- ナノ -

龍が如く1

07:優子ちゃんと


翌日、約束の時間よりも少し前に待ち合わせ場所である東都大学医学部附属病院の入り口前についたのだが、すでに錦山が立っていた。ずいぶんと深く考え込んでいるようで、アスカにも気づかずにぶつぶつと顎に手を当てて何か呟いている。あれだけ妹に会わせるのを拒否していたし、あの手この手の作戦を色々と考えているのかもしれない。

持っていたフルーツの盛り籠を持ち直して、いまだにこちらに気付かぬ錦山に忍び寄った。

「よ!彰!」

「うおっ!!?やっぱり来やがったか……」

「当たり前だろ?」

どれだけこの日を楽しみにしてたと思ってるんだ。からからと笑うと錦山は心底嫌そうに顔を歪めた。

大病院だけあり、中は設備が整っており綺麗だ。何人もの看護師や医者が忙しそうに歩き回り、待ち合い用の椅子はたくさんあるにも関わらず埋まっていた。受付を済ませ、リノリウムの床を錦山と共に踏みしめる。

「要らねぇことしたら、速攻摘まみ出してやるからな」

「はいはい」

相変わらずのシスコンっぷりを発揮してくる錦山を適当に受け流す。エレベーターに乗り、三階へ向かった。どうやらこのフロアは個室専用のようだ。掛けられた札は皆ひとつだけしかない。

304号室。その部屋の前で一旦、錦山は立ち止まりアスカに向き直った。

「優子に変な気起こしたら……」

「わかったわかった!もういいからそういうのは……」

散々聞いたセリフを再三言われて、アスカは降参とばかりに両手を上げた。過保護すぎて妹は天然記念物かなんかだと思ってそうだ。

「ホントに分かってんのか?優子はなーー……」

病室の前で10分ほど。くどすぎる注意の後、ようやっと錦山は病室の木目調の扉をノックした。

「優子、入るぞ」

中から可愛らしい少女の声が聞こえてくる。どうぞと入室を許可する声を聞いてから錦山はドアを開けた。

「お兄ちゃん、今日は見舞いに来るって言ってなかったのに……どうしたの?」

「……あぁ……いや、その……」

錦山は入り口で立ち止まり、アスカを中にいれようとしない。地味な最後の抵抗だ。中々前に動かない錦山の背中を押したが、ぐっと踏ん張られた。往生際が悪すぎる。

「も〜変なお兄ちゃん……」

錦山の背中のせいで全く優子が見えないし、入れないしで、正直ちょっといらっとしてきた。そっちがそのつもりならこっちもやり方がある。

「どうも初めまして〜、優子ちゃん」

「あっ!こら、お前!!」

ひょっこりと錦山の影から顔を出す。錦山よりも少し丸みを帯びた瞳がアスカを映して瞠目した。黒い長い髪、しっかりとした鼻筋、桜色の唇ーー贔屓目に見なくとも可愛い。どことなく錦山に似ていて血の繋がりを感じた。

「あ……初めまして、お兄ちゃんのお友達ですか?」

突然兄の背後から現れた不審者に優子は少しばかり緊張した面持ちで訊ねてきた。錦山の脇をやや強引にすり抜けて、アスカはベッド脇に置かれた小さなチェストの上に見舞いの果物の盛り籠を置いてからにっこりと優子に微笑んだ。

「親友のアスカ・フェザーストンだ。突然来てごめんね、優子ちゃん」

「アスカさん……あ、お兄ちゃんがよくお話しして下さってる人ですね!お会いできて嬉しいです」

ぱぁ、と花咲くように優子は笑みを浮かべた。柔らかで丁寧な物腰は兄とは随分と違う。先程まで本を読んでいたらしく、ベッドテーブルには栞の挟まったハードカバーの本が置かれている。座ってくださいと優子に促されて、アスカは備え付けの簡素な丸椅子に腰かけた。

それにしてもーー

「へぇ、彰、俺の話してるんだ?」

「うっせぇ、大したこと話してねぇよ!」

ニヤニヤしながら錦山に振り返る。照れているのかそっぽを向いている錦山が面白い。

「もぉ〜お兄ちゃんったら素直じゃないんだから……!アスカさんの事、かっこよくて気の合う良い奴なんだっていつも言ってる癖に……」

「優子!何バラシてんだ!」

「……ぷっ!あははは!かっこいいって思ってくれてんだ?」

気の合う良い奴はともかくかっこいいと思われていたのは面白すぎて思わず吹き出してしまった。ひぃひぃと腹を抱えて笑うと頭をばしんと叩かれる。

「いってぇ!」

「笑いすぎなんだよ!」

かなり加減されていたから痛くはなかったが、反射的に声が出る。

「お兄ちゃん!叩いちゃダメだよ!」

「ゆ、優子……」

やはりシスコンは妹に弱いらしい。優子に咎められ、たじたじとなっている錦山を見てまた口元が緩む。ニヤニヤしているのを錦山が恨めしそうにじろりと睨んできたが、流石に手を出してこなかった。

「……でも、アスカさん、本当にかっこいいですね。お兄ちゃんのいった通りでした」

改めて言われると何とも照れる。後頭部に手を当てて、へへへと照れ隠しで笑った。

「あの……不躾なお願いをしてもいいですか?」

「ん?何でも聞くよ?あ、後敬語もいらないからね」

「わかりました……じゃ、なかった。わかった。えっと、じゃあ……」

心なしかこちらを見る目がキラキラしている。両手を胸の前で組みながら、おずおずと優子は口を開いた。

「髪の毛、触ってもいい?」

随分と可愛らしいお願いだ。縛っているゴムを外し、優子が触りやすいように椅子をベッド脇に近づけた。普段は邪魔にならないように後ろで縛っている長い髪がさらりと耳元を流れて落ちる。

遠慮がちに伸ばされた手がアスカの髪を一束掬い上げた。

「わぁ……綺麗……」

まるで宝石を手にしたかのような、そんな反応。するりと滑り落ちる感触を楽しむように、優子の指先が何度もアスカの髪を梳く。

「いいなぁ……私もこんな金髪になりたい。瞳も私と全然違うし……羨ましい」

「優子ちゃんは黒髪が似合ってるよ」

「ありがとう、アスカさん。でも憧れるの、金髪って……」

それを見ていて面白くない人物がひとりーーそう錦山だ。口をへの字にして腕を組み、如何にも不機嫌なのが見てとれた。

「おい。触りすぎだ」

「あ、ご、ごめんなさい……」

兄に言われて、申し訳なさそうに優子はアスカの髪から手を離した。離れていく指先を名残惜しく思う。

「どうした、彰。大好きな妹が俺に夢中だから、嫉妬してんのか?」

「うるせぇ」

ふんとそっぽを向く。素直じゃない錦山にアスカは半笑いしつつ、ほどいていた髪を結び直した。


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