- ナノ -

龍が如く1

17:依頼


松重の死体は錦山組内で秘密裏に処理されたらしい。錦山が凶変した事は誰しもが気づいていたが、それを指摘する者はいなかった。それも当然だった。錦山は自らに逆らう人間に一切容赦はせず、遠慮なく銃を抜き、撃ち殺していた。完全なる恐怖による支配だった。以前の錦山からは想像も出来ない一方的な暴力。その噂は無論、アスカの耳にも届いていたが、どうすることも出来ず、ただただ時間ばかりがいたずらに過ぎていた。

あの日から数年が過ぎた。神室町のど真ん中に立つミレニアムタワーももう間もなく完成するそうだ。聳え立つビルを見上げると、カラの一坪の出来事を思い出す。もう10年程前なのに昨日の事のように鮮明に覚えている。あの頃はかなり大変だったが、今の錦山を見ていると戻りたいとさえ思ってしまう自分がいた。
喫茶アルプスの隅のテーブル席で、アスカは情報を整理するために書類を広げていた。苦いコーヒーを片手に書類を眺めて、組員の名前に斜線を引っ張る。

(死亡、と……)

錦山組の幹部は数年前と様変わりしていた。風間組から来た錦山に対して反抗的な連中は皆不審死して、新藤という男や荒瀬といった新入りが幹部に収まっている。錦山組の成長は目を見張るものがあり、もう1、2年もすれば風間組から独立し直系になれるだろう。とはいえ、今の錦山を見ているとその事に素直に喜んでいいのか疑問に思ってしまう。反抗する全てを凪ぎ払い、乱暴に突き進む錦山の危うさが怖い。

「ふぅ……」

一息つき、アスカは静かにコーヒーを啜った。書類をぼんやり眺めていると、不意に携帯が震えた。気を抜いていたため、驚いてカップの中の水面が揺らぐ。コーヒーを溢さないようにソーサーへ戻し、慌てて電話に出る。

「はい、こちら情報屋フクロウ」

『アスカか?』

聞こえた声にアスカは瞠目した。噂をすればなんとやら、という奴だ。噂ではなく考え事だけれども。

「彰、どうかしたのか?」

『お前に頼みたいことがある。人探しだ。得意だろ?』

心臓がどくりと嫌な脈を打って、不安を感じた。聞こえてくる声は昔と変わらないから、錦山の凶変などなかったのではないかと錯覚しそうになる。

「まあ、そうだね……。で、誰なの?」

周りの視線を感じて、声のトーンを落とした。人探しは良くある依頼だ。断る理由もない。すぐに了承した。

『日吉……東都病院にいた医者だ』

日吉。その名前はアスカも聞き覚えがあった。数年前、錦山の妹・優子の主治医をしていた。詳しい話は知らないが、日吉は優子の手術を目前にして行方を眩ませたらしい。その結果優子はーー。

何故今更、錦山がそんな男を探しているのか、アスカには薄々予想ができた。

(復讐……か)

だが、もしそうだったとしてアスカにその復讐を止められるとは思えなかった。自分よりも大切にしていた妹を失った錦山の憎しみの根は深い。
固く目を閉じて、静かに息を吐き出した。

「……了解。3日もあれば探せると思う」

例えアスカが拒否したとしても、錦山は今の権力を行使して何がなんでも日吉を見つけ出すのは目に見えている。

ならば、せめて俺が。

『ふっ、頼もしいな』

「じゃ、また分かったら連絡する。依頼料はそんなに要らないから」

『お前は昔から無欲だな……』

「それが俺のいいとこなんだよ!」

相変わらずのアスカの言い分に電話口の向こうから錦山の笑い声が聞こえて、じゃあなという声と共に通話が終わる。電子音が聞こえる携帯の画面を暫く見つめていたが、思い出したようにテーブルに広げていた書類を纏めて、足早にアルプスを後にした。



prev next