- ナノ -

龍が如く1

21:3000万


色々とあったが流石にもうマフィアの襲撃はなく、無事埠頭にたどり着いた。強い潮風がアスカの髪を拐っていく。埠頭には中型船がひとつ、停泊していた。

車から降りた日吉は両手を広げ、潮風を胸いっぱいに吸い込んでいる。

「は、ははは!着いた!埠頭だ……!ここまで来ればもう安心ですよね!」

「……あぁ。後は船に乗るだけだ」

「……本当にありがとうございます。錦山さん!あなたのお陰で決心がつきました。私これからはギャンブルもやめて、真っ当に生きていこうと思います!そしてあなたみたいに困った人を助けられる強さを……!」

深々と頭を下げて、錦山に決意を告げる。日吉が本当に変わろうとしているのが、アスカには伝わった。どんなに日吉が心を入れ換えようと錦山がただ日吉を逃がす訳がない。それだけ、錦山の怨憎の根は深い。

「おい、出てこい」

呼び掛けに船から複数の男がぞろぞろと降りてきた。全員、闇に紛れるような黒い服を纏っている中、ラフな格好をした男がひとりーー錦山に会釈した。どうやら彼がリーダー格のようだ。

「あなた達は……?あ、船員の方達ですか!お世話になります、日吉と言います」

明らかに歓迎している雰囲気ではないのに、気づいていないのか気にしていないのか日吉はにこにこと愛想笑いを浮かべて男達に挨拶をした。そんな日吉の挨拶には欠片も反応せず、男達は日吉の身体を両脇から引っ付かんだ。

「え?な、何ですか!?い、痛っ!?離して……!に、錦山さん!?こ、この人達一体……!?」

「じっとしてろ」

日吉は戸惑いを隠せないまま、身体の動きを止めた。一応錦山の言う通りにはするらしい。

先程のラフな格好の男が注意深く日吉の身体を確認し始めた。

「ふんふん……聞いていた通りの健康体だ。約束通り怪我ひとつない。あなた既往歴は何かある?今の持病も」

「え?え?い、いや、特には……」

「何も無いの?」

「い、いや……昔、過敏性腸症候群だけ……」

語気を強めて聞き返され、日吉はおどおどとしながらも答えた。それを聞いた男はじゃあ小腸は値段無し、と言う。

「頭ちょっと下げて。頭皮は……8万か。はい、じゃあよく目を開いて」

「頭皮……?8万……?」

ラフな格好をした男は慣れた手つきで、日吉の身体を値付けしていく。アスカはそれを聞いてやっと男が臓器売買のブローカーだと気づいた。されるがままの日吉は訳が分からないといった様子だ。

肝臓800万。
胆のう20万。
膵臓150万。
頭蓋骨10万。
肺400万。
心臓400万。

「次腕上げて……ふんふん。血液量は大体4.6Lってトコか。皮膚は1.6uくらいかね」

頭上に大量のハテナを浮かべる日吉を置いて、ブローカーは錦山に向き直った。どうやら値付けは終わったらしい。

「錦山さん、お待たせいたしました。合計3000万ってトコですかね」

その金額に錦山は鼻で笑い、それでいいと頷いた。ブローカーは背後に待機していた部下に目配せする。船に引っ込んでいったのを視界の端で見届けた。

「え?に、錦山さん、これはどういう……?」

「あぁ、言ってなかったか。彼は臓器売買のブローカーだ。良かったなぁ先生、3000万にもなるってよ」

検品が終わり、男に解放された日吉は呆然と立ちつくす。

3000万。それが安いのか高いのか、アスカには検討もつかない。命に値段を付けるなんてあまりにも非人道的すぎて。けれどもこの交渉にアスカは口を出せる立場ではない。俯いて、ただ目を伏せた。

「う、嘘だろ……?わ、わ、私の臓器を……!?」

「臓器だけじゃない。皮も、肉も、骨も、血液も何もかも、だ。先生に怪我がなくて本当に良かった。傷物にしちゃ、値が下がっちまうからな」

守ってくれたのは善意なんかじゃなかったのだと、日吉はこの時やっと理解したようだった。顔を青くさせて、騙したのか!?と日吉は怒鳴るが錦山は顔色どころか表情ひとつ変えず、淡々と答える。

「誤解しないでくれ。俺はちゃんと先生を助けてやるんだ。アンタのギャンブル狂いは末期だよ。3000万も借金こさえて未だ反省の色もない。だからさ……そんな苦しみの人生から、俺は先生を解き放ってやるのさ」

「ち、違う……あんた、一人でも多くの人を助けたいって……!」

「先生の内臓、その他もろもろでドナーを必要としてる多くの人が助かる」

ーー優子みたいな人たちが、だ。

歪んだ笑みを浮かべる錦山に恐怖を感じた。見ていたくなかった。

「ひ……やだ……そんな……」

「連れてけ」

「い……嫌だぁぁぁぁぁっ!!死にたくない!!死にたくない!!」

怖じ気づいた日吉が尻餅をつき、嫌だと泣き叫ぶ。黒服の男が日吉を掴み、立ち上がらせると船へと乱暴に引きずる。

「あんた!!見てないで助けてくれっ!!なぁっ!」

「……っ」

助けを求められてアスカは顔をしかめ、目を反らした。伸ばされた手をアスカは見なかった振りをした。嫌だ助けてと泣き叫ぶ声が響き渡り、耳を塞ぎたくなる。手を握りしめて、その声が早く聞こえなくなるのを願った。

船内へと引きずり込まれてようやっと日吉の声は聞こえなくなり、埠頭は静かになった。ほっと胸を撫で下ろして、アスカは気持ちを切り替えるために深呼吸を一度して潮風を胸一杯に吸い込んだ。

金銭の授受も滞りなく終わり、錦山の手にはアタッシュケースが持たれている。取引の終わった船はすぐに離岸し夜の闇に紛れて見えなくなった。

「アスカ、これが今回の報酬だ」

「彰……俺はその金は受け取れねぇよ」

頭を振り、差し出されたアタッシュケースを拒否した。金額もそうだが、人の命を売って手にいれたお金を受け取ろうとは思わない。救いようのない男だったとしても、最後は変わろうとしてた。それなのに。

「……何で……何でそんな風になっちまったんだ?」

昔の錦山は兄弟が一線を越えることすら恐れていて、だからこそそんな錦山が大切で大好きだったのに。

先程まで決してアスカには向けられなかった冷えきった鋭い目に射ぬかれて、怖くて目を反らしそうになったがぐっと堪える。握りしめすぎた指先が手のひらを傷付けて、ぴりりとした痛みが走った。

「人を殺して……そんな風に笑う彰は見たくねぇ……!」

「…………」

「俺は彰が大切だ……だから、今の彰を見るのは辛ぇよ……!!」

錦山がこうなってしまうのを止められなかった不甲斐ない自分も嫌になる。顔を歪めて思いの丈を吐き捨てた。

どうしたら、どうすれば、良かったのだろう。あの日から何度も悩み続けて、今も答えが出ない。

「…………言いてぇ事はそれだけか?」

唸るような低い声だった。

「あぁ」

「そうか……」

その瞬間にけたたましい音が響いた。突然の事にアスカは身体が竦む。

錦山が持っていたアタッシュケースを地面に投げつけていた。アタッシュケースが打ちっぱなしのコンクリートを跳ねて、アスカの足元で動きを止める。

「もう戻れねぇ……戻れねぇんだ……!」

「……そんなこと!!」

「黙れ!!俺はもう止まれねぇ!!テッペン取るためなら何人でも殺してやる……!そのためなら桐生も……!!」

「……彰、お前……それ本気で言ってんのか!?兄弟だろうが!?」

桐生ですら"殺す"と言ってのけた錦山に絶句した。そして、泣きたくなった。強く握りしめた手が震える。

「……彰が一馬を殺すつもりなら……俺は全力で止める……!」

「お前も桐生か!?どいつもこいつも桐生だ!あいつしか見ねぇ……!!」

「!!……彰……俺を……殺す、つもりか……?」

突きつけられた銃口に息が止まった。まさか、錦山にそんなことをされると思っていなくて、思考は完全に停止してしまった。嗤う錦山を愕然と見つめる。

乾いた破裂音が波音に混ざった。



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