- ナノ -

隣のクラスの錦山くん

お見舞


「あの、錦山くん……これ」

とある日の放課後、私は勇気を出して錦山くんに声をかけた。手には女の子らしい、ピンク色の手紙を添えて。

「お、優子にか?いつもありがとよ」

手紙はラブレター、ではなく、錦山くんの妹──優子ちゃん宛てだ。初めて渡す訳ではないのに、毎度、嬉しそうに笑う錦山くんを見ると心臓が破裂しそうになる。
手紙を渡して大した会話もなく、すぐに帰るのがいつものパターンになっていた。だから、その日も同じ様に手紙を渡して帰るつもりだった。

「えっと……それじゃあ、またね」

踵を返し足早に立ち去ろうとした私の背中に静止の声が投げ掛けられる。心臓が弾み、私はぎくしゃくとした動きで振り返った。

「なぁ、良かったら今度の日曜日、優子の見舞いに来ねぇか?」

「!!」

「優子が会いたがっててよ。勿論手ぶらで来てくれて全然構わねぇし……」

私がぴしりと固まったのを錦山くんは都合よく解釈してくれたが、そこは関係ない。いや、まあ多少は気にしていたが。

「えぇと……」

私は言葉を探すように、視線をさ迷わせる。確かに優子ちゃんには会いたい。会いたいが、こんな私が錦山くんの妹に会っていいのだろうか。中々答えない私に痺れを切らした錦山くんはどうすんだと再度催促してきた。

「会いたくねぇのか?」

「ううん。会いたいよ、勿論……!」

「じゃ、今度の日曜の昼、東都大病院な」

──ちゃんと来いよ。錦山くんがにやりと笑って私の肩を軽く叩いて横を通りすぎていく。気がついた時には上手い具合に誘導されて、私は優子ちゃんのお見舞いに行くことになっていた。


日曜日。錦山くんとの約束をすっぽかせるほど私は図太くはないので、しっかり身だしなみを整えて、綺麗にラッピングされたプレゼントを抱えて病院の入り口で待っていた。早めに家を出たせいで、少し早く着きすぎてしまったようだ。錦山くんの姿はない。
そわそわと所在なさげに辺りを見回す。日曜日の昼だからか、同じように見舞い客らしき人達が病院の中へと消えていった。大病院だけあってその人数はかなり多い。

「──悪い、待ったか?」

「ううん。待ってないよ」

駆け寄ってきた錦山くんは駅から走ってきたのか肩で息をしていた。そこまで気温は高くないのに、その額には薄く汗が滲んでいる。学ランの袖で汗を拭い、錦山くんはさあ行くかと病院の中へと私を促した。

中も外観と同じように広く、幾つもの診療科があった。総合受付で見舞いの手続きをして、病室へ向かう。忙しそうに足早に通りすぎる看護婦を横目に見つつ、私は錦山くんに付いていく。
エレベーターで上がり、廊下の一番奥、突き当たりの部屋が優子ちゃんの病室らしい。ドアをノックする錦山くんの背中を見つめながら、私は優子ちゃんへ話す言葉を考える。

「はい、どうぞ」

部屋の中から入室を許可する可愛らしい声が聞こえた。錦山くんに続き、病室に入ると黒い髪を肩口程まで伸ばした女の子がベッドで身体を起こして、私たちを迎えてくれた。ぱっちりとしたアーモンド型の目は私を写すと緩やかな弧を描く。

「わぁ、来てくれたんですね!」

手紙で見ていた文字と同じで、優子ちゃんはとても可愛い少女だった。

「優子、具合はどうだ?」

「うん。問題ないよ。今日はいつもより良いくらい」

「そうか。具合悪くなったらすぐお兄ちゃんに言うんだぞ」

本当に妹を大事に思っているのだろう。心配そうに、けれど嬉しそうにする錦山くんは桐生くんの前で見せる顔とはまた違っていた。学校では見れない錦山くんの"お兄ちゃん"の姿に胸がときめく。

優子ちゃんは分かってるよと相づちを打ってから、私を見上げた。

「初めまして、優子ちゃん」

「初めまして、アスカさん。けれど、何だか初めてって感じがしませんね」

優子ちゃんの言う通り、何度も手紙でやりとりしていたからか、初対面のような感じがしない。そうだね、と同意すると優子ちゃんは口元を緩めた。その柔らかな笑みは錦山くんとよく似ていて、彼女が間違いなく妹なのだと分かる。
ふとベッドサイドの小さな棚の上に目を向けるといつぞやのうさぎのぬいぐるみが座っていた。その脇にはつい最近渡したピンク色の手紙が置かれている。

「うさちゃん、ありがとうございます。手紙も……いつも楽しみにしてるんです。私、ずっと入院しているからお友達がいなくて……」

そう言って、淋しそうに笑った。"ずっと"とは一体いつからなのだろう。日に焼けていない真っ白い肌に、線の細い身体、醸し出す儚げな雰囲気から察するに少なくとも一年や二年という単位では無さそうだ。

「そうだ!あの……あのね!これ、開けて……!」

私は持っていたプレゼントを優子ちゃんに勢いよく差し出す。寂しそうな顔を見ているのが耐えられなかったのだ。
押し付けられた優子ちゃんは戸惑いながらも、小包のリボンをほどいて中身を取り出した。

「これはノートとペン……?」

最近女の子にはやりのデフォルメされた動物が描かれたノートとカラフルなペンのセットだ。それを見つめて優子ちゃんは目をぱちくりさせる。

「それで私と交換日記しようよ!手紙もいいけど、こっちの方がお互い見返せるでしょ?……あ、優子ちゃんさえ良ければ、だけど……」

勢いで言ってしまったが途中で我に返り、尻すぼみになる。なにも考えずに交換日記なんて言ってしまったが、こんな私が交換日記なんて差し出がましすぎだ。

「交換日記!!やりたいです!!」

私からの贈り物を大事そうに抱き締めて、優子ちゃんは破顔する。それから、兄である錦山くんの方を見て口を開いた。

「いいよね?お兄ちゃん」

「おう。いいぜ。優子のためならノートの交換くらい幾らでもやってやるよ」

優子ちゃんのお願いに錦山くんは二つ返事で頷いた。唯一の家族である優子ちゃんには錦山くんもかなり甘いようだ。

「あ、そっか……じゃあこれからもよろしく錦山くん」

「あぁ。アスカも優子の事、よろしくな」

すっかり頭からすっぽぬけていたが、手紙の時と同様に交換日記も錦山くんの協力が必要だ。必然的にこれからも錦山くんと話せるきっかけが出来たのは嬉しかった。

それから色んな話をした。学校の事や、錦山くんの事、恋ばなまで。流石に錦山くんが好きだとは言わなかったけれど、女の子らしい話題で盛り上がり、そんな話に交じれない錦山くんはちょっぴり居づらそうにしていた。



「お兄ちゃん、もしかしてアスカさんのこと好きなの?」

「ばっか!そんなんじゃねぇよ……!」

「ふぅーん?」

席をはずしていたタイミングでそんな会話が繰り広げられていたのを、私は知るよしもなかった。



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