- ナノ -

黒いふわふわの毛並み、その禁域に顔を突っ込む瞬間の幸福は何物にも代えがたい。と俺は思っている。

「へへへ、シャドウかわいい〜もふもふ天使〜」

初めは怖かったシャドウも溶けるだけでそれ以外は手を出してこない温厚な猫だと分かれば心置きなく触れた。時折わざと溶けるシャドウにビビりつつも、撫で回したり、お腹に顔を擦り付けたりしてシャドウを余すとこなく堪能する。顔をだらしなく緩めながら、シャドウの首もとに顔を突っ込み深呼吸をした。

「もがぁっ!?」

液体化したシャドウを思い切り吸い込んで噎せる。悲鳴を上げ、のたうち回るイオリに液体化したシャドウがまとわりついた。攻撃的なものではないから恐らくじゃれているのだろうが、ぬるついたそれはただただ気持ち悪い。

「そのくらいにしてやれ」

まさに鶴の一声。するりとイオリから離れ、シャドウは黒豹へと姿を戻した。

「イオリ、お前もだ」

意思をもった液体から解放されて安堵していたイオリにもしっかりと釘が刺される。ハハハと空笑いを浮かべるとブイの眉間にシワが寄った。それから、ため息をひとつ。

「シャドウ、次イオリが触ってきたら、問答無用で食え」

「えええええ!!!ひどい!!!ブイの鬼!!!」

「勝手に言っていろ」

批難の声もそ知らぬ顔でブイはソファの肘掛けを枕にしながら、楽な姿勢で本のページを捲っている。横目ですら此方を見ていない。まるで自分の家のような寛ぎぶりである。
家主の権限は皆無だが、ここに来た当初よりぐっとよくなったブイの顔色を見るとそんな些細なことはどうでもよくなった。

(隈も、もうちょっとで消えそうだな……)

目の下にくっきりと刻まれていた隈もここ数日ですっかり薄くなっている。消えるのも時間の問題だろう。
ブイの顔を確認してこっそりと笑みを浮かべた。二人と二匹。この奇妙な同居生活は存外楽しい。独り暮らしには慣れたつもりでいたが、何だかんだ人肌寂しかったのかもしれない。

起きたときに人がいる安心感。

話しながらご飯を食べれる騒々しさ。

お休みを言える人がいる温もり。

独り暮らしを始めて、忘れていた物。子供の頃は当たり前だったそれらをブイが思い出させてくれた。

そろそろ俺も読書を始めようと立ち上がる。借りてきた本は全部読み終えたから、ブレイクの詩集を読もう。楽しみにしていたのにゴタゴタで手をつけられていなかったのだ。テーブルに置いていた詩集に手を伸ばし、そのままブイの寝ているソファに座った。

「おい」

狭い。と言いたげに、ブイが声を上げる。

「俺も読書するんだから、ちょっとくらい詰めろって」

そんなやり取りをしながら思ってはいけないことが頭を過って、すぐに自分で否定する。

(俺がそんな事を願ったらダメだ……)

戻ってほしくないな、なんて。
六日目。

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