引っ掛けて身体が前のめりになる。

「ぎゃひぃいいいっ!!!ぐへぇ!?」

勢いもあったせいで顔面から全力のスライディングを決めてしまって、顔がずる剥けた。痛い。とにかく痛い。あまりの痛みに顔を押さえてごろごろと地面を転がり悶えた。

石畳×スライディング、ダメ絶対。

「お、おい、君大丈夫か?」

ぴえええと泣いていたら、突然声を掛けられてナツキは勢いよく顔を上げた。茶髪の男性が心配そうに此方を見下ろしている。心なしか引いているようにも見えたが。

歳は三十代くらいだろうか。渋めのイケメンだ。

ようやっと言葉の通じる人と出会えて、痛みからではない涙がほろりと溢れた。

「大丈夫か?どこか痛むのか?」

そんな声かけと共に背中を優しく撫でてくれた。子供をあやすようにぽんぽんと背中を撫でられてナツキは落ち着きを取り戻す。

「あ!大丈夫です!俺、頑丈なんで!」

袖口で涙を拭い、へらりと男に笑う。ナツキの笑顔を見て、男もつられて笑みを浮かべた。

あらやだ、イケメン紳士。惚れそう。俺、男だけども。

大分余裕が出てきてどうでもいいことを考えつつ、差し出された手をありがたく掴んで立ち上がった。

「俺はレオン・ケネディだ。君は?」

「俺はナツキって言います」

男──レオンさんに倣って、ナツキも自己紹介をする。互いの呼び名がわかった所で、背後から忍び寄る奴らの気配を感じた。

「安心しろ。俺が護ってやるさ」

ナツキの強張った顔を見て、レオンさんが安心させるように微笑む。あらやだ、イケメn(以下略)

さぁ、行くぞ。とレオンさん。小さく頷いてナツキはその背中を追いかけた。もっと早く動けるだろうにわざわざナツキに歩調を合わせてくれているあたり気遣いの神だ。

「ところで……あの腐った人みたいなのっていったい何なんですか?」

「何ってゾンビさ。ラクーンと同じだ」

ん?ラクーンって何のこと?と新たな疑問が湧いたのは置いといて、ナツキの問い掛けは世間知らずな物だったらしい。レオンさんの顔を見るとそれが窺い知れた。ゾンビがそんなにポピュラーなだったとは知らなかった。

ふぅん、と相槌を打つ。

「C-ウイルス……それに感染するとゾンビになるんだ」

ウロボロス以外にもそんなウイルスがあったなんて恐ろしい。会話をしながら走り続けていると角から女性が飛び出してきた。武装をしたミディアムヘアの女性だ。

「ヘレナ!」

「レオン!無事だったのね!」

名前を呼びあっているところをみるに、どうやら知り合いらしい。女性──ヘレナさんは安堵したように息を吐き出してから、ナツキに気づいて不思議そうな顔をした。

「レオン、その子は?」

「ついさっき見つけた生存者だ。安全な所まで連れていくつもりだ」

「そうなのね。わかったわ」

言葉を交わすその姿がかつてのクリスとシェバの姿と重なった。二人は今どうしているんだろう、なんて。ちょっぴりブルーな気持ちになっていたら、ヘレナさんと目があった。

「あ、どうも、ナツキです。えっと……ヘレナさん?」

「えぇ。ヘレナ・ハーバーよ。よろしく」

挨拶もそこそこに先へと進む。
石畳のなだらかな坂道を駆け上がると大きな教会があった。年季が入ってはいるがしっかりとした造りの建物だ。どうやら二人は此処に用があるらしい。

少し前から降りだした雨が次第に強くなってきて、衣服を湿らせる。湿気た髪が顔に張り付いて気持ちが悪い。

建物の正面に取り付けられた三メートルはありそうな大きな扉をヘレナさんが力強くノックした。暫く中からの応答を待ったが、反応がない。

「誰か居るんでしょ!?ここを開けて!」

今度は呼び掛けと共に、もう一度扉を叩く。

「冗談じゃない!開けたらゾンビが入ってくる!!」

やや間あって、中から男性の怒鳴り声が聞こえてきた。気が立っているのか、交渉の余地もなさそうだ。確かに無力な一般市民からすれば下手に扉を開けてゾンビが入ってくるのは怖いし、嫌だろう。とはいえ、生存者を見捨てるのはどうかと思うのだが。

「今なら大丈夫だ!早く!」

「適当言ってんじゃねぇ!奴らの声が聞こえるぜ!」

レオンさんの嘘もあっさりと見抜かれて、一蹴される。ゾンビも近づいてきているし、中には入れて貰えそうにない。「あぁ、もう」とヘレナさんがうんざりとしたように悪態をついて銃を構えた。

「わかったわよ!こいつらを片付ければいいんでしょ!」

ぞろぞろと群を成してやってくる奴らに向き直る。素手でやるのは気が乗らないけれども、こんな状況なら致し方ない。逸る鼓動を深呼吸で落ち着けて敵を見据えた。

雨足が強くなり、落雷が瞬く。その合図と共に三人は戦闘を開始した。

タン、タン、と銃声が響く。乾いた破裂音が記憶の中にある音と重なった。懐かしくて、あの日に戻ったんじゃないかと錯覚しそうになる。

「ポール!誰か来たんだろう!?何故開けない!?」

「"奴ら"も一緒なんだよ!開けたらついて来ちまうだろ!?」

扉の奥から言い争う声が聞こえてきた。中にはまだ複数の生存者がいるようだ。正直こんな状況になる前にすっと入れてくれればよかったのに。今更文句を言っても仕方がないが絶っ対、悪手だった。俺でもわかる。

二人の攻撃をすり抜けて近付いてきたゾンビの頭を蹴り飛ばす。

中々死なない渋とさはあるが、マジニほど俊敏ではないし戦闘能力が素人レベルのナツキでも十分戦える。それにウロボロスの力──強化された筋力のお陰で少し力を入れて蹴りつけただけでゾンビがふっ飛んでいく。

不本意だけど、今はその力に助けられた。

数分が経過したろうか。敵の数もかなり減った。これなら、もうそろそろ中に入れてくれたっていいと思うんだけど、と考えていた時だ。唐突に教会の鐘の音が鳴り響いた。

「うわっ!?」

周囲一帯に響き渡る轟音にナツキは驚き、目を丸くする。

「こんな時に鐘が……!冗談でしょ!?」

「不味い、奴らが集まってくるぞ!ナツキは下がっているんだ!」

「平気!俺も戦えるよ!」

庇ってくれようとするのは嬉しいけど、指を咥えてみているだけなんて嫌だ。力があるんだから、それを利用しない手はない。

流石にウェスカーみたいな、もの凄い体術は使えないけれども。

「……わかった!無理するなよ!」

「了解!」

レオンさんは少し渋った様子だったが、最終的には頷いてくれた。戦闘許可も取れた。指の骨をぽきぽきと鳴らして解し、ナツキはにまりと笑みを浮かべる。

調子にのって、さあ戦おうとやる気を出したその瞬間──ゾンビの隙間を縫って筋肉を剥き出しにしたような人型の生き物が体液を撒き散らしながら飛びかかってきた。

「ひえっ!?」

跳ねるようにして素早く右に逸れる。真横を通り過ぎた赤い肉体に身体を震わせて凝視した。目標を失い、無防備に地面に張り付いて、ぴくぴくと筋肉質な肉体が痙攣を繰り返している。めちゃくちゃに気持ち悪いが今が攻撃のチャンスだ。

えい!と掛け声と共に思い切りそれ──ブラッドショットを踏みつけた。

ぐちゃっ──

予想以上に力を込めすぎたらしい。肉どころか骨まで砕け、ブラッドショットの胸部に靴型の穴があいた。反射的にレオンさんとヘレナさんの反応を窺ってしまったが、二人ともゾンビを倒すのに必死で此方には目もくれていない。その事にほっと安堵して、ナツキは近付いてきたゾンビを今度は力をセーブしながら蹴り飛ばした。





ぱりん、と頭上で何かが割れる音がした──と同時に降り注ぐガラス片にナツキは慌ててその場から退いた。頬を掠めたガラス片が一筋の赤い線を作る。

血が滴り落ちる前にジャケットの袖口で拭って、教会を見上げると二階の窓から男の人がライフルを構えていた。

「手を貸すぜ!一気に片付けよう!」

どうやら援護してくれるらしい。が、窓ガラスを割るときは下に人がいないか確認してからにしてほしかった。味方の不意打ちで死ぬなんて笑い話にもならない。

「ポール!今のうちだ!鍵を開けろ!」

やっと受け入れてくれる気になったようで、教会の中でバリケードを動かす物音が聞こえてくる。レオンさんが小さな声で「腰抜けだけじゃないんだな」なんて呟いていた。

援護のお陰もあり、ゾンビの数もかなり減っている。後もう一踏ん張りで削りきれそうだ。仲間の心強さを噛み締めながら「よし!」と声を出して気合いを入れた。

両手を伸ばして食らい付こうとしてくるゾンビを蹴り飛ばし、地を這うゾンビは踏み潰す。

「鍵を開けたぞ!早く入ってくれ!」

人が一人通れそうな隙間から男が叫んでいる。その声にナツキは即座に駆け寄った。レオンさんは最後まで銃を撃ち、ゾンビを牽制しながら後退する。

「お前を信じてここまで来た。それに見合う情報なんだろうな?」

「そう思えなかった時は遠慮なく私を撃てばいい」

教会に避難する途中、背後で交わされた不穏な会話をナツキは何も言わずに聞いていた。ナツキには知るよしもないが、二人の間には何か、あるらしい。

僅かな扉の隙間から教会に入り、すぐに扉を閉め鍵を掛けた。鍵を開けてくれた男が再びバリケードを積み上げているのを横目に、ナツキは教会を見回す。

中は外観と同様かなり広々としていた。ずらりと並べられた椅子の正面には祭壇があり、マリア像が静かに佇んでいる。こういう場所に来るのは初めてで、興味津々で辺りを見ていたらちらほらと人が集まってきた。その中には先程ナツキ達を援護してくれた男の姿もある。

「あんたらは?」

「すまない。俺達は救助の人間じゃない」

レオンさんの言葉で期待を含んでいた人々の目が暗くなる。がっくりと項垂れてまたそれぞれ散らばっていく。こんな状況になってどれほどの時間が経過しているのかわからないが、ずっとここに缶詰めな上に外にはゾンビがいるなんて不安で仕方ないだろう。

「祭壇の下に地下へ通じる秘密の扉がある」

奥の祭壇を指差してヘレナさんがそう言った。仕掛けを解く鍵もどこかにある、とも。

「そこにお前の言う真実があるのか?」

「……そうね」

レオンさんの問いにヘレナさんはやや間あってから頷いた。クリスとシェバのような良いコンビではない、複雑そうな関係の二人の間でナツキは小さく手を上げて恐る恐る「あの……」と存在を主張する。

あ、と二人が思い出したようにナツキを見た。忘れられてたらしい。

「ナツキはここに居ると良い。今のところは安全だろう」

第一村人──というか気がついて初めて出会った二人と離れるのは不安だが、二人からしたらナツキはただの逃げ遅れた一般人なのだからレオンさんの対応は普通だし、そう言われてしまえば頷く他なかった。

着いていきたい気持ちをぐっと堪え、祭壇の仕掛けを解きに駆けていった二人の背を見送る。手持ち無沙汰になったナツキは祭壇から一番近い椅子に座った。

「クリス、シェバ……会いたいなぁ」

思い出す事といえばやはり二人のことばかりだ。瞳を閉じれば瞼に浮かぶ。

最後に選んだのは"死"という選択肢だったけれども、それでも二人を助けられたならきっとそれは間違いじゃなかった。

想い出を振り返り、ナツキは小さく笑った。



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