「ねぇ、ダンテ。折り入って頼みがあるのだけれど」
そう声をかけるとダンテは緩慢な動きで振り返った。弱い悪魔を屠るのにも飽き飽きしているらしく、その表情は随分と気だるげだ。魔界に来てからダンテのやることといえば襲いくる悪魔を撃退することとバージルと喧嘩をするくらいしかないため、気持ちは分からなくもない。
「頼み?」
「えぇ」
頷き、それから口を開く。ダンテでなくバージルでも良かったのだが、関係性は変わらずアレなままで気まずい。
「魔人化した姿をしっかり見てみたくって」
「そりゃまた……変わった頼みだな」
「ダメかしら?」
「いや、別に構わないさ。減るもんじゃないしな」
エリカの妙な頼みも嫌な顔ひとつしないでダンテは了承してくれた。その返答にエリカはぱっと破顔する。やはり持つべき物は気前の良いイケオジである──と、そんな事は置いといて。
では早速、と意識を集中させるようにダンテが目を閉じた。強い魔力に空気が揺らぐ。ぞわりと肌が粟立った。
固唾をのみ、赤い光を帯びながら変形するダンテの身体を見つめる。遠巻きに何度かは見たが、やはり素晴らしい造形美だ。思わず「おぉ」と感嘆の声が漏れる。無駄のない強靭なフォルムに濃い魔力。流石は伝説の魔剣士スパーダの息子、といった所か。
真新しい玩具を与えられた子供のように、エリカは目をキラキラと輝かせる。
「すごいわね。成る程、なるほど……赤く発光してるのは、魔力の光なのね。皮膚もかなり頑丈そう。硬度を測りたい所だけど──」
検査機器がないのが非常に残念だ。検体は有り余るほどにあるというのに。
調べきれないもどかしさを感じつつも、折角のチャンスを無駄にはしないとポーチに入れていた手の平サイズのノートに手早くデッサンと形状、状態などを書き込んでいく。ブツブツと呟きながらエリカは無遠慮にダンテの胸部に触れ──
「何をしている」
ようとしたタイミングで、かなり不機嫌そうな声が聞こえた。振り返ればそこには声色同様の表情を浮かべたバージルがいる。こうなるのが嫌だったからわざわざバージルが何処かへ行くのを見計らったのに。上手くいかない現実に内心で頭を抱えた。
「姫様からのお願いを聞いてたのさ」
なぁ、と意地悪く笑うダンテに顔がひきつる。そんな火に油を注ぐような事を言ったら──。
「貴様……!」
あぁもう。ほら、言わんこっちゃない。
火花を散らし始めた二人にエリカは今度こそ本当に頭を抱えた。兄弟喧嘩が始まったら、数時間は納まらない。それだけは何としても避けたいエリカは即座に二人の間に割って入った。
「ちょっと喧嘩しないで。私が魔人化した姿を見たいと頼んだのよ」
研究者だからね。と付け足す。私がそう言えばバージルは幾らかの殺気を消した。何とも複雑そうな表情で視線を反らし、バージルが小声で何かぼやいたが、距離もあり聞こえず首を傾ける。
「何?」
この煮え切らない態度がどうにも苦手だ。聞き返しながら一歩踏み出す。
「何故、俺に頼まない……?」
「え、と」
捨てられた子犬のような顔をされて、返答に詰まる。どう、答えるべきか。ぶっちゃけてしまえばダンテの方が頼みやすかったからだが、素直に答えれば喧嘩は必至だ。かといって顔を合わせる度にどぎまぎしてるのに頼むのはハードルが高い、なんて言えばバージルは傷つくに違いない。それはそれで面倒臭い。
「……えぇと、」
「……」
「……バージルには後で頼もうかと思ってたの!」
嘘だけど。とは言わない。我ながらベストな答えを弾き出せたとは思う。「そうか」と先程とはうってかわってどこか嬉しそうな仏頂面を見上げてほっと安堵した。視界の端でいつの間にか魔人化を解いたダンテがやれやれと呆れたように肩を竦めている。
「じゃあ……見せてくれる……?」
「あ、あぁ」
実際見れるなら見たいのが本音だ。おずおずと聞けばバージルは頷いた。何故だかイケない会話をしているような気持ちになるのは何故なのか。
ダンテが魔人化したとき同様に空気が揺らいで、魔力が辺り一帯を埋め尽くす。ダンテの時とは違い、鋭利で冷たさを帯びた魔力だ。青白いそれはバージルによく似合っている。
「わぁお!いい!とても素晴らしいわね!」
素晴らしい検体を目の前にして、気まずさは彼方へぶっ飛んだ。ずずいと魔人化したバージルへ近づき、メモを片手にしげしげと観察する。
「流石双子ね。魔力に違いはあるけど、形状に変化は殆どなし。スパーダも二人とそっくりだったのかしら……伝記にはふわっとした抽象的な絵しか載っていなかったのよね」
興奮ぎみに呟き、胸元に手を這わせる。硬い鎧のような皮膚は想像よりかは温もりを感じた。とくとくと鼓動を刻む振動が手の平に伝わる。少し早い気がするが大丈夫だろうか、とバージルを見上げた。
が、兜を被ったような武骨な顔からは表情は一切読み取れなかった。別段、反応も無いし大丈夫だろうと結論付けて、エリカはバージルの背後へ回る。
「わぁ……猫みたい」
ゆらゆらと揺れる背中から生える触手はユリゼンだった時の名残だろうか。ダンテには無かったなと思いつつ、ノートにその違いを記してから断りを入れることもなく触れる。ビクッと触手が手から逃げるように動いて、エリカはそれを追いかけてむんずと鷲掴んだ。
バージルの肩が飛び跳ねたが、エリカは外殻をチェックするのに夢中で全く気がつかなかった。それから、羽根、腕、足──と隅々まで身体を観察したエリカは満足そうにノートを抱き締めた。もう戻っていいよ、と告げると一瞬にして姿が人間に戻り、少し顔を赤らめたバージルが顔をだす。
「……俺が止めなければ、ダンテにもしていたのか?」
「へ?まあ、そうなるわね」
検体の調査は大体同じだ。素体形状から外格の耐性確認。弱小悪魔は手足をもいで内蔵まで検査したり──流石にダンテとバージルを刻んだりはしないけれど。許可が出るならやりた……いや、何でもない。
エリカの返答を聞いたバージルはむすりと仏頂面になる。
「身体を観察したいなら俺に言え。アイツには頼むな」
わかったな?念を押すようにバージルは続けた。同じ検体ばかり見ても──とは言える雰囲気ではない。仕方なしにエリカが頷くとバージルはとても満足そうに笑みを浮かべる。
「──あ、じゃあ血液のデータも取りたいから血くれる?」
「むぅ」
にっこりと笑いながらとんでもない事を言い出すエリカに、バージルは早くも後悔した。
ex.4:研究者の熱意