龍が如く1
08:細やかな願い
下らない話に花を咲かせていると、そうだ、と両手の平を合わせて優子が錦山を見た。
「お兄ちゃん、ジュース買ってきて」
「飲み物なら冷蔵庫に入ってるだろ?」
「新作のブドウジュース!売店にも置いてないの……お願い!」
「いや、今日は……」
ちら、と視線がこちらに向く。あぁ二人きりにさせたくないのだな、と錦山の気持ちを察したが、そんなことはアスカの知ったこっちゃない。
「ね、いいでしょ?」
「………………わかった。アスカ、お前は優子に変なことすんなよ!」
上目遣いで兄に頼むその仕草は小悪魔だった。シスコン兄の扱いはしっかりと心得ているようだ。上目遣いにやられた錦山はかなり悩んで、かなり渋々ではあったが、最終的に頷き、一言言い残して病室を出ていった。
扉の閉まる音がして、それから静寂が訪れる。少しだけ空いた窓から入り込んだ風がゆらゆらとカーテンを揺らした。
「あの……アスカさん」
「ん?」
「お兄ちゃんの事、よろしくお願いします」
優子はそっと頭を下げた。突然のお願いにアスカは目を丸くする。
「お兄ちゃん、いつも私の事ばっかりで……私のために友達も作らないでバイトとか、色々してて……でも初めてお兄ちゃんの口からから初めて桐生さん以外の男友達の名前が出て、私とっても嬉しかったの……」
何となく、想像はできた。アスカから顔を反らすように、優子は窓の外を見た。つられるように視線を動かして、透き通るような青空の眩しさに目を細める。
「今日見て分かったの。お兄ちゃん、アスカさんの事、すごく大切に思ってるんだなって……だから、お願いします」
ーー私はきっと……お兄ちゃんよりも長くは生きられないから。
淋しげな声色だった。泣きそうだと思った。布団を握る手は震えていて。それでも優子は涙を流さずにただだ穏やかな微笑みを湛えていた。その顔を見て思わず、アスカは優子の手に自らの手を重ねる。じわりと滲む悲痛にアスカは顔をくしゃりと歪めた。
本当は生きたいと願う気持ち。
兄の負担になりたくないという気持ち。
兄とずっと一緒にいたいという気持ち。
自らの想いを押し込めて、優子は兄の幸せを願っていた。じわりと目の奥が熱くなる。
「優子ちゃん……」
「アスカさん、どうして泣いて……」
気が付けばアスカの頬は濡れていた。戸惑うように優子は表情を崩す。
「ごめん、驚かせちゃったな。……優子ちゃんがあんまりにも優しすぎるから……」
慌てて服の裾で涙を拭い、安心させるように口角を上げたが、余計に不安にさせただけだったみたいだ。
「……あのね、優子ちゃん。泣きたい時は泣いてもいいんだ。我慢しなくていいんだよ?」
「……、」
アスカの言葉に優子は動揺して、息を詰まらせた。埋め込まれた二つの黒曜石が潤んで、ほろりと滴を落とす。
「あれ……やだな……初対面の人の前で……」
何度拭ってもぽとり、ぽとり、優子の目から大粒の滴が零れ落ちてシーツに幾つものシミを作った。そっと抱き寄せて、優子の頭を優しく撫でる。遠慮がちにアスカの背中に腕が回された。
兄に心配を掛けさせまいと辛い思いを隠して、笑顔でい続けて泣くのを我慢してきた。長く触れるほど優子の優しさがアスカに伝わる。
つられてアスカも泣いてしまって、しばらく二人で抱き合いながら泣いていた。
「……アスカさんって不思議。何でも分かっちゃうみたい」
優子は回していた腕をゆっくりと離して、アスカを見上げて笑った。その目にもう涙はない。頬についていた滴を指先で拭ってやると、優子は恥ずかしそうに顔を俯けた。
「あながち本当にそうかもよ?」
「え?じゃあアスカさんの前じゃ、嘘つけないなぁ……」
困ったように眉を下げる。カラカラ笑って嘘つくつもりなのか?と問うと、いっぱいつくつもりだもん!と可愛く返されて、もっと笑ってしまった。
「……それから、彰の事は俺に任せて。アイツがヨボヨボのおじいさんになるまでずーっと一緒にいてやるつもりだから」
「ふふ、お願いします。お兄ちゃん、ああ見えて淋しがり屋だから」
「任された!」
ぐっとサムズアップすると、優子も同じように親指を立てて笑った。
アスカさん優しくて王子様みたい。という優子の爆弾発言により、錦山がブチキレたのはまた別の話だ。
prev ◎ next