- ナノ -

龍が如く2

01:狂犬襲来


2006年2月。東都大学医学部附属病院。

あの事件から二ヶ月が経った。白を基調とした無機質な部屋でアスカは過ごしていた。爆風に巻き込まれてついた傷はすっかり治ったが、閉所恐怖症、対人恐怖症等、心的外傷が酷く入院を余儀なくされていた。

カウンセリングのお陰である程度はマシになったものの、自分も男だというのに男に近付かれると度々過呼吸を起こしそうになる。自分の弱さが心底嫌になったが、カウンセラーの的確なアドバイスで元気付けられた。

カーテンを引き、窓を開ける。澄み渡る青空を見上げて深呼吸をした。朝の冷えきった空気が肺を満たす。気持ちの良い朝だ。

「ふぅーいい天気だな……」

部屋の換気をしてから、窓を閉じた。壁に掛けられたシンプルな時計を見る。もうそろそろ朝食が運ばれてくる時間だ。大病院の、それも個室の病院食ともなればその辺の定食屋よりも美味しいご飯が出てくるので、毎回地味に楽しみなのだ。今日のメニューは何だろうなと考えつつ、ベッドに戻った。

──すみません!ここの部屋は面会謝絶で……!!

「……ん?」

朝っぱらから廊下が騒がしい。何事かと首を傾げて、扉を見つめる。何やら走る音と何かをぶつけるようなけたたましい音が一頻り続いて、ぴたりと止んだ。

「何だったんだ……?」

急に静かになってそれはそれで不安になる。廊下を確認するべきかどうか、悩む。──と、その時だ。今までにない大きな音が響き渡った。

「アスカチャーーーーーン!!!蒼天堀行くでぇ!!!」

「ひぇ!?」

扉が弾けとんだ。比喩ではなく、文字通り弾けとんだ。爆発でも起きたのかと思うほどの騒音にアスカは心臓が止まりそうになった。向かい側の壁に当たって、がしゃんと倒れた扉を呆然と見つめる。

「こーんな、つまらんとこに缶詰めなってたら治るもんも治らんわ!」

胸を押さえ顔を青くさせているアスカを気にもせず、ずかずかと病室に入ってきて病室を見回して吐き捨てた。担当の看護婦が入り口のところでおろおろとしているのが見える。確かに茶色いシミの付いたバットを片手に持った眼帯の男なんぞ怖すぎる。

「ご、吾朗……何しに来たんだよ……?」

未だに心臓が喧しく脈を打っている。吃音しながらも、訊ねると真島は大股でこちらへ歩み寄るとにまりと口角を上げた。いきなり接近されてアスカは仰け反るようにして距離をとる。

「ええから行くで!」

「……ごろ……や、やめ──」

「ちょ、ちょっと待ってください!フェザーストンさんはまだ心的外傷があって……!」

アスカの腕を掴み無理やりベッドから引き摺り下ろそうとする真島を見て、ようやっと看護婦が勇気を出して間に入ってきた。腕が離れてほっと安堵する。知り合いなのにかなり恐怖を感じてしまった。

腕を擦りながら、カタカタと小刻みに震える身体を何とか抑えようとするが意味はなく、呼吸もうまくできない。

「大丈夫ですよ、びっくりしましたね。落ち着いて深く呼吸をしてください」

看護婦が振り返り、青ざめたアスカに声をかける。吸って、吐いて、と言う声に合わせて呼吸をすると徐々に震えが治まった。

「悪い、吾朗……驚かせたな……。俺、すっかり弱くなっちゃって……」

眉を下げ、困ったように笑って視線を落とす。体力もすっかり衰えてしまって、昔のように戦うこともできない。真島の求めるような強いアスカはもういないのだ。

「もう情報屋も辞めるつもりでさ、次の仕事どうしようか考えてんだ」

こんなんじゃ自分の身を守ることも出来ない。危険と隣り合わせの極道組織相手の仕事をするのは荷が重すぎる。幸い錦山に囚われていた数年でフクロウの名はすっかりと廃れて、代わりにサイの花屋という情報屋が今は有名らしい。こっそりフェードアウトしても問題はないだろう。

折角世良と共に積み上げてきたものを捨てるのは少し寂しいものもあるけれど、仕方のないことだ。

「ごめん……情けない姿見せて」

傷だらけの手を握りしめて、何度も謝罪を繰り返す。顔を見れなくて俯いていた。

「アスカちゃん……」

「…………」

「……行くで、蒼天堀!!こないな所におるからあかんねん!」

「はぁ!?」

あの真島が大人しく引き下がってくれる筈がなかった。一応一定の距離を保ってくれているあたり、ちゃんと話は聞いているみたいだが。

「ネェちゃん!アスカちゃんは今日で退院や!」

「えぇ!?そんな勝手に言われても困ります!」

「ワシが退院言うたら、退院や!アスカちゃん、はよ起きんかい!」

ぎゃあぎゃあと病室で騒がれて、外も人が集まって来ている。こうなったら真島は反論を受け付けてくれない。頭が痛くなりそうな事態にアスカは頷かざるを得なかった。

ため息混じりにベッドから出ると、真島は嬉しそうに笑った。




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