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牙を剥く獣:02





エドワードをとりあえずその場で休ませる。下手に動かせばそれだけウイルスが身体に回るのが早くなるからだ。
だが、いつまでもここに留まっていてはまた奴らがやってくるだろう。最悪なのはT-ウイルスはまだ抗ウイルス剤が開発されていない事だ。……つまりエドワードはゾンビになる以外に道がない。
絶望しかない。辺りの様子を伺う振りをしながら、瑞希は苦虫を噛み潰す。
腹立ち紛れに思い切り左拳を振り上げた。

ガスッ――

「……どうしろってんだ……!」

事態の真相を知っていようと、自分に出来る事など殆どありやしない。
同僚の一人を救う事すら出来ないのだ。知識はあっても、それでは意味がない。

木のささくれが拳に突き刺さり、つきんと痛みが走ったがエドワードに比べれば些細なものだった。

風に乗って腐った肉の匂いが運ばれてくる。それはだんだんと濃くなってきているように感じる。
奴らが近づいている証だ。一度エドワードの所へ戻った方がいいだろうと思い瑞希は踵を返した。

「エドワード……調子は?」

「……銃は持てるけど、撃つとなると……ちょっとな」

歯切れ悪く答えたエドワードに瑞希はそうか、と暗い顔で頷いた。
そんな瑞希の表情を見たエドワードは気まずげに視線を反らしながら、無事な左手で後頭部を掻く。

「まあ気にすんなよ……このぐらいの怪我なら――」

エドワードの言葉が不自然に止まった。いや、止まらざるを得なかった。
鬱蒼と生い茂る草木の向こうから爛々と光る不気味な瞳が此方を睨みつけている。
ぎょっとしてエドワードは素早く立ち上がり、銃を構えた。

「おい……またあの化け物だ」

「ああ、分かっている……気をつけろ」

アイコンタクトをして小さく頷きあう。
今度はケルベロスは一体ではない。見える限りで1、2、3、4体。背後にも鋭い殺気を感じる。
運の悪い事に群れで行動しているケルベロスのようだ。エドワードに無茶をさせたくはなかったが、護りながら倒すのは無理そうだ。

じりじりと円を小さくしてくるケルベロスに瑞希は銃を構えた。
グリップにじわりと汗が滲む。こんなところで化け物共々死ぬなんて真っ平だ。

――タァン!

背後で銃声が響いた。それと同時にケルベロスが一斉に跳ねた。
飛びかかってきたケルベロスに照準を合わせ躊躇う事無く引き金を引く。

――タァン、タンッ!

銃声が重なり、乾いた破裂音が森に響き渡る。

「頭だッ!頭を狙え!エド!」

「簡単に言ってくれるぜ、ミズキ……!」

ゾンビの弱点は頭。脳の中枢神経を破壊すれば二度と起き上がることはない。
それは同じウイルスを感染しているケルベロスも変わらないだろう。ただ、かなり狙い難いが。
腕を痛めているエドワードには厳しいだろう。五体満足の瑞希ですら当てれないのだから。

唸り声がそこかしこから聞こえてくる。
銃声が森にいたケルベロスを此方に引き寄せてしまったらしい。当初の数よりも明らかに多くなっている。
もはやハンドガンでは――二人だけではとても処理しきれない数だ。
中にはドーベルマンではない形の犬もいる事から、ラクーン・フォレストの野犬にも感染が回っているようだ。

それでも少しの奇跡に望みをかけて引き金を引き一体一体確実に仕留めていく。
瑞希達の周りに犬の死体が溜まり出し、半数は倒しただろうその時だった。

「クソッたれ!離しやがれ!!うわぁあああああ――」

背後にいたエドワードが悲鳴を上げた。
ぎょっとして振り返った。エドワードの上にケルベロスがのしかかり、腕に噛み付いている。

グチッ。嫌な音がしてエドワードの腕が地面に転がった。
唯一である攻撃手段のハンドガンが腕ごとなくなったのを見て、一斉にケルベロスがエドワードに飛びかかる。
必死に腕を振り回してエドワードは追い払おうとするも大した威力のないパンチでは彼らは怯まない。

「エド!今助けるっ!!」

ドンドンと心臓が五月蝿く脈を打つ。まるで耳の横に心臓が移動したのかと思うほどにそれはよく聞こえた。
助けなければ助けなければ助けなければ。何度も頭の中に同じ言葉が繰り返される。
分かっているのに、身体は緊張で強張り上手く動かない。

何とか銃を構えて、エドワードを襲うケルベロスに照準を合わせ発砲した。
エドワードにのしかかっていた一体が甲高い悲鳴を上げて吹き飛ぶ。だが、間髪をいれずに他のケルベロスがエドワードの右肩に食いついた。

「ぎゃあぁあああ!!」

「エドッ!!」

エドワードは加えられた攻撃を思い切り振り払うと、驚くほどのスピードで立ち上がり走り出した。その後をケルベロスが追いかけて行く。
漆黒の森の中に消えようとするその背中に瑞希は叫んだが、錯乱状態にあるエドワードには届かない。
今逸れてしまっては不味い。急いで後を追おうとしたが生き残ったケルベロスが瑞希の前に立塞がった。

大半がエドワードの方へ行ったらしく、目の前に立塞がるのはたった四体のみ。
一人で対処するには多い数だが、今現在ここには瑞希以外にはだれもいないのだから一人で倒すしかない。

「クソッ!」

抗ウイルス剤がない今、エドワードはどの道感染して遅かれ早かれゾンビになってしまっただろう。
だからといって見捨てていい理由にはならない。しかし助ける手立てが全くない。

空になったマガジンを叩きつけるように捨て、新たなマガジンを挿入した。

「どうすればいいんだよっ!!」

助けれなかった苛立ちをケルベロスに撃ちこむ。
続けて三発。腹部に銃弾を埋め込んだケルベロスは短い悲鳴を上げて倒れる。

残る三体。

飛びかかってきた一体に素早く発砲する。上手い具合にそれはケルベロスの脳天を撃ちぬいた。
ウイルスによって急激に腐乱し脆くなった頭がぐしゃりと破裂し、血肉が周囲に飛び散る。
此方にまで降りかかったそれに瑞希は顔を顰めながらも次の敵を睨んだ。

残る二体は先の二匹から学んだのか二体同時に飛びかかってくる。
瑞希はそれを身体を低くして避けた。そして素早く振り返り、背後に着地したケルベロスの胴体を思い切り蹴り上げる。
もう一体はその内に体勢を整えて此方に再び飛びかかってきた。

「小賢しいんだよっ!」

銃を左に持ち替え、右手で左肩程につけたコンバットナイフを抜くと同時に薙いだ。
切れ味抜群のナイフはケルベロスの腐った身体を面白いほど簡単に切り裂いた。

おおよそ目元辺りから、ケルベロスは二つにぱっくりと分かれる。
切れ目から鮮血が溢れ出し、瑞希の服をぐしょりと濡らした。
鼻を刺激する血臭に不快感を覚えながらも、止まる事はなくそのままナイフを先ほど蹴り上げたケルベロスに投げつけた。

ドッ――

ぐさりとケルベロスの眉間に突き刺さった。最後の一体が倒れたのを確認してから漸く瑞希は肩の力を抜く。
荒れた呼吸を整えるために一度深呼吸をすると、生臭い腐った肉の臭いが肺一杯に広がった。
その気持ち悪さに瑞希は思わず咳き込み、胃の中から何かがせり上がってきそうになる。

「……っ、と」

何とか嘔吐感を飲み込み、耐える。
落ち着いてきたところで瑞希はエドワードが消えた方角を見た。エドワードが真っ直ぐに逃げたとも限らない。もはや救助は不可能だ。
瑞希は静かに息を吐き出して、ケルベロスの脳天に突き刺さったままのコンバットナイフを引き抜く。
すっかり血に染まったそれをズボンで拭い、ある程度汚れを落としてから肩に取り付けた。

とりあえずはあの洋館へ退避するべきだろう。
空に浮かぶ月の位置を見て方角を確認してから、瑞希はゆっくりと歩き出した。






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