- ナノ -


悪夢の前触れ:02





屋上では既にブラボーチームの大半が揃っていた。
既にヘリはいつでも飛べるように暖められている。びゅう、と耳元を撫ぜるヘリの起こす風に目を細めながら、やれやれと心の中で重いため息を付く。
ヘリの傍にいたエンリコは瑞希の姿を見るなり、親指でヘリを指しさっさと乗り込め!と風に負けない声で叫んできた。

「分かってるって!エンリコ!」

「分かってるんならもっと早く来い!」

「あー……はいはい」

耳の中に指を突っ込み、エンリコの声を消す。
そんな瑞希にエンリコはまったく、と呆れたように肩を竦めた。
ヘリへと乗り込むとケネスが軽く手を振ってきたため、瑞希も同じように手を上げる。

「何だ?遅かったじゃないか」

「あんまり乗り気じゃなくってさ……」

曖昧に返事をして苦笑を浮かべると、ケネスはそうか、と何でもなさそうに相槌を打った。今回の任務は猟奇的殺人事件の調査だ。乗り気じゃないのもそう可笑しくなかったのだろう。
ヘリの空いた座席へと腰を下ろし、顔ぶれを見回す。
ヘリの中に居るのは運転しているエドワードにリチャード、ケネス、フォレスト。
エンリコは外にいたから、後はブラボーチームの紅一点のレベッカのみだ。

腕時計に目をやると既に集合時間よりも一分過ぎている。

「お、遅れてすいませんっ!!」

女性特有の高い声がヘリの中に響いた。
へこへこと頭を下げる茶色のショートカットに瑞希は苦笑いを浮かべる。
謝罪をするレベッカの後ろからエンリコが乗り込んだ。

「最初の任務だから流してやるが、次からは気をつけろよ」

「は、はいっ!」

エンリコの言葉にレベッカは申し訳なさそうに眉を下げながら大きく頷いた。
その初々しい新人の姿に瑞希はくすりと笑い、自身の隣の空いている席をトンと叩いて座るように促す。

「まあまあエンリコの言葉なんてさらっと聞き流して、こっちに来なよ」

「はい……え、ええっと……ハルノ、さん」

緊張しているのか顔を強張らせているレベッカはやけに堅苦しく瑞希の苗字を呼んだ。
あまり呼ばれない苗字を言われ、思わず瑞希はきょとんとする。
エンリコがおい、聞き流すってどういう事だ、と不満そうにしていたが、瑞希が気付く事はなかった。

「ははっ!春野、なんて堅苦しいな、気軽に瑞希って呼んでくれて構わないぞ」

寧ろそっちの方がいい、と笑うと、レベッカは小さく頷きおずおずと瑞希の隣の席へと座った。
エンリコが余った席に腰掛けると同時にぴん、と空気が張り詰める。ヘリが動き出し、徐々に高度を上げていく。
さて、任務の開始だ。緩んだ顔を引き締める。腰に付けていた銃がカチャ、と小さな音を立てた。

一連の事件は全てアークレイ山麓と、その近くにある観光地のヴィクトリー湖で発生している、という事でヘリは真っ直ぐにその場所へ向かう。
そこへ近づくにつれて瑞希は顔を歪めた。幸い窓の外を見ていたため、誰も瑞希の表情を指摘するものはいなかった。

――ヴーヴーヴー……
アークレイ山麓まであと少し、というところで不意に耳障りなアラートが聞こえた。
突然のそれに隣に座っていたレベッカがびくりと数センチほど跳ねる。
瑞希もレベッカほどではないが驚き、目を見開いてパイロットであるエドワードの方を確認する。
真っ先にエンリコがエドワードに怒鳴るように尋ねた。

「どうした!?」

「駄目です!操縦が利きません!」

エドワードが言うやいなや、がくんと機体が下がった。
きゃあ!甲高い悲鳴がヘリの中で響く。座席から振り落とされたレベッカが膝をついていた。
瑞希はというと反射的にヘリの突起を掴んだため振り落とされる事はなかったが事態は深刻だ。
苦い顔をして瑞希は先ほどのエンリコと同等の声量で叫ぶ。

「アルファチームへ連絡しろ!早く!」

「エドワード!……くそっ!聞こえるか!?上手く機能しない。俺達は脱出しないと……!!」

再び機体が危なげに揺れた。今度は流石に誰も驚かなかった。
アルファチームへの連絡はもっとも操縦席から近かったエンリコがやり、その間に瑞希は脱出手段を考える。
必死にエドワードが操縦桿を握り、ヘリのトラブルを直そうとしているが恐らくは無理。
もう目の前にはアークレイ山麓が広がっている。あの化け物達がいるあの森に墜落するのかと思うとげんなりした。

それより前に上手く脱出できるかの方が重要か……。目まぐるしく変わる窓の景色を横目で見やり瑞希は小さく息を吐き出す。
目の前の出来事よりも他の事を考えれるくらいに自分は冷静なようだ。

「ヘリから飛び降りるぞ!このままじゃ潰れたトマトだ!」

エンリコが叫び、ヘリのサイドドアを思い切り開けた。
ごお、と強烈な風が顔を強かに叩きつけ、耳の横を通り過ぎる。
ドアを開けたことにより空気抵抗が大きくなったため、先程よりも強力な揺れが体を襲う。

地面からは7メートル、というところか。
だが躊躇している暇は無い。ドア側にいたケネスから順にリチャード、フォレストと飛び降りていく。
エドワードも操縦席からなんとか這い出し、ヘリから脱出する。

残るは瑞希、エンリコ、レベッカの三人だ。

「レベッカ飛び降りろ!」

エンリコの切羽詰まった叫びに、レベッカは涙目になりながらもドアから外を覗き込んだ。
こういう実地任務というのは初めてらしいレベッカはその高さに尻込みする。
一瞬の気の迷いが命取りになる。それを良く知っている瑞希は苦い顔をして舌打ちをすると素早くレベッカの腕を掴み、そのまま外へと飛び出した。

「先行くぞ!エンリコ!!」

「えっ――きゃああああ!!!」

風が耳元を通り過ぎる音が鼓膜を強く叩く。
眼下に広がる木々をまっすぐと睨み見、落下のタイミングを見計らう。

後4メートル――

レベッカの身体を抱きしめ、自分を下にする。
S.T.A.R.S.とはいえ、レベッカは女の子。目も当てられないような大怪我を負ってしまってはかわいそうだ。

後2メートル――

落下の衝撃で舌をかまないようにぎゅっと歯を食いしばる。
上手く転がるようにすればある程度は落下の衝撃は抑えられるだろう。

――ドスッ、

「ぅぐっ……」

「ひゃっ……!!」

鈍い衝撃が背中に走る。落下と同時にレベッカの肘が見事に瑞希の鳩尾を殴った。
本人にその気は全く無かったのだろうけれど、今の攻撃は中々に効いた。
地面に叩きつけられた体勢のまま瑞希は悶絶し呻く。その声がレベッカにも聞こえたのかあたふたとレベッカが上から退く。

「ご、ごめんなさいっ!ごめんなさい!」

ごめんなさい、と謝罪を繰り返すレベッカに瑞希は笑顔を作り大丈夫、と言おうとしたが口から漏れるのは言葉にならぬ声だった。
それが更にレベッカの不安を煽ったのか、顔を青くさせて瑞希の傍で慌てふためいている。

「おい、皆無事か?」

「……おー……重傷患者が一人だ……エンリコ……」

「無事のようだな……」

エンリコは全員を見回してから、最後に俺を一瞥してふうと安堵したように小さく息を吐き出す。
どうやら俺の言葉は丸っとスルーされてしまったようだ。酷い限りだ。
そんなやり取りをしているうちに何とか痛みも引いてきた。
よろよろと立ち上がって身体中についた落ち葉やらを手で払い落としながらエンリコに近づく。

「で、これからどうするんだ?」

瑞希は隊長補佐、ではあるがブラボーチームのリーダーはエンリコだ。
今はリーダーであるエンリコの指示を仰ぐ。瑞希の問いかけにエンリコは小さく頷き、駆け寄ったメンバーの顔を確認してから口を開いた。

「とりあえず、当初の目的通り事件の調査をする」

「でも……危険じゃないですか?」

おずおずとレベッカがエンリコに尋ねた。
確かにヘリという退路を断たれた今、調査はかなり危険だがここでじっとしていても無意味だ。
どこにいようと奴らは瑞希達の生きた血肉の匂いを嗅ぎつけて這い寄ってくるだろう。
それにブラボーチームの通信が途絶えた事はアルファチームにも伝わっているはず。

「アルファチームも直に来る筈だし、それまで調査した方が効率的だろ……だよな、エンリコ?」

ああ、とエンリコは俺に同意する。
全員の顔を確かめた。皆少々顔が強張っている。
適度な緊張は現場には必要だが、過度な緊張は任務に差し支える可能性がある。

「アルファチームが来る前にきっちり犯人見つけてやろうぜ」

に、と笑って瑞希が言うと、場の空気が僅かに緩んだ。
実際のところはそう簡単にはいかないだろうが。内心はともかく表面上では元気付けておく。

「そういう事だ。さっそく調査に取り掛かるぞ」

エンリコの合図で瑞希達は動き出した。





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