05:珈琲に砂糖を少々
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あれから数日。極東連合に参入した乙葉は白銀学園の不良達と初めて、きちんと向き合うことに決めた。ずっと部下でもなんでもない、と彼らを小田原や副島に任せてスルーし続けていたが、いい加減腹を括るべきだと思ったのだ。
実のところ、別にそこまでの人望が自分にあるとは思えず、あまり期待もしていなかった。だから、不良達と対面した時、彼らの反応を間近で見てとても驚いたものだ。
"乙葉さん!俺ら、ずっと乙葉さんに付いていくんで!"
"姉貴が俺らに目を向けてくれるなんて夢見てぇだ!!"
"姉御〜!!"
自分が思っている以上に彼らは乙葉を慕っていて、そして、頼ってくれていた。そんな彼らを今まで小田原や副島に任せてばかりいたのを申し訳なく思ったし、不良にもなんて。ときちんと向き合わなかった事を恥じた。
「乙葉さん!おはようございます!」
「おはよう、えっと……君は二宮くんね」
「はい!そうです!名前を覚えていただいてるなんて感激です!!」
以前ならば不良からの挨拶には会釈のみで言葉を返さなかったのだが、返すようにして、名前も少しずつだが覚えるようにした。名前を言うと彼は嬉しそうに笑って、走り去って行く。その背を見送り、乙葉は自分の教室へと向かった。
今日は午前授業のみだったため、午後からは街へと繰り出すことにした。小田原達には家に帰る、なんていう嘘のメールを送りさっさと学校を出る。ショッピングにあの二人がいると、面倒くさいのだ。完全に乙葉の私物なのにお金を出そうとしたり、少しでもいいな、と言った物を勝手に買ってきたり。良かれと思ってやっているのだろうが、少々やりすぎでこちらが気を使ってしまう。
「あれ?乙葉さん」
商店街で不意に声を掛けられて、足を止める。振り返ると見覚えのある姿がそこにあった。
「こんにちは、狂犬くん。こんなところで何してるの?」
「あ〜なんていうか治安維持みたいなもんです」
そう言った狂犬の少し後ろに紫色の特攻服の男達が倒れているのが見えた。なるほどこんな所の不良までわざわざ倒しに来てくれているらしい。
「ねぇ、良かったら私とお茶しない?この前守って貰ったお礼に奢るわ」
「マジで!?……いいんスか?」
「勿論。その前に、ちょっと買い物に付き合ってもらうけどね」
パチリとウインクをひとつ飛ばすと、狂犬は少し顔を赤らめて視線を反らす。その反応に乙葉は微笑んで、じゃあ行こうか、と歩きだした。
「そういえば、副島さんとか小田原さんと一緒じゃないんですか?」
「んー……まあ、いつも一緒にいるわけじゃないわ」
雑貨屋に入り、目的のものを探す。乙葉の後ろで狂犬は居心地悪そうにそわそわしている。喧嘩の時とは似ても似つかない狂犬の様子を、商品を眺める振りをして盗み見てひっそりと笑った。
「あの二人が心配してくれてるのは分かるんだけどね……あ、これ可愛いわね」
目的のものとは別に何となく目についたストラップを手に取る。薄いピンク色のリボンがついたくまのストラップだ。ちらりと財布の中身を確認して、何も言わずにそっとそれを元の位置に戻した。後のお茶の事を考えると少々持ち合わせが足りない。絶対ほしいと言うわけでもないし、諦めて目的の物が置いてある棚へ向かった。
「乙葉さん。俺も買いたいもの思い出したんで、ちょっと行ってもいいっスか?」
「えぇ。いいわよ」
買い物を終え、雑貨屋の入り口で狂犬を待つ。程なくして、すみません、と謝罪しながら狂犬は出てきた。
「そんなに待ってないから気にしないで。じゃあ私のいつも行ってる喫茶店で良いかしら?」
「乙葉さんの行くとこなら、どこでも着いていきます!」
「じゃあ行きましょう」
威勢のいい返事に乙葉は笑顔で頷いた。
乙葉の好きな喫茶店は商店街から離れた所の横道を少し歩いた場所にある。チェーン店がやっているような新しい作りではなく、古きよき昔からのアンティークな外見だ。
「俺こんな所入って大丈夫スかね?」
「大丈夫よ。店内で暴れたりしなければ、問題ないわ」
不安げな表情を浮かべる狂犬を、開けたドアから入るように促す。確かにこの喫茶店に不良の外見の彼は浮いているかも知れないが、ちゃんとした客の振舞いをすれば何ら問題はない。ここの主人は外見で人を判断するような人ではないことを乙葉も知っている。
からんからん、と来客を示すベルが鳴ると、喫茶店の主人がちらりとこちらを見た。軽く会釈をして空いている席へと腰かけると、どぎまぎとしながら乙葉の向かいに狂犬が座る。
店内は街中の喧騒から切り取られたように、静かで穏やかな空間だ。
「何でも好きなものを頼んでいいわよ」
メニューを差し出す。A4用紙にコピーして硬質カードケースに入れられただけのシンプルな手作りメニューを眉間にシワを寄せながら狂犬は見つめていた。狂犬のお気に召す物があればよいのだが。
「乙葉さんはいつも何頼んでるんスか?」
「私?コーヒーかな。小腹が空いてたらホットケーキも一緒に食べたりするわね」
「じゃあ俺もそれにします」
注文が決まったところで、手を上げて主人を呼ぶ。仏頂面をした主人にそれぞれの注文をして、来るまでの何もない時間を過ごす。
「そう言えば、私に敬語なんて必要ないわよ。さん付けもね」
ずっと言い忘れていた事を思い出す。狂犬は年下ではあるが、ファーストコンタクトでタメ口で話された印象が強く、敬語を使われるとなんだかむず痒いのだ。
「いいのか?ならそうさせてもらうぜ」
「うん。そっちの方がいいわね」
敬語を外した狂犬に頷く。やはり狂犬はありのままの方が良い。
「乙葉って不良っぽくないよな」
「……実際、不良じゃないし。"女王"ってのも周りが勝手に言いだした事だもの……ありがとう」
静かに主人がコーヒーを持ってくる。それを受け取り、何もいれずに一口飲んだ。口の中に広がる苦味は眠さを吹き飛ばしてくれる。
「勝手に祭り上げられて、番長になっちゃったのよね。今となってはその立場も悪くないと思ってるけど……」
「そうだったのか……って、にがっ!?」
乙葉の真似をしてブラックでコーヒーを啜った狂犬が口元を押さえて、顔をしかめた。想像通りの反応に乙葉は思わず、吹き出すように笑う。
「あはは!無理して見栄張らなくていいわ。砂糖とミルク入れて飲んで?」
からからと笑いながら、テーブルに用意されている角砂糖の入れ物とミルクの小瓶を差し出す。苦い、という表情を浮かべたまま、狂犬はコーヒーに砂糖とミルクを放り込んだ。
それから一時間ほど、狂犬と他愛ない話をして過ごした。久しぶりに副島と小田原と違う人と過ごす一時はとても楽しかった。携帯で時刻を確認するともう4時を過ぎようというところだ。
随分長い時間話し込んでしまったようだ。あまり長居しすぎるのも店に迷惑がかかるし、そろそろ帰るべきだろう。
「そろそろ帰ろうか」
「あぁ、そうだな」
お勘定を済ませて店を出て、不良を避けながら駅前まで歩く。先程まで話していたのに何となく沈黙してしまう。
そして、そのまま駅前に着いてしまった。
「じゃあここでお別れね。また来てくれると嬉しいわ」
座っているときはあまりわからなかったが、乙葉より幾らか上にある顔を見上げて微笑む。
「あ、あぁ……そのよ、乙葉」
もじもじとハッキリしない物言いをする狂犬に乙葉は首をかしげた。その顔はほんの少し赤い。暫し言葉にならない何かをぼそぼそと呟いてから、決心がついたのか狂犬はこちらを見た。
「ーーこれ!やるよ!!」
強引に何かを押し付けられて、驚いて顔を上げた時には、狂犬はダッシュで改札機をくぐり抜けてホームヘ向かう階段を駆け上がっていた。後に残された乙葉は狂犬の背中を見つめてきょとんとする。
手元に残された物を確認する。雑貨屋の包み紙だ。破れないようにそっとテープを剥がして中身を確認し、乙葉は小さく微笑み呟いた。
ーーありがとう、狂犬くん。
その翌日、携帯につけたストラップを嬉しそうに見ている姿を小田原は目撃した。
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