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龍が如く0

27:焼肉と喧嘩


カラの一坪の騒動から1ヶ月が過ぎた。すっかり神室町は元の落ち着きを取り戻していた。桐生はめでたく堂島組へ復帰し、真島も嶋野組に復帰したそうだ。

アスカは相変わらず情報収集のために気だるげに街を歩いていた。

「痛ってぇ!?」

不意にぐぃ、と後ろで結んだ長い髪を引っ張られた。痛みに顔をしかめながら、掴む手を振り払うように振り返る。

一瞬、目の前の人が誰なのか分からずその顔を凝視したが、着けていた眼帯でそれが真島だと気付いた。キャバレーグランドの支配人の面影は全くない。ポニーテールは切り落とされ、襟足が刈り上げられたテクノカットになっている。インナーもなしにド派手な蛇柄のジャケットを羽織っているせいで、胸元の刺青が少しばかり顔を覗かせていた。

カラの一坪の件など無かったかの様に、久しぶりやなぁと笑う真島に気まずさを感じてアスカは目を反らす。

「真島さん……お久しぶりです」

「なぁーんやねん!?その他人行儀な口調は!」

バシッと結構な力で肩口を叩かれて、体勢を崩しかける。痛みに呻きながら、顔は見ずにぼそぼそと呟く。

「痛ってぇ……俺は真島さんを裏切ったんだ……本当なら合わせる顔もねぇよ……」

「申し訳ない思とるんやったら、俺に付き合えや」

強引に腕を掴まれ、引きずられる。反射的に足を踏ん張り抵抗したが、真島の方が力が強い。無意味な抵抗を諦め、そのまま連れていかれるアスカを周りの一般人がざわつくが、明らかにヤクザの風貌の真島に見て見ぬふりをしてそそくさと逃げるように道を開けていく。分からなくもないが、世知辛い世の中だ。

「どこに行くんだよ……!」

「エエから黙って着いてこいや」

引っ張られるままずるずると七福通り東の辺りまで来る。どうやら真島は韓来に行こうとしているのは掴まれた腕から分かった。ついでに俺に奢らせようとしていることも。

(しょ、所持金幾らだったっけ……)

財布の中身を必死に思い出す。一応少し前にATMから引き下ろしたからそれなりには持っているはずだが、真島はかなり食べそうだ。

「さぁ、今日はたらふく食べるでぇ!」

韓来まで来てようやっと真島は掴んでいた手を離してくれた。レジ前にいる店員に座敷の席へと案内されて、向かい合わせに座る。手渡されたメニューに目を通して、アスカは苦い顔をした。

「韓来って結構……高いんだな……」

どれもこれも四桁だ。辛うじてホルモンとキムチの盛り合わせが三桁だが、それでもいい値段をしている。

「なんやぁ?アスカチャンお金持ってへんのか?」

「持ってはいるけどな……」

ジャケットの内ポケットに入れていた財布を取り出して中身を確認した。諭吉が一応7人顔を並べている。それから幾らかの漱石。必要以上に食べ過ぎなければ足りるだろう……やや心許ない手持ちだけれども。

「足らんかったら俺が払たるわ!……ねぇちゃん!とりあえずメニュー全部頼むわ!!」

「はぁ!?」

無茶苦茶な注文の仕方をする真島に思わず声が大きくなる。何故か店員も慣れているのか、はーいと返事をしてオーダーを取り奥へと引っ込んでいった。

商品が来るまでの少しの時間。沈黙の気まずさに視線を焼き網へと落とす。焼き網の下で青い炎が揺らめいている。

カチッという音と共にタバコの臭いが漂った。

「お待たせいたしました!お肉お持ちしました!」

「おう、待っとったで!腹減って死にそうやわぁ!」

明るい店員の声と、それに返事をする真島はアスカの気まずさを気づいていないのか、敢えてそうしているのか謎だ。皿に盛られた肉を熱された焼き網へ乱雑に放り込まれる。

待つこと数分。白ご飯を片手に真島は焼けた肉をどんどん消費していく。アスカはといえば、あまり食べる気も起きず、赤から茶色へと変わっていく肉を眺めていた。

「……なんやアスカチャン腹減ってないんか?」

「…………なんで俺に構うんだよ。俺は真島さんを騙したんだぞ?」

質問を無視し、単刀直入に問う。わざわざ裏切った俺に声をかけ、つれ回す真島の意図がわからない。

手に持っていた茶碗を一度テーブルに置いて、真島は息を吐き出した。

「そんなことより肉食えや」

真島はアスカの前にある皿へ焼けた肉を乗せていく。どんどん盛りに盛られて小さな肉の山になりかけている上に、生焼けの肉さえも乗せてくる。

意を決した質問をそんなことと一蹴されて、口をつぐんだ。本当に何がしたいのかわからない。肉の山から生焼けの肉を網へと戻して、アスカは静かに肉を食べ始めた。

大した会話もなく、黙々と二人で肉を食べた。大量の肉の大半が真島の胃袋へと消えていった。だらしない姿勢をしながら、真島は爪楊枝で歯間をつついている。

「ふぅ〜腹一杯なったら、なんや身体動かしたなってきたわぁ……よっしゃアスカチャン会計頼んだで!」

長い伝票をアスカに押し付けて、真島は立ち上がった。受け取った伝票の金額を見て、顔がひきつる。キャバレーほどではないがそれなりの金額が表示されている。

上機嫌な真島とは対称的にアスカは暗い表情でレジへと向かった。

(……さよなら、諭吉……)

旅立つ諭吉を名残惜しげに見送り、店員から飴玉を二つ受け取った。

「さぁ次いくで!!」

「まだあんのかよ……」

逃げられないようにだろう。ガッチリと腕を掴まれてアスカはもはや逃げる気力すらない。引かれるがままに真島のあとをついていく。

韓来を出て、七福通りを西へ進む。バッティングセンターに行こうとしているのはもう分かっていた。

場所は変わって、吉田バッティングセンターだ。カキーンという小気味よい音が響く。先程から真島は百発百中だ。備え付けられた硬いブルーベンチに座りながら、その背中をガラス扉越しに見守る。

五回目のピッチングマシンを最後まで打ち終えて満足したのか、真島はアスカへと振り返った。くいくいと手でこっちへこいと合図をされて、アスカは渋々立ち上がり、ガラス扉を開けて中へ入る。

「何なんーー」

かなりの勢いを付けて振られたバットが目の前で止まる。顔までおよそ数センチ。心臓が止まるかと思った。

石化したアスカを見てヒヒヒと真島は笑い、バットをおろしてそのまま立ち入り禁止のグランドへ入っていく。

「アスカチャン……俺と喧嘩せぇや」

バットを自身の手に軽く叩きつけながら、真島は唐突に言った。

「手加減なしの本気の喧嘩や。ちょっとでも手ぇ抜いとったら……ぶち殺すで」

バットの先端をアスカに突き付けて、にやりと真島は笑う。真島がやる気なのは見てわかった。手を抜いたらぶち殺すというのも本気でやるだろう。

目を伏せて、静かに息を吐き出した。

「……あぁ、わかった」

アスカは今日初めて真島の目をしっかりと見返した。手袋を外して、拳を握りしめる。

「ヒヒヒ。行くでぇ!」

その声を合図に真島は地面を蹴った。縦に鋭く振りかぶられたバットを横に避ける。人を傷つける事に一切の迷いのない攻撃だ。

「まだや!」

「ーー知ってる!」

続けて横に一閃。真島が攻撃を繰り出した時にはアスカはすでに後退して攻撃範囲から逃げていた。そして真島がバットを振り抜いた攻撃の隙をついて、蹴りを繰り出す。

「っやるやないか!」

狙いとはずれたが、その衝撃で真島はバットを取り落とした。即座にバットを蹴り飛ばす。いつまでもハンディ付けられてたらアスカも持たない。

「おもろなってきたでぇー!!」

興奮したように目をギラつかせて、荒っぽい攻撃を繰り出してくる真島の攻撃を上手くいなす。相手の感情を読み、最小限の動きで避ける……防御するよりもアスカにはこちらの方が性に合っている。

いなされても、すぐに攻撃を仕掛けてくる真島のしつこさは半端ではない。

「チッ、くそっ……!」

拳が米神を掠める。距離をとるようにバックステップを踏んだ。

次の攻撃が予測できたとしても、相手の動きにアスカがついていけない。そこがアスカの弱点だ。その辺の雑魚なら問題はないのだが、真島が相手となると流石に厳しい。

「ナメんなっ!」

しかし、アスカだってそう簡単にやられるつもりはない。攻撃は最大の防御だ。守りから攻めへと転じる。

地面を蹴り、真島の動きを注視しながら、距離を詰めた。そしてフェイントをかけ、真島の攻撃を誘う。

「俺だってやるときゃやるんだよ!」

想像通り、右腕を振るってきた真島の懐に潜り込み、鳩尾に渾身の力を込めて拳を叩き込んだ。桐生や真島と比べればパワーは劣るかもしれないが、それでも十分なダメージはあるはずだ。

攻撃をくらっても真島は持ち前の身体能力を活かして、素早く受け身をとっていた。追撃は出来そうにない。

「えぇでぇ盛り上がってきたなぁ!アスカチャ〜ン!」

懐に手を突っ込んだ真島に嫌な予感がした。

「バットもえぇけど……やっぱりこれが一番や!」

引き抜いた手には黒地に桜が描かれた短刀が握られていた。短刀を抜き、鞘を投げ捨てる。ぎらりと光る刃に生唾を飲む自分が写った。あんなものを一太刀でも浴びたら、洒落にならない。

「っ殺す気かよ!」

振りかぶられた短刀を何とか避ける。アスカの長い髪の毛が何本か犠牲になった。動きも先程よりも格段に違う。力の限り乱暴に振るっているように見えて、隙のない鋭い攻撃が恐ろしい。鼻先を掠める切っ先に冷たい汗が流れた。

真島が短刀を抜いてから防戦一方しかできず、角へと追い詰められていく。人外じみた動きで攻撃されてはアスカは手も足も出せない。後退するアスカの踵に何かがぶつかった。何かを確認せずに蹴りあげて、凪がれた短刀の前へ突きだす。

ガッーー

最初の方に真島が手離したバットの中程に短刀が食い込んでいる。金属にすら抉りかける短刀の切れ味に唾を飲み込んだ。短刀を力任せに弾き返し、間合いをとった。

「まだまだ行くでぇ!」

「っ!」

肩で息をしながら、真島の猛攻をバットで防いだ。が、その衝撃にバットは耐えきれなかったようで、真ん中から真っ二つに切断された。短くなったバットに呆気に取られてアスカはほんの僅かに隙を見せてしまった。

「やべっ……!」

不味いと思ったときには足を払われて、アスカの身体は勢いよく地面に押し付けられていた。振り上げられた短刀が冷たい光を放つ。あれで刺されたら流石に死ぬだろう。恐怖で咄嗟に目を固く閉じた。



ーードスッ!



すぐ近くで鈍い音がした。薄く目を開ける。首筋の僅か数センチほどの所に短刀が突き刺さっていた。少しでも首を動かしたら刃に当たってしまいそうだ。

「……殺さねぇのか?」

アスカを殺すことなど真島になら容易いだろう。腕に力を入れて横に動かせば終わりだ。

「アホか。アスカチャン殺して何になるねん」

「は?」

「……俺はもう怒っとらん。あの時許したる、言うてたやろ?」

短刀を放り投げて、真島はアスカの隣へと腰を下ろした。地面に転がったままアスカは真島の顔を見上げる。確かにあの時"許す"言ってはいたが、本気だったとは思わなかった。

「じゃあなんで喧嘩仕掛けてきたんだよ……」

わざわざこんな面倒なことをしなくとも言葉だけで十分だったはずだ。スーツも汚れとあちこちが切れていて、もう使い物にならなそうだ。

「理由つけんとアスカチャン戦こうてくれへんやんか」

「当たり前だろ!真島さんなんかにーーいたぁ!!」

言葉の途中でがつんと頭をしばかれた。額を抑えて、涙目で真島を睨む。

「真島さんってなーんやねん!気持ち悪いわ!」

「呼び方くらいで殴るんじゃねぇよ!次から呼び捨てで呼んでやるからな!」

「おっ!ええやないか、名前で呼んでくれや」

意外にも真島は嬉しそうな顔をした。耳元に手を当てて、ほらはよ呼べやと催促してくる。

「……ご、吾朗!……〜っ俺はもう帰る!」

何故か恥ずかしくて、顔を反らしながら怒鳴るように言った。さっと立ち上がり、大股で入り口へと向かう。

逃げようとしたが腕を掴まれて、後ろへ強引に引っ張られた。

「これでもアスカチャンと仲良ぉしたい思っとるんやで?」

「……あーもう!わかったから腕離せ!」

この時ばかりは自身のサイコメトリーを疎ましく思ってしまった。照れから顔が一気に赤くなったのを感じる。

ーーアスカチャンのこと、好きや。

なんて、そんなの。聴こえなくても良かったのに。暫く真島と目が合わせられなかった。


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