龍が如く1
02:狙われた兄弟2
思った以上に殺し屋は弱かった。何ならギャラリーが集まるよりも前に倒された。喧嘩は見せ物ではないけれど。
「よっわ……」
思わず、その言葉が出た。本当に殺し屋だったのかも疑わしいほどだ。桐生にアスファルトに強く叩きつけられて泡を吹いて倒れている殺し屋を爪先で突っつく。完全に昏倒していてしばらくは起きないだろう。マジックで顔に落書きでもしてやろうか、なんて子供じみた事を考えた。
「ーーふん役立たず共め……」
上等で派手なスーツに身を包んだ金髪サングラスの男がため息混じりに頭を緩くふった。襟には堂島組のバッジがつけられている。ようやっと首謀者のお出ましのようだ。
その顔に見覚えはある。確か堂島組の幹部だったはずだ。幹部、とはいえ若頭や補佐ではなく下の下だったと記憶している。
「チンピラと殺し屋を差し向けたのは兄貴なんですか?」
それでも堂島組に所属する桐生にとっては上の立場の人間だ。兄貴と呼び、敬語を使っている。
「手を汚すことなく、お前を葬り去りたかったのだが……そう上手くはいかないな」
「何故……」
「何故?"カラの一坪"の件で親に手ぇあげときながら、風間のカシラのお気に入りだか知らないが……ヤクザが親に一度でも手ぇ上げて組にいられるわけねぇだろうがよ!」
声を荒らげ、吐き捨てる。あの事件で桐生は久瀬、渋澤を倒し、堂島組の下っぱを何十人も殴り飛ばした。堂島組に逆らい、無茶苦茶にしたのは間違いない。恨みを買うには十分すぎるほどだ。
「……兄貴の言うことも尤もです。このままなにもせず堂島組にいるのはスジが通らない」
「一馬……!?」
ろくでもない幹部に同意した桐生にアスカは驚き、制止するように名前を呼んだ。親に手を上げた、とはいえ、桐生はカラの一坪のために罪を擦り付けられた被害者だ。スジだなんだってこれだから極道は面倒くさい。
「俺はどうなってもいい。だが、錦……錦山だけは見逃してやってはくれませんか?」
そう言って、桐生は深く頭を下げた。自分を犠牲にしてまで錦山を守るつもりだ。下卑た表情を浮かべて幹部は笑った。
「殊勝なこと言うじゃないか。まぁいいだろう……場所を変える、着いてこい」
「分かりました」
そのまま着いていこうとする桐生の肩を掴み、引き留める。黙って見送るなんてアスカにはできない。
「おい、一馬……!」
「アスカ、錦のことを頼んだぜ」
「けど!お前が……。ノコノコ着いていったらどうなるかわかってんだろ!」
「これが俺なりのケジメだ」
すまねぇな。と言われて、アスカは口をつぐんだ。どうしてこうも桐生は優しいのか。肩を軽く押されて、一歩後退する。
「いつまで喋ってんだ!おら、来いや桐生!」
周りのヤクザが桐生を取り囲み、アスカの視界から桐生が見えなくなる。そしてその背が遠ざかるのをアスカはただ見ている事しか出来なかった。スジを通すためにケジメをつけようとしている桐生を止めるなんて誰ができようか。
「……クソッ」
がしがしと荒っぽく前髪をかき上げて、苦々しげに悪態を吐き捨てると、アスカは重苦しい吐息を吐き出した。
とにかく今は錦山と合流するべきだと考えて、アスカはスーツの胸ポケットからポケベルを取り出して錦山の番号へ数字のメッセージを送る。いつもならすぐに返ってくるのに、こういうときに限って返ってこない。いや、もしかしたらーー。
悪い予感が胸を過った。カラの一坪の件で錦山も命令無視をして、親に歯向かったのだ。桐生は錦山を見逃してくれと頼んでいたが、あの幹部が素直にいうことを聞くようには思えなかった。
舌打ちをしてアスカは足早に歩きだした。手袋を外して行き交う人々の心の声に耳を澄ませる。普段は煩いと思う街の喧騒が今は頼みの綱だ。必死に有益な情報がないか耳で聞き、目で探す。
劇場前から七福通りを東に抜けていく。下らない愚痴、人に言えない文句。アスカにだけ聞こえるコエが鼓膜を叩く。しかし今聞きたいのはそんなんじゃない。
ーーさっきの喧嘩凄かったなぁ!
不意に聞こえたコエにハッとした。目の前を歩く若い女から聞こえた。髪を金色に染めた遊んでそうな女はポケベルを弄りながらアスカの隣を通りすぎていく。
「なぁ!ちょっと、いいか?」
慌てて女に声をかけ、呼び止める。突然呼び止められ、女は不愉快そうにしながらもこちらへ向き直った。完全に不審者だと思われている。
「何よ、アンタ」
「聞きたいことがあって……白いスーツのロン毛の男、見てないか?」
見た目通りのキツめの言葉に気後れしつつも、錦山の事を尋ねてみる。はぁ?と言いつつも女は思案するように首を傾けた。
「あぁ、さっき見た喧嘩にいたかも」
「それ!どこで見たか、教えてくれないか?」
「あっちの駐車場の近く」
あっち、と女は東の方角を指す。この辺りの駐車場といえばあのホストクラブの看板がたくさん取り付けられているあそこくらいしかない。礼もそこそこに向かおうとしたが、女に呼び止められた。
「でもその人、ヤクザみてぇな人に連れられてったからもう駐車場にはいないよ」
「大丈夫!そっから辿れるから!ありがとう!」
辿るって何!?と女の驚く声を背中で受け止めて、アスカは小走りで駐車場へ向かった。女のいう通り駐車場には喧嘩の跡すら残っていない。だが、思念は残っているはずだ。
ざらりとしたアスファルトへ手を触れ、全神経を集中させる。錦山と堂島組の男の顔が視えた。そしてーー
「アイツららしいな……」
言葉は違えど桐生と同じような台詞を錦山も言っていた。互いが互いを大事にしているのがわかって、何となく妬ける。少しだけ表情を緩めて、アスカは立ち上がった。
錦山は千両通りの方に連れていかれていた。あの辺りで人気のない場所といえば、東側のチャンピオン街の空き地くらいだ。よく不良の溜まり場だったり、裏取引の現場になっていて、普通の人なら殆ど寄り付かない場所だ。
急ぎ足でチャンピオン街を駆け抜けて、空き地にたどり着くなりアスカは勢いを殺さずに錦山を取り囲むヤクザへ飛び蹴りを繰り出した。
「ごはぁっーー!!?」
「彰!生きてるか!?」
蹴り飛ばした男には目もくれず、顔を赤く腫らして座り込んでいる錦山の顔を覗きこむ。怪我は酷いが命に別状は無さそうだ。
「アスカ!止めねぇでくれ!俺はケジメをつけるために……」
「そうそう俺ら取り込み中だから……兄ちゃん、邪魔するなら、痛い目見るぜ?」
吐息がかかりそうなほどに顔を近づけてガンつけてきたが、アスカは一切動じずに不敵に笑みを浮かべる。
「約束が違うんじゃないですか?堂島組幹部の横田サン」
「あ?約束だぁ?」
片眉を上げて、意味が分からないという顔をした堂島組幹部の横田に頷く。
桐生の願いをこちらに連絡していないのか、元から約束を守るつもりなど無かったのか。どちらにせよやっぱりヤクザはろくでもない。世良や桐生と錦山、真島は例外だけれども。
「……俺、さっきまで一馬と一緒にいたんだけど……ケジメをつけるために堂島組に連れてかれちゃったんだよね」
「桐生が……!?」
「彰には手を出さないって約束をしてたはずなんだけど……おっかしいなぁ?」
わざとらしく首を傾げた。桐生がケジメをつけるために痛め付けられているならば、当然錦山との約束も反故にしていることになる。
「ははは!約束なんか守るわけねぇだろ!」
その言葉を聞いてアスカは肩を竦めて、肩越しに錦山に振り返る。
「……だってさ彰」
「そりゃ話が違いませんかね……兄貴……」
怒りを滲ませて、錦山はふらつきながらも立ち上がる。ボロボロの錦山を見て横田は鼻で笑った。
「そんなナリでどうするってんだ。大人しく殺られてろ!」
目の前にいるアスカには目もくれず、錦山に殴りかかろうとした横田の手首を掴む。振り払われたりしないように力一杯握りしめて、横田を睨んだ。
「ーー俺を無視してんじゃねぇよ」
アスカの眼光に怯んだ横田は腕を引っ込めて後退する。先程まで錦山に見せていた強気は何処へ行ったのか、堂島組の幹部ともあろう男がカタギにビビるとは情けない。
「彰、動けるか?こいつらぶっ飛ばそうぜ」
「……ったりめぇだ!ナメんなよ!」
十数人のヤクザに取り囲まれても、怖くはなかった。どちらともなく目線を一瞬合わせたら、何だか誰にも負けない勇気が湧いた気がして自然と笑みが漏れた。
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