- ナノ -

龍が如く1

epilog


次に目が覚めた時には全て終わった後だった。爆風による打ち身はそれほどでも無かったが、重度の心的外傷のため入院を余儀なくされた。情けない話ではあるが誰かが病室に入ってくるだけで身体が震え、ひとりでいると不安になる。カウンセリングを何度か受けたが、いまいち効果は感じられない。それだけ根が深いのだろう。

「ーーっ、」

爆風に巻き込まれて焼け焦げた指先が鈍い痛みを発した。くしゃりと顔を歪めて、指先を押さえる。脳裏に浮かぶのは錦山の最期の顔だった。

悪かった。

自由だ。

それからーー。

耳元で木霊する錦山の声が辛い。幻聴だと分かっていても、苦しくて悲しくて痛い。はらはらと涙が溢れ落ちた。

「うぅ……あきらぁ……!」

どうすれば良かったんだろうと答えのない自問を何度も繰り返した。
夜になったらまたあの日が夢で再現される。決して助けられない悪夢がアスカを蝕んだ。

ーーコン、コン

病室の扉をノックする音にアスカはびくりと身体を揺らした。恐怖に震える手で何とか涙を拭い、どうぞと入室許可を出すと、木製の扉が控えめに開けられる。そっと中へ入ってきた男の姿にアスカは静かに息を呑んだ。

「アスカ……具合はどうだ?」

恐らく担当医か看護婦からアスカの容態を聞いたのだろう。病室の出入り口に立ち止まったまま動こうとしない。

「あぁ……うん。大丈夫だと思う……だから入ってきてもいいよ」

いつもより胸の鼓動は早くない。胸を押さえ、二、三度深呼吸をしてから、桐生を呼んだ。

「久しぶり、だな」

桐生に会うのはあの日以来初めてだ。お互い怪我や何だと色々とあったから仕方がない。
椅子に座るでもなく、ベッド脇に立ち、申し訳なさそうに桐生はこちらを見つめている。そんな桐生の腰元からひょっこりと顔を出した小さな少女にアスカは目を丸くした。その少女には見覚えがあるーー遥だ。溢れ落ちそうな大きな瞳がアスカを見つめ返す。

「えぇっと……初めまして、遥ちゃん」

面と向かって話すのはこれが初めてだったな、と挨拶をすると、遥は桐生の陰から出てにっこりと笑った。

「アスカお兄さん、初めまして!」

子供らしい溌剌とした挨拶にアスカはふわりと口元を緩める。

「あ!お兄さん笑顔になった!苦しそうな顔よりそっちの方が素敵だよ!」

「そんなにひどい顔をしてたかな?」

「うん……すごく、辛そうだった」

表情を指摘され、自分の顔に触れた。痩せて骨ばってしまっている。ここ最近、鏡を見ていなかったが遥の表情を見る限り、相当良くなさそうだ。
そういえば笑うのも久しぶりだ。ずっと苦しんで泣いて、俺は後ろばかりを見ていた。

「そっか……もっと笑わないと、だな」

「うん!私お兄さんの笑顔もっと見たいな」

「あぁ。頑張るよ」

遥自身、母親である由美を失ったのにも関わらず辛い顔ひとつ見せていないのに、大の大人のアスカがいつまでも泣いて情けのない話だ。ぎこちなく笑顔を浮かべると遥はその調子と誉めてくれた。

「……アスカ。俺は神室町から離れて、遥と暮らすことにした」

「あぁ……うん。そっか……その方がいい」

視線を落として、アスカは頷いた。
カタギとして暮らしていくなら、こんな街にはいない方がいい。遥もいるなら尚更だ。中々会えなくなるのは寂しいが、何も今生の別れではないーーあいつのように。

「アスカはどうするんだ?」

「……まだ、未定。とりあえず普通に生活出来るくらいに戻らねぇことにはな」

こんな状態では普通の仕事ですらままならない。幸い少しくらいなら無職でも生活出来るくらいの貯蓄はあるし、入院費は東城会が出してくれている。今後を考えるのは退院してからでも問題はなさそうだ。いつになるかは分からないが。

「一馬の方こそ仕事は何やってるんだ?」

聞き返すと桐生はかなり渋い顔をした。それだけで、芳しくないことは察する。今まで腕っぷしだけで生きてきた桐生だ。きっとカタギのお金稼ぎには苦労しているのだろう。

「今は……コンビニのアルバイトをしている……」

「は?マジで?一馬が?」

「俺以外に誰がいるんだ……」

「いや、いねぇけど……。似合わないな」

ポッポの制服を着る桐生を想像して、思わずにやりとしてしまった。昔から笑顔が苦手なのに何故コンビニを選んだのか疑問だ。もうちょっと他の仕事もあるだろうに。

「ま、頑張れよ。何事も経験だしな」

「あぁ。クビになるまではやるつもりだ」

「……なんか不安だな。そのセリフ」

本人のやる気はともかく。
アルバイトをクビになるなんてそうそうない筈だが、桐生が言うとなりそうな気がする。

「ーーっと、居座りすぎたな。そろそろ帰る」

病室に掛けられた時計の針は20分程進んでいた。体感ではそこまでだったが、意外と喋っていたらしい。

「聞いてたより元気そうでよかった」

「一馬が来てくれたから調子良いのかもね」

医者相手だと少し話しただけでギブアップしてしまうのに、今日はまだまだ話せそうだ。しかし、医者から長時間の面会は禁止されているから仕方ない。
残念な気持ちを胸の内にしまいこんで、俺は二人に笑顔を向ける。

「遥ちゃんもありがとう。また来てね」

「うん!またおじさんと来るね」

「アスカ、またな」

遥に手を振り返し、二人が出ていくのを見送った。パタン、扉が閉まったのを暫し見つめて、アスカはそっと息を吐き出す。

(俺もいい加減前を向かなきゃな……)

二人を見ていたらより強くそう思った。いつまでもじめじめと湿っぽい気分でいたらその内キノコでも生えてきそうだ。

桐生と遥が帰って、静かになった病室でアスカはふと、ベッド脇のチェストに置かれたネックレスを見た。錦山から貰った物だ。それをそっと指先で掴んだ。指輪に込められた掠れて消えてしまいそうな思いを忘れないように噛み締める。

「あれ……?」

貰ったときは青い宝石にばかり目がいって気が付かなかったが、ペンダントトップとしてつけられた指輪の内側に文字が刻まれていた。指で文字をなぞり、英文を確認する。
錦山らしいちょっと気取った言葉にアスカはほんの少しだけ涙を溢した。



"My love will last till the end of time."


(生まれ変わっても、貴方を愛します)



prev next