短編
紫苑:04
何となく電話をかけねばならないと思った。理由はわからない。ただそうしなければ後悔するような気がして、無意識の内に指先は携帯の通話ボタンを押していた。
普段の私ならきっとかけていなかっただろう。数コールの後、電話が繋がる。どうやら外にいるようで、風切り音がうるさいほどに入ってきた。
「峯くん、えぇっと……今、大丈夫?」
特に用件もなくかけてしまって、言葉に詰まりながら尋ねた。暫く何も返ってこなかった。沈黙が不安になって、名前を呼んだ。
「峯くん?」
「……アスカ」
「どうしたの?」
「いや……」
珍しく歯切れが悪い。それに声色もどこか震えているように聞こえた。いつもの峯なら嫌みのひとつでも言ってきそうなものなのに。疑問に思い首をかしげる。
「峯くん、何だか変だよ?」
どうしたの、と再度問いかける。
「……アスカ、お前だけは……」
携帯を握る手に力が籠る。
「アスカ……俺の名前を呼んでほしい」
「峯くん?」
「……ありがとう」
ーーさよなら。まるでこれが最期になるかのような、別れの言葉に瞠目する。待って!と叫んだけれど、携帯はもう電子音を虚しく発するだけだった。
「っ……」
頬を濡らした雫に空を見上げた。曇天から羽毛のような白が舞い落ちてくる。
「峯くん……大丈夫、だよね?」
ぽつりと溢した言葉は誰にも届くことなく、空へと消える。季節外れの雪が神室町に降り注ぐ、寒い日の事だった。
その後、峯の上司の堂島大吾という人から峯の死を聞かされた。
あの日、私の電話の後に峯くんは死んだらしい。詳しい話は聞かせて貰えなかった。ただ死んだ、とそれだけを伝えられて、私は一言返事をするので精一杯だった。
堂島さんは別れ際にとあるものを手渡してくれた。所々が剥げて薄汚れた猫のストラップ。それはーー
「峯はそれをずっと大事にしてたんだ」
それは私が小学生の時に峯くんに贈った初めての誕生日プレゼントだった。あれから何十年も経っているのに、未だにそれを持ち続けてくれていた事に驚きと嬉しさと悲しみがごちゃ混ぜになった。じわりと目の奥が熱くなって、そして胸が苦しい。
「峯を想ってくれてありがとう。君のお陰であいつは救われていた」
「……、」
ストラップを握りしめて、私は泣き崩れた。もう居ない君を思い浮かべて。
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