龍が如く4
01:梟と狂犬
クラシックの音色と薄暗い店内。行きつけのバーのカウンター席で、軽くコップを揺らす。カラン、とロックアイスが小さな音を立てた。暖かみのある照明の光を受けて、氷がきらきらと輝いているのを眺めていると自分も随分と歳をとったな、と昔に思いを馳せる。
父は記憶にない。中学卒業間近に母が病気で死に。お金もなく高校にも行けず、たった一人で神室町に来て、能力を活かした情報屋を初めてーー世良に会った。そして、真島、桐生、錦山ーーたくさんの人と出会った。同時に、死にも直面した。かくかくしかじかあり錦山に拉致監禁され、拷問を受けた傷痕は今もこの身体に深く刻まれている。それももう5年も前の話だ。100億と共に錦山は死んでしまったが、今も時折あの頃の記憶が蘇り、息が止まりそうになる。
東城会はと言えば、一度は袂を分かった真島が桐生の願いに応じ、再び東城会に戻り堂島の右腕として着いているもののあまり状況はよろしくないらしい。去年だって大吾が撃たれ、幹部数人を失った。桐生の奮闘で、大吾は一命を取り留めたものの東城会の損失は大きい。
大規模な組織だから仕方ないのだろうが、よくこうも次から次へと騒動が起こるものだ。極道だし、野心を持つものも少なくないのだろう。そんな彼らの頂点に立つ大吾の重圧ははかり知れない。
「アスカちゃん、一人でしんみり飲むなんておもろないやろ?」
酒を飲んでいると背後から声をかけられ、隣の空いた席へ男が座る。ちらりと横目でその姿を見るといつもの蛇柄のジャケットではなく、ワインレッドのシャツに黒いスーツを身に纏っていた。
「なんで俺がここにいるってわかったんだ、吾朗」
「花屋に聞いてん」
「花屋の情報を何に使ってるんだよ……」
神室町伝説の情報屋の情報をアスカの所在ごときに使うとは、真島らしい。ひひっと真島は笑いながら、マスターに酒を注文した。
「吾朗とも随分と付き合い長いよなぁー……」
「なんやアスカちゃんジジクサイで?」
「うっせぇよ……実際俺も吾朗もいい歳だろ」
出会った当初は十代だったアスカももう四十路が近い。8歳年上の真島ももうおじさん……どころかおじいさんに片足を突っ込んでいる。
真島の前にも酒が用意され、どちらからともなくグラスを軽くぶつけ合う。
「んで、東城会は最近どうなんだ?」
「……えぇ、とはいわれへんなぁ……」
グラスを傾けながら、真島は嘆息した。疲れたような表情を横目に、ふぅんと相槌を打つ。
真島も建設業が忙しいらしく、その顔は窶れている。峯がいなくなってからは真島が東城会1の稼ぎ頭だ。
「桐生ちゃんもおらへんし、おもろないわ……」
肩を落とす真島の気持ちは分からなくもない。桐生は人を惹き付けるカリスマ性があるし、何より過去の事件の中心には常に彼がいた。
「吾朗は一馬のこと大好きだよな」
「あったり前や!桐生ちゃんみたいなごっつい男、滅多におらんからな!」
桐生のことを話し出すと子供のように目を輝かせる真島にアスカは頬を緩ませる。これ程まで人を惹き付ける桐生は現在、沖縄で養護施設を営んでいる。アスカも忙しいため年に一度程度、旅行でアサガオに顔を出すのだが、元気そうだった。
「あ〜桐生ちゃんのこと考えてたら、喧嘩したなってきたわ……」
「俺は相手しねぇからな」
「相手してくれたってええやんか……」
「もう喧嘩はできねぇんだよ」
吐き捨てるように告げ、酒を呷った。
錦山の監禁は身体だけでなく、アスカの精神をも蝕んでいた。男に腕を捕まれただけでも呼吸が荒れ、身体を動かせなくなる。対面するだけならまだしも、以前のようには動けなくなった。錦山の影がちらついて、アスカの身体を強ばらせる。トラウマが完璧に消え去るにはもう暫くかかりそうだ。
「……情報屋も辞めちまったしよ」
アスカのことを懇意にしてくれていた世良も錦山に殺され、アスカも監禁されてしまい、フクロウという名前はいつしか自然消滅した。もうその名を復活させるつもりもアスカにはない。
最近の主な収入源といえば、スターダストでの手伝いか、失せ物探しの仕事くらいだ。どちらも微々たるもののため、精々小銭稼ぎ程度の収入しかないが、ある程度貯めていたお陰で何とか生活は出来ている。
「折角有名やったのに勿体無いなぁー」
「そこまで有名でもねぇよ……知ってる人は知ってる、ぐらいだったろ?」
「何言うてんねん!充分有名やったで!アスカちゃんの能力は誰にも真似できんのやから……」
力強く言ってくれるのはありがたいが、真島はアスカの力を買い被りすぎだ。苦笑を浮かべ、何も言わずに視線を手元に落とした。琥珀色を見つめて、静かに息を吐き出す。
アスカの力ーーサイコメトリーは物体からだけでなく、握手をしただけでも人の記憶を読み取り、その人しか知り得ぬ情報を手に入れられる。例えば、暗証番号だったり、へそくりの置き場であったり、会話の内容であったり。親しい人以外、その力を知る人はほとんどいない。
「俺にも色々あるんだよ……」
黒い革手袋はアスカにとっては、無くてはならない物だ。これが無いと際限なく、記憶や情報が流れ込んできてしまう。
意識を集中させれば、隣にいる真島の感情すらわかる。
「ま、アスカちゃんが嫌なんやったら、しゃーないな……」
アスカの表情を横目に見やり、それ以上は食い下がろうとはしなかった。空になったグラスを揺らし、マスターを呼んでおかわりを貰う。
新たに用意された酒を一気に呷った。
「はぁー……っ」
がつん、と乱暴にグラスを置く。少し飲み過ぎたらしい。頬が熱いし、酔っている自覚がある。
「なんやアスカちゃん、えらい景気よう飲むなぁ」
「飲まなきゃやってらんねぇよ、サイコメトリーなんて持ってたらな」
見ようと思っていなくとも見たくない部分まで不可抗力で見てしまうのだ。例えば殺意だったり、妬み、嫉妬、その他マイナスの感情はアスカの気持ちまで落ち込ませる。単純に感情だけならまだしも、それが言葉の羅列を成して流れ込んでくるとなると精神的ダメージは更に倍増だ。
それを防ぐための革手袋、というわけだ。
「なぁ、アスカちゃん」
「なんだよ?」
やけに深刻そうな顔で改まる真島にアスカは聞き返す。
「アスカちゃん、ウチの事務所で働かん?」
「……は?」
思いもよらぬ言葉にアスカは理解をするのに暫し時間がかかった。真島の事務所というと要するにヤクザの事務所ということだ。
「どういう風の吹きまわしだよ」
「だってアスカちゃん、今はニートやろ?せやったら、俺のとこで働いてくれたらエエなぁ思て」
「却下」
あっさり、バッサリ。アスカはたった2文字で真島を切り捨てる。というか、誰がニートだ。
不快に顔を歪め、眉間にシワを寄せて真島を睨む。真島はそんな睨みを気にした様子もなく、肩を竦めた。
「何でぇや、アスカちゃんやったら給料奮発するでぇ?」
「組員でもない俺より、西田くんにお金あげろよ」
真島の狂犬ぷりにも耐え、昔から着いてきている西田にはある意味尊敬の念すら抱く。
「つーか、なんで俺を働かせようなんて考えに至ったわけ?」
「アスカちゃん時々、悪人に狙われるやろ?せやから、ウチで働いてくれてたら守れるし、俺の仕事も捗るし一石二鳥やと思てん」
どや、ボディーガード付で一月手取り20万やで?なんて売り込んでくる真島に思わずため息が漏れる。確かに一部人間にはアスカの力を悪用しようと狙ってくる輩もいるが、それも年に一度か二度程度で、わざわざ真島に守って貰うまでもない。
「どんなけ働いて欲しいんだよ……やだよ。俺は時間に縛られないのが好きなんだ」
「えぇ〜そんな嫌がらんでもエエやんか!」
断固拒否を貫き通す。めそめそと泣いたふりする四十代のおっさんに同情する要素などひとつもない。
とはいえ、アスカを心配してくれての言葉なのは伝わっている。
「働きはしねぇけど、事務所に顔出すくらいはしてやってもいい」
「ほんま!?いつでも歓迎やで!エェお茶出したるわ!」
顔を出してやると言えば、泣き真似を止めてぱ、と顔を輝かせる。嬉しそうに背中をバシバシ叩いてくる真島を無視して、アスカは3杯目の酒に口をつけた。
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