- ナノ -

龍が如く1

36:硝煙


何とか窮地は切り抜けたものの、追われている状況は変わりない。必死で廃ビルの廊下を走り抜ける。

まだ少ししか走っていないのにもう息が切れかけていて、肺が限界を訴えている。それでも止まれない。必死で脚を動かした。

「はぁ、はっ……!もう……!」

「ダメ!逃げなきゃ!!」

諦めかけるアスカを麗奈が叱責し、腕を強く引いた。躓きそうになったがギリギリの所で堪える。緊迫感から喉がカラカラで死にそうだ。

「っあ……!!」

どん、と破裂する音が鼓膜を揺らしたのとほぼ同時に太ももに激痛が走った。突然の衝撃にアスカは滑るように地面に倒れこむ。

熱い。痛い。激痛に呻く。アスカくん!と麗奈が慌てて助け起こそうと戻ってきた。

「大丈ーー」

不自然に言葉が途切れた。そしてどさりと何か重い物が落ちる音が続く。痛みを堪えながら上半身を起こして、アスカは顔を青くさせる。

「れい、なちゃ……」

白いシャツが赤く染まっている。脚を引き摺って麗奈の側に寄り、身体を揺すった。
麗奈ちゃん、麗奈ちゃん。掠れた声で名前を呼びながら何度も身体を揺らす。しかし、反応はない。

麗奈の感情が読み取れない。
麗奈の記憶が読み取れない。

「あ……ぁぁぁ……!!」

それが意味する事がどういう事か、アスカは知っている。知っているのに、理解する事を頭が拒否していた。
無意味だとわかっているのに麗奈の胸元の傷口を押さえて、止血を試みる。だが、血は止まらず、アスカの手を汚しただけだった。

「ちょこまかと逃げやがって、お前が親父のペットだな」

赤いコートを羽織ったサングラスの男がいつの間にかアスカの側に立っていた。男の持つ銃から硝煙が上がっている。この男が麗奈を殺したのだ。

男の声を無視し、アスカは麗奈の傷口を押さえる手に力を込めた。助かるかもしれない。だってまだこんなにも温かい。ちょっと心臓が動いていないだけだ。

「テメェ、いつまでそうしてやがんだ!さっさと立ちやがれ!」

「ぅっ……」

腕を引っ掴まれて立ち上がらされる。太ももの痛みに自分も撃たれていたことを思い出した。ずるずると崩れ落ち、その場に座り込む。頭上からイライラしたような舌打ちが聞こえた。

「荒瀬」

「あぁ、兄貴。丁度捕まえた所ですよ」

掴まれたままの腕が引っ張られて、今しがた来た新藤の前に投げられた。ぐしゃりと受け身もとれずに地面に転がる血塗れのアスカに新藤は顔を険しくする。

「傷を付けるなとの命令だぞ。聞いていなかったのか?」

「ちょっと手元が狂っただけです。生きてるんで問題ないかと」

「……もういい。お前は田中シンジの所へいけ」

面倒そうに返事をして、男ーー荒瀬は大股でアスカの横を通りすぎていった。
蹲るアスカの背に新藤の手が触れる。びくりと肩を揺らし、アスカはおずおずと顔を上げた。

「ごめんなさい、ごめんなさい……!」

謝罪が口をついて出た。カタカタと身体を震わせて、アスカは痛みとショックから大粒の涙をこぼす。

「謝罪は親父に。……怪我はどこですか?」

怯えるアスカを安心させるように新藤は背中を撫でてくれたがあまり意味はなさなかった。
麗奈の死が未だに脳裏に焼き付いている。手についた赤が、鉄さびの臭いが、思考をぐちゃぐちゃにかき乱した。

「……アスカさん。失礼します」

「っ……!」

身体を抱えあげられ、視点ががらりと変わる。不安定なそれにアスカは驚いて新藤にしがみついた。白いスーツに赤い汚れがこびりついたがさして気にした様子もなく、新藤はアスカを安心させるように笑う。

「親父がお待ちです。事務所へ帰りましょう」

新藤に連れられるまま、俺は車に運ばれた。

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