龍が如く1
32:絶縁
それから2日経過した。
時刻は夜の9時半を過ぎた所だ。アスカは錦山と共に神室町を歩いていた。事務所を出る直前まで抱かれていたせいで足取りが覚束ないアスカの腕を錦山が引っ張っている。具合もあまり良くない。
向かっている先はセレナ。今日の夜10時に桐生と会う約束をしているのだ。こんな姿のアスカを、桐生はどう思うだろうか。
会いたい筈なのに会いたくない、見られたくないと考えてしまう。
そんなアスカの胸中など関係なく、セレナのある雑居ビルへとたどり着いた。久しぶりのそのビルを見上げて、アスカは顔をくしゃりと歪める。
「親父」
「あぁ。行ってくる」
計画のために先に到着していた新藤が駆け寄り錦山に頭を下げた。錦山はそれを一瞥してから、アスカの腕を引きエレベーターに乗り込んだ。2の数字が光る。灰色の廊下に出たらセレナはもうすぐそこだ。緊張で喉が渇いた。
クリスマスリースの飾り付けられたドアを開けると、落ち着いたクラシックミュージックが鼓膜を打つ。錦山の後について、セレナに入った。桐生と麗奈が緊張した面持ちでこちらを見つめていた。
「錦、アスカ……」
「久しぶりだな……兄弟」
「……一馬、」
10年ぶりだというのに随分と淡白な挨拶をして、錦山はカウンターの席に腰かける。桐生とはひとつ分席を開けているのがまるで二人の溝を表しているように見えた。
「麗奈、酒を。……あぁ、アスカには水を頼む。具合が悪いらしくてな」
「うん……」
アスカは錦山の隣に座り、俯く。隣で錦山がタバコに火を点けた音がした。ふわりとタバコの香りが充満する。
目の前にグラスが置かれて、アスカは顔を上げた。心配そうな顔をした麗奈と目があう。
「アスカくん、大丈夫なの?顔色良くないわ……」
「ぁ……ああ……」
カラカラに渇いた喉で辛うじて返事をした。麗奈はまだ不安げだったが、ふたりの空気感を気にしてそれ以上は聞いてこなかった。
錦山はグラスに入った琥珀色の液体を揺らしながら、息を吐き出して僅かに口角をあげる。
「10年ぶりだ……お前とこうして飲むのも」
「あぁ」
「面会にも行かなくて悪かった。俺も色々、忙しくてな……」
グラスを両手で包み込むように持ち、アスカはふたりの会話に耳を傾ける。
「俺は……どうしても100億を手に入れたい。お前が連れているガキとペンダントを渡せ」
100億、子供、ペンダントーー今のアスカには何一つ内容がわからない。けれど、今錦山が必死に組員を動かしている理由はそれなのだろう。
桐生がグラスを置き、錦山を睨むように見た。
「その前に答えろ。何故美月を殺した?」
「殺す気は無かったんだ。由美の妹を……殺すつもりなんてな」
そして、錦山はあの日の事を語った。アスカもその時の事は覚えている。それほどにあの出来事はあまりにも恐ろしかった。
麗奈は事の顛末を聞き、アスカ達に背を向けて泣き出した。
「10年間……俺は由美の行方を追い続けた。由美の妹がセレナで働いていると知り、俺はずっと彼女をマークしてたんだよ。いつかそこに、由美が現れるんじゃないかってな」
由美。10年前の事件から行方不明になっていた桐生と錦山の幼なじみ。忘れていた風間との約束を不意に思い出した。 風間の元で由美は今も生きている筈だ。
「遥のことも、それで知ったのか?」
「巡り合わせだよなぁ。あの娘は"ヒマワリ"にいたんだ。俺達が育った、あの孤児院にな」
遥。また知らない名前だ。けれど、何となく話の内容が分かってきた。バラバラだったピースが少しずつ形を成していく。
「美月はその後"アレス"を持ち……そして、姿を消した。ヒマワリにいた娘も。それから東城会の100億が抜かれる。だがな……」
スーツのポケットから錦山は赤い宝石の埋まった指輪を取り出す。その指輪はアスカも見覚えがあった。"YUMI"と刻印された指輪は10年前の由美の誕生日に桐生がプレゼントした物だ。
指輪を見た桐生は目を見開く。
「それは……!」
「そうだ。由美の指輪だよ。こいつが現場で見つかったんだ。由美はいる……近くに……必ずな」
錦山はまだ由美を諦めていなかった。まだ探し求めているようだ。アスカを捕らえた時のように執着している。
「桐生、これは東城会の戦争だ。お前一人でどうなるもんでもない。悪いようにはしねぇ……ペンダントを渡してくれ」
「あれは遥にとって、唯一残された母親との繋がりだ。お前らの戦争なんて関係ねぇ」
錦山の要求を桐生は拒否する。
いつだって桐生は弱いものの味方だった。優しくて強くて、ちょっと不器用。だからこそ誰からも好かれたんだろう。
「変わらねぇな……だから由美もお前に魅かれたんだろう」
みんなお前の味方をするーータバコの煙を燻らせて、錦山は薄い笑みを浮かべる。
由美は桐生の事が好きだった。錦山は由美の事が好きだった。桐生はーー。アスカはそこで考えるのを止めた。
「お前、俺の事を憎んでいるのか?」
「わからねぇ……だが、結局俺はお前を裏切った……風間の親父もな……。もう後戻りはできねぇ」
桐生の表情が変わった。
「まさか……風間の親っさんを撃ったのは!?」
「ああ……さすがにあん時ゃ、手が震えた」
両手を見つめて錦山は嗤った。その瞬間、桐生は立ち上がり、拳を振り抜いた。麗奈が悲鳴をあげ、止めてと叫んだ。
「う、うぅ……!」
殴り飛ばされた錦山共々、床に叩き付けられる。錦山の下敷きになりアスカは苦しげに呻いた。
「何でだ……!?親っさんに世話になった恩はねぇのか!」
「まだくたばっちゃいねぇだろ!それに、今はシンジも一緒だしな」
そう言って錦山はポケットに入れていた物を取り出し、桐生の足元へ投げ捨てた。そこから男の声がノイズ混じりに聞こえてくる。
「お前、シンジを盗聴して……」
二人の怒声を聞いてから一言も発さず、ガタガタと震え、頭を抱えて身体を小さくしているアスカの異様な様子に桐生が気付き眉間にシワを寄せた。
「10年前のあの日から、俺は誰も信じちゃいない……アスカ以外な」
錦山の冷たい手がアスカの頬を撫でた。びくりと身体を揺らすと錦山は面白そうに嗤い、頬にキスをする。
ガンッーー桐生が盗聴機を踏み潰し、怒りに満ちた表情で睨み付けた。
「俺は俺のやり方で東城会の"頂点"に立つ。どうしても美月の娘よこさねぇなら……お前でも容赦はしない」
「好きにしろ……だが遥は渡さねぇ。お前の道具になんか……させやしねぇ」
腕を引かれて、立ち上がらされる。ふらつきながらも踏ん張って、何とか倒れそうになるのを耐えた。不安げに二人を見つめる。
「今更だが……お前とはもう一度一緒にやりたかった。だが……もう今日限り兄弟じゃねぇ」
悲しい通告だった。くしゃりと顔を歪めて、アスカは目を伏せた。あんなに仲の良かった二人だったのに、二人が大好きだったのに、どうしてこうなったんだろう。
「行くぞ、アスカ」
出ていく錦山の後を遅れて着いていく。部屋を出る直前に桐生がアスカを呼んだ。
「アスカ、行くな」
「……一馬……彰を……止めれなくて、ごめん……」
それぞれが正反対の言葉を言う。桐生に名前を呼ばれただけで、何故か泣きそうになる。振り返らずに震える声でぽつりと謝罪した。それだけは言っておかなければと思っていた。
頼まれたのに、アスカは何も出来なかった。
「アスカ……!」
深呼吸を一度してからドアノブを捻り、肩越しに振り返る。桐生に力ない悲しげな笑みを浮かべて、アスカは部屋を出た。
ぽとり、と滴が床にシミを作った。
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