短編
紫苑:03
こんなにドキドキするのはいつぶりだろう。人生初かもしれない、なんて考えながら携帯の画面を眺める。まさか峯と再会できるなんて思いもしなかった。転勤が決まったときは憂鬱だったが、それを帳消しにできるくらいには嬉しい。興奮冷めやらぬままベッドの上でごろごろと転がる。
「返してくれるかなぁ……」
ぼそりと呟く。
卒業式の日に"また会おうね"と約束したにも関わらず、峯の連絡手段が無くなって以降探すのを諦めてしまったため、実のところ罪悪感があったのだ。だから敢えて峯の連絡先を聞かなかった。勿論、峯が時間を気にしているのもあったが。
もし、峯から連絡がなくとも、会えただけで、同じ場所にいるというのが分かっただけで十分だ。それにしてもーー。
「何だか……淋しそうな目だったなぁ……」
仰向けに寝転がり、峯の姿を思い出す。身なりはあの頃とは全く違っていた。高そうなブランドスーツ、革靴、時計……昔は手に入れられなかっただろう高価な物に身を包んで、きっと裕福な生活をしているはずなのに、峯の目は底冷えするように鋭かった。元々の目付きもアスカから見ても良いものでは無かったが、それだけではない。冷淡な瞳の奥に見え隠れする孤独が気になった。
きっと聞いても答えてくれやしないだろうけど、もう一度会えるなら細やかでもその淋しさを癒せたらなと思った。結局その日峯から連絡が来ることはなかった。
それから数日。転勤先での仕事も本格的に始まり、慣れないことだらけであたふたしながらも何とか業務をこなしていた。流石に片田舎と都会では仕事の量が全く違う。だが、やり応えはある。夕方の勤務時間満杯まで働いて、アスカはパソコンの前で腕を上に思いっきり伸ばした。おつかれさんと上司が笑った。
「おう、もう帰っていいぞ」
「はい!ありがとうございます!お先に失礼します!」
パソコンをシャットダウンして、上司に一礼すると荷物を纏めて会社を出た。夕暮れ時の神室町は仕事帰りのサラリーマンで賑わっている。まだ夜には早いのにすっかり酔っぱらっている男を横目に見ながら、携帯を取り出した。
登録していない電話番号から着信が一件。それからメールが数件入っている。仕事中で着信に気付かなかった。とりあえずメールを確認する。
「え?」
登録しているサイトからのメルマガに混ざって、知らないアドレスから件名無題のメールが届いている。カーソルを合わせて内容を見た。
"今日、夜7時劇場広場。電話くらい出ろ"
淡白なメール文。だけど、誰からかはすぐに分かった。文末に付けられた文句にアスカは自然と笑みが漏れる。
次にやることは早かった。着歴から電話帳に番号を書き込んだ。名前は勿論ーー峯くん。
待ち合わせの20分前に劇場前広場に着いた。流石に家に一度帰る時間はなかったため、仕事用のスーツのままだが大丈夫だろうか。ちょっぴり不安になり自分の姿を見下ろして、スーツの裾を引っ張った。
「おねーさん、今暇そうじゃん」
「俺らとアソボーよ」
チンピラ風の男二人がニヤニヤと下卑た笑みを浮かべている。敢えて気付かない振りをして顔を背けたが、前に回り込まれて顔を覗き込まれた。
「人を待ってるので……!」
「それって、女?」
「男です!」
不快感を示しながらあしらうように答えるが、男は中々アスカから離れようとしない。
「女待たせるとかろくな男じゃないって!」
ろくな男じゃないのはお前だ!と内心でツッコみ、食い下がる男を断固として拒否する。
少なくともこんな風に峯は人が嫌がるような事はしないはずだ。今の性格は変わっているかもしれないが、昔はそうだった。
「いいから来いって!!」
「きゃ……や、やめ……!」
乱暴に腕を掴まれて、アスカは振り払おうとするも男の力は強い。もう一人がアスカの背後から近づいて背中を押してくる。男二人に取り囲まれるのは恐怖でしかない。情けなくも身体が震えた。
「さぁ、お楽しみに行こうかぁ!」
そのまま引きずられるようにホテル街の方向に連れていかれそうになる。周りの人は見て見ぬふりばかりだ。誰か、だれかーー……!
「ーーおい。俺の女に何か用か」
男の前に立ちはだかったのは峯だった。不機嫌そうに眉間にシワを寄せて、男を睨み付けている。
「はっ!俺らが先に女に声かけたんだよ!取り返したきゃ力ずくでやってみろや!」
「……全くトラブルに事欠かない人だな」
アスカを見やり、呆れたように息を吐き出す。それでも、峯の顔を見て安心できる自分がいた。
「力ずくでやらせてもらいますよ」
「一人で何が出来るんだよ!!おらぁ!」
淡々と峯は拳を構えた。チンピラ達はそんな峯を見て鼻で笑い、拳を振り上げた。
「み、峯くん……!」
思わず名前を呼び、両手で顔を覆う。多勢に無勢だ。二人に一人が勝てる訳がない。
鈍い音が二発。音はそれだけだった。
「……アスカ。行きますよ」
「えっ……う、嘘、倒したの!?」
峯の声が聞こえて顔をあげると、息も服も乱れていない。その後ろでチンピラ二人が大の字で倒れている。そんなに簡単に人って昏倒させれるのかと驚き、アスカは目を丸くした。
「け、怪我は!?してない!?」
「平気ですよ。こう見えて強いんです」
拳をハンカチで拭きながら、不敵に笑う峯にドキリとした。
峯に連れられて来た場所は神室町から離れた場所にある高級レストランだった。ビルディングの最上階、ガラス張りの向こうにはきらびやかな夜景が広がっている。そんなレストランの一番いい席に案内されてアスカはビックリしてしまった。
「こんな所に来るの初めてかも」
お金大丈夫かな、なんて心配していると、向かいに座っていた峯がため息をつく。
「こちらから誘っておいて、お金を払わせる訳ないでしょう?」
「えー……なんか申し訳ないなぁ。でも、ありがとう」
素直に感謝の言葉を言うと、峯は照れを隠すように視線を手元のワイングラスに落としていた。
赤い色をした液体を揺らしながら、伏し目にしている峯は贔屓目に見なくてもかっこいい。元々顔は整っていたし、きっと峯にも好い人はいるんだろう。そこまで考えて、アスカはほんの少し気落ちした。
「ね、そういえば、今は仕事何してるの?」
僅かに落ちた気持ちを振り払うように、峯に質問を投げ掛ける。
実際、気になっていた。ここに来るまでの足は峯の車だったのだが、それはアスカの年収の何倍もする外車だった。峯がお金持ちになったのは、あの頃の反動なのだろうか、と考えると何とも複雑な気持ちになる。
「…………極道だ」
「え?」
「いや、不動産関係だ」
不穏な単語が聞こえた気がして、アスカは目を丸くする。しかし、すぐに言い直されて、深く追求は出来なかった。あまり気にしない方が良さそうだ。極道なんて……穏やかじゃない。
「アスカは何を?」
「私はただの事務関係だよ。最近こっちに転勤してきたの」
可もなく不可もなく。贅沢は出来ないけど、生活する上で問題ない程度の収入。楽しさ、なんてものはないけれど、仕事は難しくない。
皿に綺麗に盛り付けられたローストビーフを一口サイズにナイフで切り分けて、口へと運ぶ。柔らかくて美味しい。
「んー美味しい!」
へにゃりと落っこちそうな頬を押さえる。美味しさに感動しつつ、もう一切れを頬張った。もごもごと咀嚼していると、ぱちりと目の前の峯と視線が交わる。ほんの少しだけ峯が表情を緩めたのが、とても印象的だった。
「峯くん、頭良かったし超仕事出来そうだよねーー」
それから他愛ない話をたくさんした。アスカが話して、峯がそれに言葉少なに返す。昔と変わらない立ち位置に安心感と、ちょっぴり落胆を覚えた。
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