- ナノ -




サヨナラ。

ヴェント……さよなら。

とんとん、とどこかで鼓動が始まった。
カーラに呼ばれたような気がした。そして漠然と起きなければ、と思う。
しかし視界は真っ暗で、ここがどこなのか理解できなかった。
暫しそのままの状態で考え込む。

それから今までの事を思い出した。

ああそうだ。僕はカーラの実験体になったのだ。そして彼女の最高傑作に。とはいえあまり実感はない。
とりあえず外に出なければと思うがどうやって外に出るのか分からない。この蛹の硬そうな殻をどうすれば破れるのだろうか。
疑問に思いつつもどんと手で殻の上部を叩いてみたが、びくともしなかった。

ぬるぬるとした粘膜も気持ち悪いし早く外へ出たい。
再度殻を押し上げた。今度は足に力を入れて、立ち上がるような勢いで。

パキ、パキ……音がして殻の上部が破れていく。
そこから薄暗い研究室の天井が見えた。天を掴むように僕は手を外へ出す。
何日蛹のままでいたのか分からない。けれどきっと彼女は喜んでくれるだろう。
僕はいつも通りの笑みを浮かべてゆっくりと外へと身体を出そうとした。

その時だった。

「もう同情してあげる必要はなさそうね」

カーラではないカーラの声が聞こえた。
やけに冷めたその声色とともに突然の連続した銃声と、腹部の痛み。
粘膜に覆われた顔では悲鳴も上げる事が出来なかった。目の前で赤がじわじわ広がっていく。

心臓がバクバクと早鐘を打つ。

早くはやくハヤク!外へ出なくちゃ!彼女に何かあったのかもしれない!
僕は必死に身体を捩じらせて、殻の外へと飛び出した。でゅるりと液状化した粘膜が辺りに飛び散る。
ひやりとした床に叩きつけられて僕はむせ返りながら、顔を上げた。

紙の燃える臭い。

目の前にはマシンガンを構える彼女の姿。

ゆらゆら揺れるオレンジの光に照らされる彼女は、彼女の姿をしていたけれど彼女ではなかった。
すぐにぴんときた。彼女は本物の彼女なのだと。
彼女の足元には沢山の空の薬莢が落ちていて、彼女がここをこんな風にしたのは一目瞭然だ。
僕は痛みに呻きながら彼女をじっと見つめた。彼女も僕を険しい顔で見つめる。

同じはずなのに彼女とは違う、鋭い黒曜石が僕を映す。

「カーラ……は、どこ?」

どこへ行ったの?どうして貴方がここにいるの?
僕は地面に這いつくばったまま問いかける。彼女はすぐには答えなかった。
たっぷりと間を置いてから、一言だけ、答えた。

「死んだわ」

すとん、とやけに素直にその言葉は心の中へと落ちた。
ああ、そうだったんだ。だから、さっき聞こえたんだね――さよならが。

途端に目の前が滲んだ。

「そっか……ずるいなぁ」

答え、聞いてないのに。僕は自嘲気味に笑う。
はらはらと流れ落ちていく雫が床に落ちて跳ねる。

「だい……すき、な、のに……」

だんだんと視界がぼやけるのは血を流しすぎたせい?それとも涙を流しすぎたから?
彼女じゃないけれど確かにそれは彼女で。やっぱり僕は彼女の前だから笑いたい。でももう僕は自分がきちんと笑えているか分からない。

目の前の赤が動いた。

「好きよ……ヴェント」

頬の涙を優しい温かさが拭い取った。
あぁ、そうだったのね。そうだったんだ。それなら幸せだ。

ねぇカーラ。

僕今とても幸せだよ。

満面の笑みを浮かべて僕は、目を閉じた。








静かに目を閉じた青年を見て、エイダは静かに息を吐き出した。
"好きよ……ヴェント"確かに彼女は最期にそう言っていた。
この青年が"ヴェント"なのかエイダは知らなかったが、彼の安らかな顔を見る限り正解だったらしい。

ほぼ破壊された研究室を見回してから、エイダはシモンズから貰った奇抜な形の青白い通信機を投げ捨てた。
もうエイダには不必要なものだった。

ゆっくりとその部屋を出て行く。最後に倒れたままの青年の姿を見た。
エイダは目を細め、小さく息を吐き出す。

さて休暇は終わりね。

着信を告げるメロディが鳴り響く。
エイダは腰のポーチからモバイルを取り出すと耳に当てた。
聞きなれた声が鼓膜を打つ。

エイダは微笑み、それを軽い口調で了承した。


-fin-



top