隣のクラスの錦山くん
卒業式
季節は春。出会いと別れの季節だ。
もうこの学校に来るのもこれが最後なのだと思うと何だか感慨深い物がある。皆思い残す事が無いようにとそれぞれ友達と思い出を語り合っていた。
忘れ物が無いように、と私はもう一度机の中を確認した。問題はなさそうだ。椅子に座ったまま私はぼんやりと虚空を見つめる。
「私、錦山くんから第2ボタン貰いたいなぁー!」
「えー!私もほしいよ!」
「私頼みに行ってくる!」
「あ!抜け駆け禁止!!」
側にいた女子がバタバタと教室を飛び出していく。その背中を見送り、私は項垂れるように机にべたりと顔をくっ付けた。
錦山くんは進学はしないらしい。孤児院暮らしだし、それは仕方のないことなのかもしれない。卒業と同時に働くようで、就職先をそれとなく聞いてみたが濁されてしまった。
欲を言うなら錦山くんと高校生をやりたかった。もう校舎で錦山くんの姿を見れないのだと思うと淋しさで胸がいっぱいになる。
重苦しいため息を吐き出して私は鞄を持ち、立ち上がった。最後に思い出の校舎を一周して帰ろう。そう考えて私は賑やかな教室を後にした。
体育館、家庭科室、美術室、音楽室、保健室──最後はここだ。ドアを押し開けると冷えた風が通り抜けた。まだ肌寒さを感じさせるそれに身震いしながら、屋上に出た。フェンス越しに校庭を見下ろす。校門をバックに生徒が写真を撮っているのが遠くに見えた。
「今日でお別れ、か……」
ぽつりと呟いた言葉は風に拐われて消えていく。ここに来る途中、隣のクラスを覗くと錦山くんはたくさんの女子に囲まれていた。あの中の誰かが錦山くんの第2ボタンを貰うのだろう。本当は欲しかったけれど、私なんかが貰えるわけがないのだ。
「あー……」
何だか泣きそう。ここに来たのは失敗だったかもしれない。独りだと余計に淋しさが増すような気がした。
「よう。こんな所で何してんだ?」
心臓が跳ねた。身体も跳ねていたようで、掴んでいたフェンスががしゃんと軽い音を立てる。振り返るとそこに錦山くんがいた。
「にににににしきやまくんっ!」
もはや安定すぎる私のそれに、錦山くんがそばに歩み寄りながら声を上げてからからと笑った。
「どんだけ"に"つけるんだよ」
「いつも驚かせるから……!!」
「お前が勝手に驚いてるだけだろ。人のせいにすんなっての」
それと同時にコツンと額を小突かれる。かなり手加減をされていて全然痛くないのに、反射的に痛い、と声が出た。額を両手で押さえて、俯く。こうして下らないじゃれあいをするのも、話をするのもこれが最後になる。それを考えると今にも泣いてしまいそうだった。下唇を噛んで、涙を飲み込んだ。
「錦山くん」
できる限り明るく作った声は少し震えていた。
「ん?」
「私……私ね」
最後に言いたい事を言わなきゃ。そう思っているのに、言いたい事があるのに、上手く口が動かない。たった二文字。"好き"という言葉だけがどうしても言えなかった。
たまらず錦山くんに背を向けて手が痛くなるくらい、フェンスを強く握りしめた。私はもう瞼の裏まで来ている溢れだしそうな物をぐっと堪える。
「なぁ……手、出せよ」
「え、うん……」
言われるがままに片手を錦山くんの目の前に差し出す。
「ほらよ」
軽い何かが手のひらに落とされた。小さな丸いブロンズ──手の中に転がったのは学ランのボタンだった。はっとして顔をあげる。
「それ、やるよ」
「これ……!」
錦山くんの学ランの二個目のボタンがない。つまりはそういうことだ。驚きすぎて涙は奥へと引っ込んでいた。
「何で……私なんかに……」
「バーカ。"なんか"とか言うなっての。お前だから渡すんだよ」
「わたし、だから……」
言葉の意味を考えていると乱暴に頭をかき回された。卒業式のためにいつもより丁寧に整えていた髪が一瞬にして乱れる。文句を言おうとして──止まる。真剣な顔をした錦山くんがいたから。
「──好きだ」
それは、思ってもみない告白だった。
「いつか俺が……ちゃんと胸張って強ぇ男になったら、必ず迎えに行くからよ。だから……待っててくれ」
「ぅ、うん。待ってる……私、わたし……ずっと待ってる……!」
ボタンを握りしめて、何度も何度も頷いた。幸せな夢を見ているんじゃないかと何度も思ったけど、痛いくらいに握り締めたボタンの感覚が夢じゃないと主張している。
「──すき。わたし……私も、すき、だよ」
先程までの迷いは何処にもなかった。するりと口からこぼれ落ちる、ずっと伝えたかった二文字。
「知ってる」
「っ!」
ビックリするくらい錦山くんの笑った顔が近くて思わず、目を閉じる。閉ざされた視界で錦山くんの吐息がより一層リアルに感じて、心臓がドクドクとうるさいくらいに脈打った。
唇に触れる、少しかさついた温もりにほんの少し涙が溢れた。
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