- ナノ -

龍が如く2

03:社燕秋鴻


昔と変わらぬ緑色の看板に白地で書かれた文字を目でなぞった。

「ほぐし快館、か……」

懐かしいよりも、ほろ苦い記憶が蘇る。場所も変わらないのが何とも言えない。李にマコトに佐川、世良──今はもう会えない人を思い出してアスカは目を伏せた。

「……ほな、行こか」

「あぁ」

真島に促されて、ほぐし快館に足を踏み入れる。階段を上がりガラス戸を開けると、薄い桃色をした施術服を纏った受付が此方に気付いて挨拶をした。外観と同じく内装も何一つ変わらず、あの時のままだ。

「あぁ、いや、ちょっと聞きたいことがあってなぁ……」

施術内容を訊ねてくる受付を遮り、川村の写真を見せる。雀荘ついでに通いつめていたのなら何かしら情報が得られるかもしれない。そんな淡い期待ではあったが、彼女の反応は予想に反して良いものだった。

「あぁ……川村くんですか?私よく担当させていただいてましたよ」

「ホンマか!」

「えぇ。といっても……前に来たのはかれこれ一年前くらいになりますけどね」

一年前、というと川村が真島組に入った頃だ。これは何かいい情報が貰えそうだ。何か覚えていることはないか?と真島が追及する。

「うーん……あ、そういえば、川村くん、最後に店に来た日に気になることを言ってたんですよねぇ」

「気になること?」

「はい。川村くん、上の雀荘でいつと麻雀していたんですけど……最後に店に来た日、借金が全部チャラになった!って喜んでたんですよ」

「チャラ?」

肩代わりをしてくれる人が見つかったとか。それでその人と共に神室町に行ったとか。ますますキナ臭い。これは間違いなく誰かに買収されて、真島組を嵌めようとしたのだろう。

「……助かった。姉ちゃん、ありがとな」

知りたい情報を聞けて、そのまま店を出ようとした。ら、呼び止められた。

「……それでお客さん、何分コースですか?」

「ん?あぁいや、マッサージはえぇわ」

断った瞬間、受付が頬を膨らませて口を開く。

「えぇ!?折角なんで、うちのマッサージ受けてくださいよ!こんだけ色々話させといて、何も無しですか!?こっちは個人情報保護とか厳しい中で色々話したっていうのに!」

ノンブレスでぐいぐいとくる受付に真島もアスカもたじたじとする。こんな眼帯、半裸蛇柄ジャケットと金髪相手に商魂逞し過ぎてビックリだ。確かに情報を聞くだけ聞いて帰るのもよろしくはないとは思うが。

「じゃあ吾朗だけやってこいよ、凝ってるだろ?」

「そんなこと言わずにどうぞお兄さんも……」

「俺、対人恐怖症で人に触れられるのダメなんです。すみません」

しれっと恐怖症を盾に施術を拒否する。じゃあ仕方ないですね〜と引き下がった受付にアスカは内心でガッツポーズをした。真島が半目で睨んでくるがそ知らぬ顔をする。

奥の施術室に連れていかれた真島を見送って、アスカは待ち合い用に置かれていた椅子に座る。手持ち無沙汰に携帯を弄っていると受付をしていた看護婦とは別の看護婦が従業員室から出てきた。

「こんにちは」

声をかけられて顔を上げた。その顔を見てアスカは目を見開いた。

「ぁ……こ、こんにちは」

「?……ごゆっくり、お待ちくださいね」

アスカのどぎまぎした態度に彼女は不思議そうに首を傾げたが、穏やかな愛想笑いを浮かべて、真島のいるカーテンの向こうに消えていった。

驚いた。まさかあの子が……マキムラマコトが未だここで働いていたなんて。先程の反応から察するにアスカのことは覚えていないようだ。もう十八年も前のことだし、それにあの頃の彼女は目が見えていなかったのだからそれも仕方ない。少し落胆はしたが、それよりも会えた事が、元気でいてくれた事がなにより嬉しかった。

カーテンの奥で真島の押し殺した悲鳴が聞こえてきてアスカは思わず吹き出し笑いをしそうになる。必死で声を出さないようにしているのだろうけれども、痛すぎて声が漏れてしまっているようだ。ここが外だったならアスカはきっと大笑いしていただろう。

三十分後。無事と言っていいのか分からないが施術が終わり、ちょっと気疲れした顔の真島が出てきた。弄っていた携帯をポケットに直し、アスカは椅子から立ち上がった。

「──あ!お客さん!」

マコトに呼び止められて、アスカと真島は足を止めた。真島の出で立ちが怖いからか、少し緊張した面持ちでマコトは何かを差し出す。

「これ……うちの会員カードです。どうぞ」

ほぐし快館の会員カードのようだ。真島は暫し黙ったまま差し出されたカードを見つめていたが、やがてゆっくりとカードを受け取った。

「あの……以前どこかでお会いしましたっけ?」

訊ねられて、真島は肩越しに振り返った。しかしマコトとは目を合わさないようにわずかに俯いている。そして、無言のまま首を横に振った。本当の気持ちを隠して、真島は優しい嘘をつく。

最後まではっきりと言葉を喋ろうとしない真島に苦笑を浮かべてアスカは「行くか」と声をかけた。マコトから視線を外して頷く。

「あ、あの!お身体……ラクになりましたか?」

歩きだした背中に再び問いが投げ掛けられる。真島は振り返らず、やっと一言、独り言のようにポツリと漏らす。

「お陰で十八年もののコリがとれたわ」

真島の言葉を聞いてマコトは表情を明るくさせて頭を下げた。

「ありがとうございました!」

あの頃はほとんど見れなかった笑顔が見れた。きっとマコトは今幸せなんだろう。それだけで俺も良かったと、幸せを噛み締めれた。

「こっちこそ、ありがとな」

顔を上げたマコトへ手を振って、アスカはほぐし快館を出た。



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