龍が如く0
01:遭遇
眩しい日差しに瞼を刺されて、唸りながら目を開いた。カーテンの隙間から朝日がさし込んでいる。寝転がったまま目を擦り、ベッド脇に置いているデジタル時計を確認した。08:03ーーまだ8時になったばかりだった。いつもより少し早く目が覚めてしまったようだ。
ごろりと寝返りをうち、頭の中で今日の予定を思い出す。
(新規依頼は特になし。昨日の件の報告だけ、だな……)
今回の依頼は特に期間を指定されている訳ではないが、早い方が良さそうだ。気だるい身体を起こして、伸びをする。欠伸をひとつしてベッドから降りた。
顔を洗い、歯磨きをしてひとつずつ朝のルーティンをこなしていく。前日に予め出しておいた黒いスーツを身に纏い、緩めにネクタイを締めて、イヤーアクセサリーを着けた。腰ほどまで伸びた長い金髪を後ろで縛る。最後に黒い革手袋をはめて、身支度は整った。
何となくチェストの上に置かれた写真立てを見る。今より少し幼い自分と女性が笑顔で写るそれをそっと持ち上げた。
「母さん……」
ぽつりと呟く。
母は中学を卒業すると同時に死んだ。父は物心つくよりも前からいなかった。頼れるような親戚も知らず、天涯孤独で放り出されたが、意外にも生きていけている。昔は普通じゃないことが嫌だったが、そのお陰でお金を稼げているのは皮肉な物だなと思う。
情報屋を始めて二年。気が付けば"フクロウ"なんて呼ばれていた。恐らく夜にばかり行動しているからだとは思うが、自分でも気に入ってそう名乗っている。
ふ、と息を吐き出すように小さく笑い、俺は写真立てを元の位置に戻した。
「行ってきます、母さん」
外気の寒さに身震いをしたが、今日はまだ暖かい。報告は電話で問題ないだろうし、さっさと終わらせてアルプスで朝ごはんでも食べに行こう。そう決めて公衆電話を探して辺りを見回した。
近くの公衆電話はーー
「おいてめぇ!どこに目ぇつけて歩いてやがんだ!?あぁ!?」
どん、と軽い衝撃と、喧しいほどの怒声。人相の悪い男がこちらをギロリと睨み付けてきた。
確かに少し前方不注意だったかもしれないが、そこまで怒る必要もないだろう。この街の人間は少々血の気が多すぎる。
「あー……いや、すまない」
「謝って済むんなら警察は要らねぇんだよ!」
どこぞの当たり屋のようなセリフを返されて、嘆息する。朝っぱらから面倒な人間に絡まれてしまった。どうしたものか、と後頭部を掻きながら、視線をさ迷わせる。通行人は我関せず、と見て見ぬふりをして通りすぎていくばかりだ。
「じゃあどうしたらいいんだ?」
「治療費だしてもらえますかねぇー!ほら肩折れちまったからよぉ!」
明らかに折れてもいない肩を指して、チンピラはニヤニヤと下卑た笑みを浮かべる。下手に出ていると調子に乗ってきた。お金に困っているわけではないが、こんな奴にお金を払いたくもない。
「悪いがアンタに払う金なんてねぇよ」
「ふざけてんのか、てめえ!痛い目見てぇようだな!!」
当然のように激昂し、チンピラはファイティングポーズをとる。実力行使。その方が分かりやすくてありがたい。同じように戦おうと姿勢を低くした。
「おい」
一触即発の俺達を止めるかのように低いバリトンボイスが割り込んだ。俺と同じように黒いスーツに身を包んだ、体つきの良い男がこちらを見ている。
「ウチのシマで面倒を起こすな」
「あぁ?なんだてめぇ!邪魔するんならてめぇからやってやる!!」
割り込んできた男に、止める間もなくチンピラが殴りかかる。スーツを着た男は半身になって拳を避け、チンピラにカウンターで拳を打ち込んだ。殴られたチンピラは面白いほどにぶっ飛び、地面に転がっていく。
「まだやるか?」
ごきり、と拳を鳴らし、チンピラを見下すスーツの男の眼光は鋭い。頬を赤く腫らしたチンピラは怖じ気づいたように、にじりにじり後ろへ退く。
「ひ、ひぃ……す、すみませんでしたぁ!!!」
スーツの男が一歩踏み出した瞬間にチンピラは情けない悲鳴をあげて、物凄い勢いで立ち上がるとどこかへ走り去っていった。後に残されたのは俺とスーツの男だけだ。
まさかこの町にもこんな助けに入ってくれるような優しい人間がいるとは思いもしなかった。ゴミみたいな手を汚したがらない人間ばかりだと思っていたが、またまだ捨てたものじゃないらしい。
スーツの男はチンピラを倒した後、こちらには目もくれず、立ち去っていた。
「あ、ちょっと……」
人混みに紛れそうになったその背中を反射的に追いかける。流石に助けてもらって礼も言わず、なんてポリシーに反する。
「なぁ、アンタ!」
「おい、桐生!」
呼び止める声が重なった。ぴたりと足を止めるスーツの男。踵を返して振り返ったスーツの男がこちらを見たーーいや、少し視線はずれている。俺の横をえんじ色のスーツを着た長めの髪の男が通りすぎて、スーツの男ーー桐生へ歩み寄った。
「朝飯食いにいくんだろ?一緒に食おうぜ」
「あぁ。行こうか」
此方など目にもくれず、知り合いと話している。そのままどこかに行きそうな彼らに慌てて声をかけた。
「なぁ、アンタ!ちょっといいか!」
「あぁ?誰だこいつ……」
桐生ではなく、もう一人の男が反応し、訝しげな視線でこちらを見下ろしている。桐生は先程の事などもう頭になさそうな表情だ。この距離になってようやっと彼らの胸元に付いているバッジに気付いた。
東城会堂島組。関東では最大規模の極道の組だ。彼らはその下っぱのようだ。
「さっき、そっちの兄さんに助けてもらったんだ。礼を言いたくて……」
「だとよ、桐生?」
「そんなことは知らないな」
ふぃ、と視線を反らす桐生に、俺は眉間にシワを寄せる。どうやら礼はいらないという意思表示のようだが、それではこちらの気が収まらない。
そのまま立ち去ろうとする桐生の腕を掴み、引き留めた。
「待て!せめて飯奢らせろ!」
もはやお礼の押し付けである。そのやり取りに桐生の連れの男がはははと声をあげて笑った。
「折角だし奢られてやったらいいんじゃねぇか?」
「連れの分も奢るから!な?」
しつこさと連れの男の後押しもあり、桐生は渋々頷いてくれた。
場所は変わって、ピンク通りの近くにあるラーメン屋。テーブル席で3人、向かい合って座っていた。
「俺はアスカって言うんだ。アンタらは?」
「桐生一馬だ」
「俺は錦山彰ってんだ。アンタ、その金髪といい青目といい……外人なのか?それにしちゃ偉く日本語が上手いな」
とりあえず互いの名前もわからないのは不便だ。自己紹介をすると安定の質問が返ってくる。
「ハーフだよ。日本生まれ日本育ちだから、英語は喋れねぇんだ」
金髪と青目を見てよく聞かれるのだ。しっかりと英語が出来ないことも付けておく。
「なんだそりゃ!見かけ倒しじゃねぇか」
「うるせぇ、別に良いだろ?」
ぷい、と視線を反らすアスカを見て、錦山はからから笑う。
年齢的には彼らの方が少し上だろうか?スーツの胸ポケットにタバコの箱が覗いているところを見るに、20才は越えていそうだ。
「そいや、桐生さんも錦山さんもーー」
「ちょっと待て、何だよそのむず痒くなる呼び方は……呼び捨てでいいんだよ。な、桐生」
さん付けで呼んだのが気に入らなかったらしく、錦山は眉間にシワを寄せた。同意を求められた桐生はラーメンを啜りながら、曖昧な返事をしている。桐生はどっちでも良いのだろう。
「なら、そうだな……一馬と彰って呼んでいいか?俺のこともアスカって呼んでくれよ」
「おう、いいぜ」
気のいい返事にアスカも笑う。彼らとは偶然出会った関係なのに、とても話しやすい。
「一馬も彰もいい人なのにヤクザなんだな」
「悪いか?」
「いや、別に悪かねぇよ。俺はヤクザだなんだで人を判断するつもりはねぇからな」
その言葉にへぇ、と錦山は面白そうにアスカを見た。世の中には極道だからと、差別するような人間もいる。桐生も錦山もそれなりに偏見を受けてきただろう。
「お前中々良い奴だな」
「そういう一馬も良い人オーラが出てるよな。不器用だけど良い人だっていうの、ちゃんとわかるよ」
シマだから、とか理由をつけてはいるが、中々出来ることではない。争いをシマで見かけても無視する極道だっている。
「そ、そうか……?」
アスカに誉められて桐生は照れたらしくどぎまぎした。その反応にアスカは笑って、更に言葉を続ける。
「そんな一馬と仲良いんだ。彰も優しい人なんだろ?」
「あぁ」
「なんていうか、改めてそういうこと言われると照れるな……」
桐生に続いて錦山の事を言うと、彼は恥ずかしそうに頬を掻く。そんな錦山にアスカは目を細めて、自分の目の前に置かれた醤油ラーメンを啜った。
それから食べ終わるまで色々な会話をして楽しい一時を過ごした。それから桐生と錦山とポケベルの番号を交換して、また会おうな、と言うと彼らは笑ってくれた。
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