- ナノ -

隣のクラスの錦山くん

体育祭


体育祭、なんて物を一体誰が考えたのだろう。そんな事を思いつつ、トラックを走るクラスメイトをぼんやりと眺めた。運動部でもなく、なんなら人より運動が苦手な部類の私にとって、体育祭はマラソン大会に次いで嫌いなイベントのひとつだ。

雨よ降れ。という私の細やかな呪いが空に通じるわけもなく、今日は雲ひとつない快晴となった。ムカつくくらいの晴天の青が目に痛い。
学年毎クラス別に用意された座席に座り、私は乾いた喉を潤すためにペットボトルを傾けた。太陽光で温められたそれは少し生ぬるく、あまりいい喉越しではなかった。
私の出番はとっくに終わり、今は下級生の種目だ。結果については──可もなく不可もなく、といった所だ。最下位では無かったことだけ、安堵した。

「一年ファイトーー!!」

「頑張れー!!いけるいけるー!!」

クラスの中心である女子グループが最前列を陣取って、大声で声援を送っている。その姿を元気だなぁと、やや他人事のように眺めつつ、ちらりと隣のクラスの席に視線を移した。

(あ。錦山くん)

──と桐生くん。二人とも不良だから、体育祭は不参加だと勝手に思い込んでいたけれど、意外にもちゃんと来ているようだ。体操着姿の錦山くんは気だるげに椅子に座り、時折桐生くんと話しながら競技を見ている。今日もしっかりカッコいい。脳内シャッターをばっちり切りながら、私はひっそりと笑った。

「まーた、錦山の事見てる!」

「うわっ!?びっくりさせないでよ!」

突然、声と共に背中に衝撃が走り、私は肩を跳ねさせる。振り返るとそこには悪戯っ子のように笑みを浮かべている友人がいた。体育委員である彼女は今朝から色々と忙しそうに走り回っていたのだが、ここに戻って来たということは用事は一通りすんだのだろうか。

「あはは!あんたってすぐ驚くよねぇ」

「突然声掛けられたら誰だって驚くから!もぉー……」

「はいはい。そうかも。そんなあんたに朗報!錦山は借り物競争に出るって」

むすりとする私の言葉をあっさりばっさり受け流し、彼女は体育委員の権限で手に入れたらしい情報を教えてくれた。朗報かどうかは置いておいて、錦山くんが出るなら私も前に行って応援したい。私の応援なんて錦山くんは求めてないだろうけど。

「じゃ、私委員の仕事あるから!じゃあね!」

仕事の合間にわざわざ教えに来てくれたらしい。駆けていく背中に感謝しつつ、私は立ち上がって前をみた。騒がしいあの女子グループの垣根を越えるのは至難の技だ。私にはとても出来そうにない。借り物競争が始まるまでに何とか最前列を確保したいのだけれども。

「おい、お前」

どうしようか、と椅子の間をうろうろとしていると声を掛けられた。隣のクラスの方からだ。

「あ、えっと……桐生くん。何?」

「……」

いつも錦山くんと一緒にいる桐生くんが私の方を見ていた。聞き返すと桐生くんは黙りこむ。何か考え込んでいるのか険しい顔をしている桐生くんを見つめていると不意に手招かれた。

どうやら、こっちへ来い、と言いたいようだ。戸惑いつつも手招かれるままに桐生くんのそばへ行く。

「ここ、座るか?」

「え……」

"ここ"と指し示されたのは錦山くんの席だ。今は次の種目の準備のため、錦山くんの席には誰もいない。確かにここなら最前列だし、競技を良く見ることが出来そうだ。

「その……嫌ならいいんだ。錦が次の種目に出るからな。お前が見たいんじゃないかと思って……」

「見たい、けど……どうして?」

わざわざ桐生くんが私を呼んでくれる理由がわからなかった。

「………………」

「ええっと……!じゃ、じゃあ隣、座らせてもらうね!」

再び難しい顔をして沈黙した桐生くんに私は半ば強引に話を進めて隣に座った。社交的な錦山くんと対称的に桐生くんは口下手なようだ。それでも地味に人気があるのは桐生くんもイケメンの部類に入るからだろう。
それにしても、錦山くんの事を親しげに"錦"と呼べる桐生くんがとても羨ましい。私もいつか──なんて。

『次は全学年参加のクラス対抗借り物競争です。このレースは──』

次の種目が始まるアナウンスが響いた。

借り物競争は体育祭の名物でもある。毎年、体育委員の悪戯心で幾つかとんでもないものが混ぜこまれているのだ。例えば教頭先生のカツラだったり、飼育小屋の鶏だとか。勿論大部分は傘とか水筒とか普通のものだけれども。

選手が入場し、その中に気だるげに歩く錦山くんの姿を見つけた。全学年を合わせたクラス対抗のため、クラスが一目で分かるようにそれぞれ違う色のハチマキを付けている。錦山くんは赤色だ。

一年生から順に走るので錦山くんの出番は一番最後だ。ピストルの破裂音が響いて、一年生が走り出す。順調に二年生へとタスキが手渡されて、最後の走者である錦山くんへと渡る。少し遅れをとっていたものの持ち前の足の早さであっという間に追い付いて、お題の置かれたテーブルへとたどり着いたのは一番最初だった。

四つ折にされたお題の紙を素早く手に取り、錦山くんは中を確認する。紙を見つめたまま錦山くんは暫く動かなかった。もしや、色物枠を引いてしまったのだろうか──不安げに見つめていると錦山くんが唐突に顔を上げて辺りを見回し始め、こちらを見た。その瞬間に私のクラスの女子グループが沸き、甲高い声で錦山くんの名前を叫び出す。

「え……」

ぱちり、と遠く離れていた筈なのに、目があった気がした。微かに笑みを浮かべて、まっすぐにこちらに向かってくる。心臓が大きく一度脈打った。女子グループの嬌声が大きくなったが、それもほとんど聞こえなかった。

「お前の事、借りるぜ」

私が言葉を理解するよりも前に腕を引かれた。前につんのめりそうにながら、錦山くんと共にトラックを走る。BGMも全校生徒の声援も何もかもが遠い。見えるのは、聞こえるのは、錦山くんの背中と私の乱れた息遣いだけだ。握りしめられた手が酷く熱かった。

そして、そのままゴールテープを錦山くんと切った。その瞬間に音が戻ってくる。
ざわめきと歓声、それから心臓の鼓動。放送委員の興奮しきった実況がこれが夢ではない事を教えてくれた。一番と書かれた旗の前まで来て、呆然としていた私はようやっと意識を取り戻す。

「お題、何だったの?」

「何だったかな。忘れちまった」

そう言って、視線をそらした錦山くんの耳元は少し赤く染まっているように見えた。



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