闇夜に響く笛の音:01
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扉を開けて中へと入るなり、腐った肉の臭いが鼻を突き刺した。 廊下は左右に続いており、右側は突き当たりに扉が一つ――とゾンビが一体、此方に手を伸ばしじりじりと寄って来ている。 左側は曲がり角でその奥から覚束ない足取りとうめき声が複数重なって聞こえてくる。 瑞希は素早くハンドガンを構え、人差し指に力を込めた。
――タァン
乾いた破裂音が響く。脳天を狙って撃った筈だったのだが、どうやら外れてしまったようでゾンビの左肩を抉り取っただけだった。 ぐちゃりと腐った腕が床に落ち、血を撒き散らしながら醜く拉げた。 腕がもげてもなお足を止める事無く、俺たちを食べようと近づいてくるゾンビにしっかりと狙いをつけ今度こそ脳天を撃ち抜く。 額から硝煙を上げゾンビは仰向けに倒れて動かなくなった。ほうっと安堵しながらもすぐに顔を引き締め、まだ発砲音の聞こえる背後を振り返った。
「うわ……」
三体のゾンビが白く濁った焦点の合っていない気味の悪い目を此方に向けている。 一人は横腹が抉れており、赤黒くぶよぶよとした小腸らしき内臓が太もも辺りまで垂れ下がっていた。 ホラーやグロテスクなものに耐性がない人が見れば卒倒しそうな光景だ。目を反らせるならば反らしたい。 クリスが一番前にいたゾンビの頭を吹き飛ばす。全く羨ましいくらいの命中率だ。
前のゾンビが倒れた事で後ろの二体のゾンビがよろめいた。 その隙にクリスはすかさずコンバットナイフを構えると一気にゾンビに詰め寄りその首を切り付ける。もう一体も同じように。
「流石、だな」
鮮やかな手際だった。血を撒き散らしながら倒れたゾンビを横目で見ながら、瑞希は賞賛した。 コンバットナイフにべっとりとこびり付いた血を振り払いつつ、クリスはそうでもないさ、と笑う。
何はともあれ、この廊下にいたゾンビは全て倒せたようだ。物音一つしない。 静かな廊下を見回しとりあえずは右手の突き当たりにある扉を調べてみる事にした。
ドアノブを握り、そっと捻る。鍵は掛かっていない。 扉を押し、少しだけ開けて中の様子を確認する。
「ビビリだな」
「……用心深いって言ってくれよ」
小馬鹿にするように笑われて瑞希は口をへの字にしながら、安全を確認した部屋の扉を大きく開けた。 どうやら書斎のようで瑞希の背丈よりも大きな本棚が数個置かれており、そこには大量の本が隙間なく詰め込まれている。 本の背表紙を指でなぞりながら、タイトルを流し見していく。その脇でクリスは部屋の隅に置かれたデスクを物色している。
「何かあるか?」
「お、ハンドガンのマガジンだ」
デスクの引き出しの二段目を開け、クリスはにまりと口元を緩めた。 マガジンを取りそそくさと腰のポーチに忍び込ませているクリスの傍のチェストの上にキラキラ輝くものがあることに気がつく。 シンプルなランプシェードの明かりを反射させる銀色の小さなそれは細長い笛だった。その笛の横にくしゃりと丸められた紙が置かれている。
デスクを調べているクリスの傍らで瑞希は紙を丁寧に広げ、確認した。
――今日、スペンサー卿に呼ばれて、『ある物』を誰にも分からない所へ隠せといわれた。 色々考えた結果、僕はあるアイデアを思いついた。それはあの凶暴な飼い犬に護らせるのはどうだろうか?という事だ――
最後まで目を通してから、瑞希はクリスに声をかけた。
「クリス、これ」
「ん、何だ?」
「説明するの面倒くさいから読め」
くしゃくしゃになった紙をクリスに押し付けて、瑞希は部屋の奥にあるもう一つの大きなデスクを調べる。 開きっぱなしの薬草学の本と何も書かれていない白紙の手帳が置かれている以外はめぼしい物はない。
先ほどの紙には、ジョン・トールマンという人物が犬を飼っている誰かに宛てて書いたもののようで、内容は凶暴な飼い犬に何かを護らせる。って事だ。 スペンサーに託されたという事は何か大切な物に違いない。大食堂二階の西テラス――そこで犬笛を使って、来る犬の首輪にその大切なものが隠されている。 しかし、屋敷にいたのなら間違いなくゾンビ犬になっているだろう。呼べば襲われるに違いない。
「成る程な、それで犬笛は?」
「もう取ったよ」
小さな犬笛を人差し指で摘んで軽く揺らしてから、腰のポーチへしまいこんだ。 大食堂二階は東側ではなくホールを挟んだ西側だ。気になるものを見つけたからと、一々向こう側に行くのは面倒だ。 オーケイ。クリスの返事を聞きながら、瑞希は部屋の奥にあった扉を押し開けた。 ノブが壊れているのか奇妙な音を立てて扉が開く。その向こう側は階段のあるコの字型の廊下に続いていた。
「こっちは階段のとこに戻ってしまうみたいだ」
「そうか、ならさっきの廊下の左側の奥だな」
瑞希とクリスは踵を返し小さな書斎を出て、先ほどの廊下へと戻った。
倒れたまま一センチたりとも動いていないゾンビたちを踏まないようにしながら、銃を構え角を曲がる。 ゾンビはいない。壁に取り付けられたライトがちろちろと揺らめいているだけだ。 右手に大きな両開きの扉があり、その向こうには更に曲がり角がある。 クリスが素早く扉により、鍵の有無を確認する。
「どう?」
「駄目だな……鎧のマークが刻んである」
どうやら入れないようだ。それじゃあ仕方ない。 通路の途中に取り付けられた花柄のカーテンを潜り抜け、先へと進む。 今度は左手に扉がある――が、キーホールには鎧のマークが刻まれている。この辺りを調べるには鎧の鍵が必要なようだ。 鎧の鍵が手に入ったらまたここに来るとしよう。 早々に調査を切り上げ、突き当りの扉に向かった――ここは剣の鍵だ。
クリスに鍵を開けてもらい、扉を開けるとホールへと続いていた。 煌びやかなシャンデリアが辺りを照らしている。手すりを掴み、階下を覗き込んだ。 誰かがホールへ戻ってきている事を期待していたが、誰もいない。
期待が外れてしまい、瑞希は内心でため息をつき、緩く頭を振った。 悪夢はまだ始まったばかりだった。
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