- ナノ -

短編

紫苑:01


峯義孝という少年は貧乏で、その上孤児でいつも薄汚れた白いタンクトップに半パンを着ていた。孤児や貧乏、という言葉の意味を当時は私はよく知らなかったが、周りの子達の腫れ物を扱うような態度で、子供ながらに何となく察した。
私が見たときにはすでにクラスで浮いていた。休み時間には図書室にある難しそうな本を読んでいて誰とも話したり、関わろうとはしなかった。そんな彼に興味があった。今から思えばそれは子供特有の未知なる物へ好奇心だった。

「ねぇ、何を読んでいるの?」

「…………」

声を掛けると峯は顔を上げた。愛想笑いも浮かべない冷たい目が私を射抜く。周りのクラスメイトがざわめいたのも気にせず、私は言葉を続けた。

「私、アスカっていうの。初めて峯くんと同じクラスになれて嬉しいよ」

小学校に入学して数年、峯とは全くクラスが一緒にならなかった。今年やっと同じクラスになれたのだ。同じ教室に峯の姿が見えた時、ガッツポーズをしてしまったくらいには待ち焦がれていた。

峯は変わらず無愛想な顔をしたまま、なにも言わずに視線を本に戻した。その反応は流石に予測していなくて面食らう。

「アスカ〜、峯なんかと話さない方がいいぜ」

峯菌が伝染るぞ〜とおどけたように悪口を言うクラスメイトにアスカは眉をつり上げる。言い返そうとして口を開きかけたタイミングで椅子ががしゃんと倒れてアスカの声をかき消した。
騒がしかったクラスが一瞬にして静まる。静寂に包まれる中、峯は倒した椅子もそのままに本を片手に教室を出ていった。

「峯菌って何よ!ばっかみたい!!」

悪口を言ったクラスメイトに吐き捨てて、峯の後を追いかけてアスカも教室を飛び出した。

廊下に出て、左右を見回す。すでに廊下の向こう端にいる峯の姿を見て、アスカは駆け出した。

「待ってよ!」

廊下をはや歩きしている峯の腕を掴んだ。

「僕に構うな!」

掴んだ手は強く振り払われた。まさかそんな乱暴な事をされるとは思っていなくてショックを受けたが、峯の表情を見たらそのショックも忘れてしまった。

ぎゅっと眉間にシワを寄せ、何かを堪えるように口を真一文字に結んでいる。

「峯くん……」

名前を呼ぶと峯ははっと我に返って、アスカから逃げるように走り去っていった。

泣きそうで、苦しそうで。何より淋しげだった。そして、気づく。強がってても、どれだけ無関心を貫いていても、峯の心は傷付いていたんだと。

「……よし、決めた!」

傷付いた分だけ私が寄り添おうと思った。少しでも峯の孤独を癒せるように、と。両手を握りしめて、私は力強く決意した。


それからというものアスカは納豆の如く粘り強く峯に絡んだ。図書室も校舎裏も、ひっそりと隠れていた屋上にだって着いていった。最初の内は嫌がっていた峯も、アスカのしつこさに逃げるのを諦めるようになっていた。

峯のいる場所に、アスカもいる。それがいつの間にか当たり前になって、峯も面倒くさそうにしつつも隣にいることを許してくれた。

「峯くん、峯くん」

放課後の図書室で峯と向かい合って座っていた。私に呼ばれて峯は読書を中断し、鬱陶しそうにしながら顔を上げる。

「なんだよ」

「峯くん、誕生日いつ?」

いつも通りのつっけんどんな態度は軽く受け流して、机に身を乗り出して尋ねる。こんなにも峯と一緒にいるのに、峯自身の事を聞いたことがなかった。血液型はおろか誕生日でさえ知らない。

唐突なアスカの質問に峯はため息をひとつ吐き出してから、そのまま視線を下に落として読書を再開し始めた。

「ちょっともう!無視しないでったら!」

広げていたノートと教科書がしわばむのも気にせず、手をついてぐいぐいと更に身を乗り出した。もはや床に足はついていない。

「何でお前にそんなこと教えないといけないんだ……!」

「私が知りたいから。ダメ?」

「…………」

本に影が掛かるくらいに近づかれては、峯もスルーは出来なかったらしい。もちろんそれはアスカの策略なのだが。

眉間を押さえ、峯は二度目のため息を吐き出す。で?と続きを促すと、不承不承に峯は口を開いた。

「今月の12日」

その言葉を処理するのに少しばかり時間を要した。図書室の入り口横に掛けられたカレンダーを確認する。今日はーー16日だ。峯は12日。ということはーー。

「えぇー!もう過ぎてるじゃない!言ってよー!」

「聞かれてないからな」

ふいと視線を反らす峯をよそにアスカは隣の椅子に置いていたランドセルを漁る。お小遣いを貯めて峯に誕生日プレゼントをあげようと思っていたのに、過ぎていたのは予想外だった。

「んー何か無いかなぁー……」

手提げの鞄まで確認して、うぅんと唸る。

「あ!そうだ。私のお気に入りのストラップあげる!」

家の鍵についていた真新しい猫のストラップだ。気に入って買ったのだけれど、峯のためなら手放せる。鍵とストラップを取り外し、はい、と峯の手に握らせた。

「お誕生日おめでとう!峯くん!」

「……これ」

「使いかけでごめんね。来年はちゃんとしたのプレゼントするから!」

手の中の猫のストラップを峯はじっと見つめていた。やっぱり使いかけの物なんて嬉しくなかったんだろう。失敗したな、と思って言い訳を並べようとしたアスカの耳に言葉がひとつ届く。

ーーありがとう。

控えめに。けれど確かに聞こえた感謝の言葉にアスカは笑みを浮かべた。


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