龍が如く1
05:4年前の約束
1992年、春ーー
窓から差し込む日差しに目が覚めた。身体を起こし、腕を突き上げて身体を伸ばす。
今日は何の仕事も引き受けていないため、1日自由だ。というのも、今日はアスカにとって特別な日だからである。
チェストの上の写真立てを見てアスカは微笑んだ。まだ元気だった頃の母と今より少し幼いアスカが写っている。その写真の両脇には最近買い足した真新しい写真立てが並んでいて、そこには真島とのツーショットと、桐生と錦山との写真が入れられている。
「母さん、俺……元気でやってるよ」
だから、心配しないでね。ぽつりと写真に向かって呟く。返ってくる言葉は当たり前に無いが、写真立てに微かに残る母の思念がアスカの心を温かくしてくれた。
身支度を整えて、街へ繰り出す。春一番が頬を撫で、冷えきった街に暖かい風を連れてくる。今日くらいは良いところで外食してもいいだろう。何処で食べようかなと思案しつつ、鼻唄混じりで当てもなくぶらぶらと歩く。
「おっ!一馬!彰!」
目と鼻の先に見慣れた後ろ姿を見つけて、アスカは駆け寄った。流行りの色へとスーツを変えた錦山と自分好みの色のスーツを着た桐生はかなり目立っている。
「今日はやけに機嫌良いな、何かあったのか?」
「おいおい桐生!忘れたのか?今日はアスカの誕生日だぞ」
それも20歳の。と呆れたように錦山は桐生に言った。他人の誕生日をきちんと覚えている錦山は流石だ。さっぱり覚えていない桐生も、桐生らしいが。
「何!?そういえばこの時期だったな……おめでとう、アスカ」
「はは、ありがとう!」
思い出すなり祝いの言葉を述べる桐生にアスカは笑った。肩に腕が回されて、ぐるりと視点が変わる。
「今日はセレナでパーティだ。夕方楽しみにしとけよ!」
「おう!今から超楽しみ!大好き彰!!」
「うおっ!?抱きつくなよ!」
嬉しさに錦山の腰元に腕を回す。抱きつくなといいつつもアスカを振り払うことなく、頭を撫でてくれる錦山はやはり優しい。
幾つになっても、こうして誕生日をお祝いしてくれる人がいるのは嬉しいものだ。口元が自然と緩む。
「俺らはこれから準備があんだ。お前はこれで遊んでこいよ」
何の迷いもなく二万円ほどを差し出してくる。受け取るのを躊躇すると強引に手に握らされた。ほら、行ってこいと背中を押されてつんのめる。
振り返るとあっちへ行けとばかりに手を振られた。パーティまでは邪魔者扱いらしい。アスカが不満げに頬を膨らませると、錦山はカラカラ笑った。
劇場前のゲームセンターでアーケードゲームに勤しんでいると、ポケベルに着信があった。
『707-51』
セレナ来い。どうやら、準備ができたらしい。ゲーム台から立ち、ゲームセンターを出てセレナへ向かう。その足取りは軽く、スキップまでしてしまいそうだ。
エレベーターを上がり、セレナのドアの前で一度立ち止まる。自然と上がる口角はどうにも抑えられそうにない。こんなにわくわくしたのは小学生の頃に母と遊園地に行ったとき以来だ。深呼吸をひとつ。呼吸を整えてからドアノブに手を掛けた。
パンッーー
パンパンッーー
「わっ!」
破裂音と共に紙屑が驚きに身を竦めたアスカに降り注ぐ。
「ほーら主役はこっちだ」
錦山が背後へ回り込み、エスコートするように両肩を掴んで奥のセッティングされたテーブル席まで連れて行ってくれた。アスカが席に着いたタイミングで麗奈がホールケーキを持ってくる。
「お誕生日おめでとう、アスカくん!」
イチゴがたっぷりと乗ったショートケーキの中央にはアスカの名前が書かれたチョコプレートが乗っていた。刺さった蝋燭の炎がちろちろと揺らめいている。
目を輝かせて、アスカは感嘆の声を上げた。
「これ!俺のために用意してくれたの!?」
「あぁ、そうだ。誕生日おめでとう。アスカ」
「へへ……嬉しい……じゃあ消すね!」
頬を赤らめて、鼻を擦る。皆が見守る中、息を吸い込んで一気に蝋燭に吹き掛けた。全部消えた瞬間に皆が拍手し、アスカを祝福してくれる。
「おめでとう、アスカくん」
「ありがとう!由美ちゃん!皆も……俺すげぇ幸せだよ……」
「なんだアスカ、泣いてんのか?」
ほろりと溢れ落ちた涙を見られて、アスカは顔を隠すように手で覆った。泣きながら幸せを噛み締めて笑う。温かい優しさが心地よかった。
「……泣いてなんかねぇよ!」
「嘘つけよ。まだまだガキだな」
強がりも一蹴されて、錦山にハンカチで目元を荒っぽく拭われる。子供扱いにアスカは口をへの字にして、じと目で錦山を睨む。
「そう怒んなよ。プレゼントやるから」
差し出されたのは一本のタバコだ。四年前の約束を錦山は覚えていたらしい。何となく拒否するのも気が引けて、それを受け取り口に咥える。
タバコの先に錦山がライターの火を近づけた。じわりと口の中に苦味が広がり、いきなり噎せる。
「げほっ……にっがぁ!?」
「はははっ!やっぱりアスカにはまだ早いか」
「もう!錦山くん、無理させちゃダメよ!」
先程とは別の涙が目尻に浮かぶ。タバコを口から離して、そばに置かれていた飲み物を一気に飲んだ。あっ!と由美が声をあげる。
喉に焼けるような熱くなった。
「うっ……な、なにこれ……!?」
ぐるぐると回る視界に気分が悪くなる。ふらついた身体を錦山が支えてくれて、倒れることはなかったが、目眩の様な視界のちらつきがひどい。
「まさかお酒を一気に飲むなんて……由美ちゃん、お水用意してあげて!」
「はい!」
バタバタと由美がカウンターへ走っていき、水の入ったコップを持って戻ってきた。手渡された水を飲み込むと、水の冷たさで気持ち悪さが幾らかマシになる。
「大丈夫か?」
「……これが大丈夫に見えるか……?」
頭を抱えた状態の俺を見てどこが大丈夫なのか教えてほしい。
「ったくもう……ちょっと休んだら良くなるだろ……安心しろよケーキは置いといてやるからな」
頭を軽く撫でられると、瞼が落ちていく。折角の誕生日パーティーなのに、主役が寝てしまうなんて、と思いつつも襲いくる眠気には逆らえなかった。
「ぜったい、だぞ……」
がくりと電池の切れたロボットのように意識が途切れる。くすくす笑う皆の声が最後に聞こえた。
prev ◎ next