- ナノ -

龍が如く0

epilog


それなりに有名なお菓子屋の菓子折りを片手にアスカは天下一通りのとある雑居ビルの中へと入った。すっかり時間が経ってしまったが、彼女は俺のことを覚えているだろうか?少々不安を感じながらも、アンティーク風の扉を開ける。

心地のよいジャズミュージックが鼓膜を叩いた。

「いらっしゃーーあら、貴方は……」

「どうもお久しぶりです。その節はお世話になりました」

来客に気づいた女性が顔を上げ、アスカの顔を見て目を瞬かせた。どうやら覚えてくれていたようだ。一礼をして、持っていた菓子折りを手渡す。

「あら、わざわざこんな良いとこのお菓子持ってこなくてもいいのに……高かったでしょう?」

紙袋に書かれたブランド名を見て、彼女は申し訳なさそうに笑う。

「いえ、あの時は本当に助かったので……」

「何だ、お前もここを行きつけにする気か?」

不意にカウンター席で飲んでいた客が口を開いた。聞き覚えのある声にアスカは目を丸くし、その顔を確認する。

「彰!?」

驚くアスカに、錦山はにやりと口元を上げる。まさか錦山もこの店を知っているとは思わなかった。世間の狭さを身を持ってしりつつ、アスカは錦山に促されるままカウンター席へ腰かけた。

「まさか、貴方が錦山くんの知り合いだったなんてね。私、麗奈っていうの、よろしくね」

「俺も驚きました……アスカです」

クスクス笑いながら彼女ーー麗奈は錦山とアスカの顔を交互に見た。

「つーか、お前にゃ色々聞きてぇ事があるんだぞ!ポケベル鳴らしてんのに無視しやがって!」

「悪かったって!ここ1ヶ月、俺も忙しかったんだよ……!」

頭を小突かれてアスカはあたふたと言い訳をしながら、まだ小突こうとする錦山の手を掴んだ。実際、ここ最近はカラの一坪の件で手一杯で溜まりまくっていた依頼を消化するのに追われていた。セレナに来るのが遅れたのもそのせいだ。

「ふふ……最初の一杯は私の奢りよ」

琥珀色の液体の入ったロックグラスが目の前に置かれて、アスカは硬直した。入っているのはウィスキーだろうか?アルコールの匂いが鼻につく。

「おい、アスカ飲まねぇのか?」

見つめたまま、手をつけようとしないアスカに錦山が突っ込んだ。どうやらここにいる全員がアスカの事を成人していると思っているらしい。

ええと、と言葉を濁しながら、アスカは眉を下げ、麗奈を見上げた。

「せっかく出して貰ったのにすみません。俺、未成年なんです」

「は!?」「え!?」

二人の言葉が重なる。驚愕で二人とも口が開いている。そんなに俺は老けて見えるのか。それはそれで少しショックだ。

「こう見えても16歳なんだよ……酒を飲めるのは四年後だな」

「いやいや……何の冗談だよ。どう見ても俺と同じかちょっと上だろ?」

「こんなことで冗談言ってどうすんだよ……」

実年齢を言ったのにあまり信じてなさそうな錦山にため息をつく。

20代前半に見えるのはアスカの格好にも問題があるのかもしれない。着崩れた安い黒スーツ、それに緩く締められた黒いネクタイ……パッと見は社会の荒波に揉まれた一年目の社員ってところだ。

「じゃあ私の奢りは四年後ね!」

「えぇ、四年後よろしくお願いします」

未来の約束にアスカは頷いた。四年後のビジョンなんて想像もつかないが、錦山や桐生とは長い付き合いになりそうだ。

「ーーならこの酒は俺が飲んでやろう」

アスカと錦山の間から灰色の袖が伸びて、ロックグラスを拐っていった。振り返るといつの間に来たのやら、桐生がウイスキーを飲んでにやりと笑う。

「あら桐生くんもいらっしゃい。それのお勘定も貰うわよ?……アスカくんにはソフトドリンクね」

「手厳しいな……」

ウイスキーを飲み干して、桐生はアスカの隣へ腰かけた。約束した訳でもないのに3人が揃った。

「じゃあ……一馬も彰も気になってるよな?俺のこと」

「情報屋って言ってたよな?」

錦山に頷き、アスカは目の前のオレンジ色の液体の入ったグラスに手を伸ばした。

「フクロウ……って聞いたことあるか?」

「フクロウ……?」

「あぁ……ってまさか!?」

一方は首を傾げ、一方はぴんときたようで驚く。前者は桐生、後者は錦山だ。疑問符を浮かべて首を傾げる桐生に苦笑しつつ、アスカは言葉を続けた。

「そのまさかってやつ。俺がその情報屋フクロウだよ」

「マジかよ。あのフクロウがお前とか信じられねぇな……」

錦山がまじまじとアスカの顔を見つめてくる。その視線をこそばゆく感じながら、オレンジジュースを一口飲んだ。甘酸っぱい液体が喉を潤した。

「さっきから、出てくるそのフクロウってのは一体何なんだ?」

「ばっか!桐生お前!情報屋のフクロウって言ったら、普通の情報だけじゃなく、人の思惑まで神室町のありとあらゆる情報を何処からともなく集めてくるって 有名なやつだぞ!?」

フクロウの事を知らぬ桐生に、何故か錦山がアスカの代わりに力説した。しかし、それを聞いても桐生は半信半疑な様で、眉間にシワを寄せて訝しげな顔をしている。

「へぇー!すごいのね、アスカくん!」

「いや……そこまで言われると、なんか恥ずかしいんだけど……」

今までどんな噂をされているのか敢えて調べていなかったが、そんな風に思われていたらしい。少し過大評価され過ぎている気がする。麗奈にも誉められて、アスカは赤くなった頬を掻いた。

「まあ……噂は置いといて、俺は情報屋でさ。日侠連の世良さんは2年前……俺が駆け出しの時から依頼くれててな、この前のカラの一坪の件も色々頼まれてたんだよ」

「……しかし、よく神室町の情報屋になろうと思ったな。2年前となるとアスカは14だろう?」

14歳はまだ子供だ。そんなクソガキの情報屋を救い上げてくれた世良さん。あの頃を懐かしむように、アスカは目を細めた。

「ま、その辺は俺も色々あってよ……どうにかしてお金稼がなきゃって思い付いたのが情報屋だったんだよ」

「思い付くのが情報屋ってのがな……ドカタとか色々あるってのに」

「ま、俺普通じゃなかったからさ」

はは、と乾いた笑い声をあげて、アスカは視線を手元のコップに落とした。

普通ではない自分の能力が嫌になったことも幼少の頃はあった。例えば友達だったと思ってた奴が自分の事を嫌いだったり、好きだった子が気持ち悪がってたり。子供特有のストレートな感情はアスカの心を酷く傷つけた。それでも、アスカがずっと歪まずにいられたのは母のお陰だろう。

「ーーいいんじゃないか?」

「え?」

「普通じゃなくても。アスカが考えて、アスカが決めたんなら」

弾かれたように顔を上げると桐生は優しく微笑んでいた。ほんの少し暗い気持ちになった俺を知って知らずか、桐生の言葉は異質な俺を肯定する物だった。

「……ありがと」

唯一の肉親であった母が死んでから、仕事以外で人と話すことなんてほとんど無かった。だからだろう、自分を認めてくれるその言葉がとても嬉しく感じたのは。

緩む口元を抑えきれず、手で然り気無く隠す。あの日、桐生と錦山に会えて良かった。

「何にやついてんだよ?」

「別に、何でもねぇよ……ただちょっと嬉しかっただけだ」

指摘されて、そっぽを向く。それを見た麗奈と桐生がクスクス笑う声が聞こえて、顔が更に熱を持った。

少し会話が止まり、ラジカセから流れるBGMだけが響く。両サイドの二人もそれなり飲み、アルコールの匂いが漂っている。

カチ、カチーー

「未成年の両脇でタバコ吸うなよな」

ライターの着火音と共にふわりと香るタバコの臭いにアスカは鼻を摘まみながら、両サイドに座る二人を睨む。

「お前もその内タバコ吸うようになるさ」

「四年後のお楽しみって奴だな」

文句を言ったアスカに、錦山がタバコの箱を振りながらにやりと笑った。吸わねーよ!としかめ面をしながら、錦山のタバコ箱をぶん取る。

「麗奈さん、これ捨てといて!」

「おいバカ!やめろって!」

四年後の二十歳の誕生日、強引にタバコを吸わされる事になるとはこの日のアスカは夢にも思わなかっただろう。和やかな笑い声がセレナにずっと響いていた。



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