- ナノ -




過去の思い出に、


彼女は今までどおり、研究員として過ごしている。ただし、カーラとして、ではなくエイダとして。
カーラがエイダになってからシモンズは彼女を気持ち悪いくらいに寵愛していた。
地位を与え、広すぎる研究室を与え、部下を与えた。僕は彼女の部下となった。

彼女はエイダの遺伝子を組み込まれたせいか、以前のカーラとしての記憶を失っている。
とはいえある程度の知識というかエイダ自身が持っていたらしい知識があったため、生活には困っていないようだ。

姿は違えど彼女はカーラだと、僕は信じていた。
どこかにカーラとしての意思や記憶が残っていると。

椅子に腰掛け、使い古した青いファイルを開いて僕は小さく息を吐き出した。
そこにはカーラとの写真が残っている。少しだけ我侭言って撮って貰ったものだ。
金髪の、少し生意気そうに笑う、彼女の本当の姿が写るそれを見ると安心する。
彼女は確かにそこにいたんだと分かるから。自分の隣に。確かに。

残された物はそれだけ。

ああ駄目だ。目の奥がだんだんと熱を持つ。鼻の奥がつんと痛くなる。
泣いたって過去に戻れる訳がないんだ。研究者である僕はそれを苦しいくらいによく知っている。

「……ヴェント、ヴェント?」

「え!?あ、何かな……エイダ」

名前を呼ばれている事に漸く気付きどぎまぎしながら僕は顔を上げた。
エイダが不思議そうな顔をして此方を見下ろしている。

「その青いファイル、何が書かれているのかしら?」

――そのファイル、何が書かれているの?
不意にカーラの声がダブった。脳裏に彼女の顔が描き出される。
駄目だ。駄目だよ、泣いてしまうよ。苦しくて、悲しくて、辛くて。
涙が溢れそうになるのを必死に堪えて、僕は顔に作り慣れた笑顔を貼り付けてファイルを差し出した。

口調も違う。でも、やっぱり、エイダは……カーラなんだ。

彼女はファイルを受け取り、中身を見始める。
一番最初のページから順に……そしてそれは途中で止まった。
丁度あれは僕とカーラの写真が貼り付けられているページあたりだ。

バサッ――

「ぁっ!!」

挟まれていただけの数枚の紙を吐き出しながら、それは床に落ちた。
僕は慌ててファイルから飛び出た書類をかき集める。幸いファイルは壊れてはいない。
とりあえず集めた書類束をファイルの一番前のページに挟んでから、僕は彼女に声をかけた。

「どう、したの?」

どこか困惑しているように感じた。側頭部を押さえ、彼女は何かを堪えている。
僕はうろたえながら、彼女の顔を覗きこむ。

「大丈夫?」

「――っだいじょうぶよっ!」

そっと伸ばした手は払い落とされた。
カツカツと地面を叩く音が遠ざかっていく。

ヴェントは追いかけれなかった。払われた手が火傷のようにずきずきと痛んだ。



top