龍が如く4
10:遅すぎたヒーロー
殴られた頬が痛む。情けない話だが、あれだけカッコつけたにも関わらず、敢えなく城戸に敗北した。
「あー……くっそダセェ……吾朗に顔向け出来ねぇ……」
冷たい大理石に仰向けに倒れたまま、がしがしと前髪をかき揚げた。
身体を起こせる気力もなく、そのまま倒れていると足音が近づいてくる。首だけを動かして入り口を確認した。
「一馬……」
桐生はボロボロになったアスカ達を見て目を見開き、駆け寄ってきた。のろのろとアスカが身体を起こすと、花屋も同じように起き上がり、デスクに上体をもたれ掛からせる。
「来んのが遅いんだよ、桐生」
肩で息をしながら、花屋は悪態をついた。確かにもう少し早く桐生が来てくれれば、冴島を助けられたかもしれない。
痛みに顔を歪めながら、アスカは座り込んで息を吐き出す。
「あぁ……痛ぇ……」
アスカのぼやきをかき消すように、騒々しく扉が開き、男が二人駆け込んでくる。初めて見る男と、もうひとりはスカイファイナンスの秋山だ。二人とも死屍累々の部屋を見回して、言葉を失っていた。
「一体、これどうなってんの?」
「上野誠和会……葛城が襲撃してきたんだよ……」
秋山の漏らした疑問にアスカが答える。その声に秋山は驚いたようにこちらを見た。
「それで、靖子さんは?」
「連れてかれちまったよ……葛城と城戸ってヤツに」
青いジャケットの男の問いに花屋が答える。城戸の名前が出て、秋山が表情を僅かに変えた。そういえば、城戸は秋山と知り合いだったなと思い出す。
「クソッ!どうなってんだよ……!」
悪態が虚しく響く。アスカは痛みに慣れてきた身体を動かして立ち上がった。
後悔をしても冴島兄妹が連れ去られた事実は変わらない。今こうしている間にも時間は進んでいるのだ。アスカ達に出来ることは冴島兄妹を助ける作戦を練り、実行することだけだ。
「ここは俺に任せて、一馬はセレナに戻って冴島さんと靖子ちゃんを助ける手段を考えてくれ」
「あぁ、分かったが……ひとりで大丈夫か?」
ボロボロの姿を見て、心配そうな顔をする桐生に問題ない、と小さく笑みを浮かべて返す。
傷は痛いが、骨折や酷い切り傷があるわけではない。それに、最後に戦った城戸は真意までははっきりと読み取れなかったが、かなり手加減していたようだった。
「闘技場の医者もいるし、平気だって」
「ならいいが……」
なおも不安げな様子の桐生の背中を思い切り叩いてやる。びくともしない桐生の代わりに、叩いたアスカの手の方が痛んだ。
「いてて……ま、もう上野誠和会も来ないだろうし、作戦会議、後ろの二人とやってこいよ」
後から俺も行くから、と言えばようやっと桐生は動き出した。ふたりと二言三言交わしてから、三人は部屋を出ていく。
その背を見送ってからアスカは行動を開始した。
ーーーーーー
「よぉ、作戦会議は順調?」
怪我をしていた花屋や真島組の連中の手当てを終わらせて、アスカはセレナへ顔を出した。いち早く来店に気づいた伊達がよう、と挨拶をする。
桐生と秋山、それから初対面の男がひとり。軽く手をあげて、空いているカウンター席へと腰かける。
「伊達さん、水をくれないか?」
「おう、ほらよ」
目の前に置かれた水を一気に飲み干して、一息をついた。疲れた身体に冷たい水が染み渡る。
「一から話した方がいいか?」
「いや、いい。粗方わかった」
桐生の申し出にアスカは頭を振った。つい先程の会話程度なら、手袋をしたままでも呼吸をするのと同じくらい簡単な読み取れる。机に軽く触れれば声まで聞こえてきそうだ。
アスカと桐生の会話に秋山ともう一人ーー谷村が不思議そうな顔をする。確かに何も知らない人からすれば妙な会話だろう。
「アスカくん、怪我は大丈夫なの?」
「まあ、ぼちぼちだ……あーっと、初対面の人もいるし、ちゃんと自己紹介しとくか……。俺はアスカ・フェザーストン。人探しの依頼で真島組と一緒に居ただけでカタギの人間だ」
秋山の問いかけにちらりと谷村を見てから、自己紹介をした。喧嘩が出来ないこともきちんと付け足しておく。
「俺は谷村正義。警察です」
「谷村くん、よろしくな」
席が離れているため、握手の代わりににかっと笑って軽く手を振った。
警官に、金貸しに、元ヤクザに、元刑事の新聞屋に、元情報屋。変わった職業の面子が集まる事などそうそう無いだろう。
「しかし、警視庁副総監が敵とはね……」
正義であるはずの警察がそんなことをしているとは世も末だ。ヤクザである桐生の方がよっぽど正義感があり、正しい事をしているように思える。
副総監、宗像征四郎は後に倒すとして、今は葛城に捕らえられている冴島兄妹を助けるのが先だ。もうすでに桐生が電話をして一応葛城との交渉は済んでいるようだ。ちゃんと取引が出来ればよいが、嫌な予感がする。何事もなく終わって欲しいものだ。
「ところで一馬、ひとりで大丈夫か?」
「あぁ、問題ない。二人とも俺が助けるから、心配するな」
力強い桐生の言葉の安心感はすごい。アスカはふ、と笑みを浮かべた。
「ちょ、ちょっと待ってください。何で俺らのさっきの会話の内容わかってるんです?」
二人の会話を聞いていた谷村がぎょっとしたように疑問を投げ掛けてくる。この場に居なかった人間が当たり前のように会話の内容を知っていたら確かに怖いだろう。理由を知っている伊達と桐生はもう慣れた様子だ。
「ん〜どうしようかな」
隠すような物でもないが、大っぴらに口外することでもない。しかし、同じ目的で行動を共にしているし、彼らは悪人ではないと分かる。
にまりと口角をつり上げて、不敵に笑いながらアスカは口を開いた。
「サイコメトリーだよ」
「は?まさかそんな非科学的な……」
怪訝な表情を浮かべたのは谷村だけでなく、秋山もだった。予想通りすぎる彼らの反応にアスカは苦笑する。
「そりゃそうだよな……なら一個言っとくと俺は秋山さんが1000億持ってたの、出会ったときから知ってたぞ?」
当然、隠し金庫の場所も。なんて言っても二人ともまだまだ信じてなさそうだ。疑いの眼差しに貫かれて、アスカは伊達にもう一杯水を要求しつつ、肩を竦める。
どうすれば信じて貰えるか考えながら、新たに水が注がれたグラスを受け取った。
「なら、何処に金庫があるか答えてくれる?あれは俺と花ちゃんしか知らないはずだから」
「本棚の後ろだろ?もっと言うなら六法全書の後ろにスイッチがある。それよりもパスコードくらいは付けとくべきだと思うけどな……」
迷いなく答えたアスカに秋山はぽかりと口を開けた。その拍子にタバコがポロリと口からこぼれ落ちる。イケメンの間抜けな顔にアスカは笑いながら、水を飲んだ。
金庫の話をしてふと思い出す。
「そういや、あの城戸って男、よくわかんないよなぁ……」
「城戸ちゃん?どうして?」
「いや、ちょっと……何となく」
顎に手を当てながら、城戸の事を考える。以前城戸に触れたとき、彼はとても迷っているようだったが、秋山を裏切って上野誠和会に寝返るような雰囲気ではなかったのだ。しかし、賽の河原で見た城戸は葛城の命令に従っていた。よく分からない。
あの時もう少しちゃんと読み取っていれば良かったと後悔して、小さくため息をついた。
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