龍が如く1
15:劣等感
更に月日が過ぎた。
以前と変わらぬ日常をアスカは過ごしていた。喫茶アルプスの奥の席でコーヒーを片手に、最近の情報を纏めた書類を眺める。東城会の組員の個人情報や、シノギの事、ミカジメ料が幾らか、その他もろもろをきちっと調べたものだ。すぐに用意できる情報を準備しておくのも大事な仕事だ。
書類につい最近手に入れた情報を書き足して、見知った名前のところで視線を止めた。風間組内錦山組、錦山彰ーーその下に並ぶのは松重や金井など、元々風間組所属の古株でやり手の男の名前だ。錦山が引き抜いた訳ではなく、風間の指示で錦山組に移動したようだ。勿論錦山に惚れてついていった組員もいるだろうが、幹部が風間組の古株で埋められている状況にアスカは些か不安を覚えていた。
(彰が幹部連中とうまくやれているといいんだがな……)
錦山はどうにも嫌いな相手に対して突っかかる事が多い。当然、それは他の組員に良く思われていないのは確かだ。ここ数ヶ月お互いが忙しいのとタイミングが悪く会っていないのだが、近況報告も兼ねて無理にでも時間を作って会った方が良いかもしれない。
ーー何となく嫌な予感がした。
流し見ていた書類を茶封筒に入れて、メッセンジャーバッグに丁重にし舞い込んだ。
会計を済ませて、喫茶アルプスを出た。ポケットからポケベルを取り出して、錦山へ連絡をとる。返事がすぐに来ればいいのだが。
アルプスを出て数分後。存外早く、返事がきた。ポケベルに表示された"108410"の数字にアスカはほんの少しだけ安堵する。すぐに近くの公衆電話に駆け込み、錦山の事務所の電話番号を入力した。
『アスカか?』
電話の前で待機していたのだろう。ワンコールで取られて、ちょっとだけ驚いた。
「おう。久しぶりに晩飯食べに行かねぇか?」
『……あ、あぁ。そうだな。食べに行くか……』
久しぶりに聞いた錦山の声色は疲れていた。
「なら7時くらいにドンキでいいか?」
『大丈夫だ』
「うん。じゃあまた後で」
上手く約束を取り付けれて、アスカはふぅと息を吐き出した。受話器を置いて、テレホンカードを抜き取った。約束の時間までまだまだ余裕がある。それまでに少し極道の情報でも集めておこう。アスカはのんびりと歩きだした。
相変わらずのド派手な外観の店の前で、アスカは手持ち無沙汰にポケベルを弄る。もう約束の時間は少しばかり過ぎている。何となくそわそわして辺りを見回して、錦山の姿を探した。まだあの白いスーツは人混みの中には見当たらない。
何か問題があったのだろうか、と不安に思いつつも錦山を待った。
それから15分ほどが経過した。時間潰しにドンキの店内をついつい一週してしまったが、あまり買いたいものはなかった。再び外に出て店先で錦山を待つ。
「わりぃ!待ったよな?」
背中に掛けられた声にアスカはぱっと振り返った。荒れた呼吸を整えるように、錦山は深呼吸をしてからアスカの顔を見下ろした。
「ま、ちょっとだけな」
久しぶりに見た錦山の顔は随分と窶れている。気にしてねぇよと笑って、アスカはごく自然な動作で錦山の手を引いた。
(あ……)
掴んだ瞬間に伝わった心の痛み。あまり部下との関係はよろしくないらしい。やはりアスカの不安は当たっていた。
「それよりさ、最近どうなんだ?」
「どうって……何がだ?」
「組の事とか優子ちゃんの事とか色々」
気づいても出来ることなら錦山の口から聞いておきたくて、あえて知らないふりをする。くしゃりと錦山の顔が歪む。
「……何もねぇよ」
「そう……」
錦山は答えを濁した。親友なのに相談するに値しないと思われたのか、それとも、心配されたくなかったのか。どちらにせよ、アスカは内心で落胆した。少しくらいはその辛い気持ちを支えてあげれたら、と思っていたのだけれども。
「……そいやさ、ラーメンでいいよな?」
暗い気持ちを隠して、切り替えるように明るい声で言う。おう、と短い返事が聞こえた。
ラーメン屋までのそう遠くない道中、気を使って何度も話しかけたのだがどうしても会話が弾まない。ほとんどアスカがひとりで話しているだけになっている。
きっかけは何気ない一言だった。
「今頃一馬何してんのかなぁ……」
桐生が刑務所に入ってからもう半年ほどだ。頻繁に会うことはなかったが、やはりいないと思うと少しばかり寂しいものがある。空を見上げながら、桐生の顔を夜空に思い描く。
ふと、錦山が着いてきていないことに気づいた。振り返ると数歩後ろで立ち止まり俯いていた。表情は窺えない。
「彰……?」
「……ばっ……り……」
「え?」
何か、口走る。上手く聞き取れず、アスカは歩み寄りながら、聞き返した。
ーーガッ
左頬に走る衝撃。突然のそれに受け身もとれずに、尻餅をついた。
「どいつもこいつも……桐生、桐生ばっかり言いやがって!!そんなにあいつが偉いのかよっ!!」
頬を押さえ、呆然と錦山を見上げた。怒りに満ちた血走った目にアスカが映る。
別にそんなつもりで桐生の名前を出してはいない。ただごく普通の会話をしたつもりだったのに、今の錦山にはそれすらもタブーだったようだ。
「……誰もんな事、言ってねぇだろ……」
痛みに顔をしかめて、唇から零れ落ちた赤を手で拭う。
「うるせぇ!!お前もどうせ……桐生がいいんだろ!俺のこと見下してんだろ!!」
乱暴に胸ぐらを掴まれて、息が詰まる。カッとなって理性を失ってしまっていることは見てわかった。
桐生も錦山もどちらも大事な親友だ。優劣をつけたことも、見下したことすらも一度もない。
「、何でそうなるんだよ……。俺がいつ、お前を見下したんだよ……!」
「黙れ!黙れ!!俺だって、俺だって……!」
振り上げられた拳に、アスカは歯を食い縛った。鈍い音が暗がりに響き、そばを歩いていた年若い女が短い悲鳴を上げて逃げていく。
「うぐっ……」
馬乗りになられて何度も、何度も強く殴られてーー唐突に止まった。自身の赤く染まった手を見つめて錦山は呆然としている。
「気は……済んだか……あきら……」
息も絶え絶えになりながらも錦山を案じる。積もりに積もっていた怒りが爆発してしまって、歯止めが利かなくなっていたのはアスカにもわかった。
「すまねぇ……!!ついカッとなっちまって……お前にまで……!!」
「だいじょうぶ、大丈夫だから……」
泣きそうな顔で謝罪する錦山を安心させるように笑みを浮かべる。錦山の複雑な気持ちが伝わって、アスカも苦しくて泣きそうになった。
同じ孤児院出身の桐生と何度も比べられるコンプレックス。思うように成果を出せない惨めな自分。けれど誰にも弱音を吐けず、ひとりで苦しんでいた。
「上手く、言えねぇけど……彰は彰だろ……他のやつらなんか気にすんなよ……」
「……アスカ」
「辛かったら、俺に言えよ。聞いてやるから……俺ら、親友、だろ……!」
あの時"親友"だと言ってくれたこと、今でも覚えている。とても嬉しかったことも。だから、せめて少しでも錦山の力になりたかった。
襟元を掴んで、錦山を引き寄せる。
「独りで戦うなよ……彰!!」
「アスカ……アスカ……すまねぇ……ありがとう……!」
錦山が泣きながら、腕を回してくる。それに応えるようにアスカも強く錦山を抱き締め返した。
少しでも錦山の力になれたらいいと思ってた。
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