海底基地からの脱出:02
菜月の声にふたりは振り返り、小さく頷くとすぐに此方へ駆けてきた。 道中にいた敵は牽制射撃をして一気に走りぬけていく。
足元を見ていなかったのが、悪かった。
「――わっ……ぐふっ」
爪先が床の縁に引っかかり、身体が傾く。 全力疾走していたせいで、手を付く間もなくべしょりと地面に叩きつけられる。 冷たい床に思い切り顔を打ちつけ、俺は呻いた。
「ナツキッ!大丈夫か!」
倒れた菜月に気付いて、クリスが戻ってきた。
「ごめ……!ちょっと躓いた」
「もう少しで脱出ポットだ。三人で必ず脱出するぞ!」
「うん!」
腕を引かれて立ち上がり、強く頷いた。
扉をくぐると脱出ポットのそろえられた部屋に辿りついた。 クリスは素早く脱出ポットの操作パネルに駆け寄ると、操作し始めた。 ピアーズはその脇に立ち、クリスの様子を覗き込んでいる。
その背中を見つめてから、菜月は小さく息を吐き出して自分の右腕を見下ろした。 絡まったり解けたりを繰り返す赤黒い触手にそっと触れる。 ぶよぶよとした人間ではあり得ない感覚に菜月は顔を顰め、静かに目を伏せた。
このまま助かったとしても、クリスに迷惑かけるだけじゃないのか。 クリスやピアーズは俺の事を気にするなと言ってくれるけれど、他の人達はそうじゃないかもしれない。 こんな腕じゃ、誰がどう見ても……化け物でしかない。
不安が湧き上がる。 脱出すると言った手前、こんなネガティブ発言をすればクリスは怒るだろう。 まだ、そんな事言ってるのか、と。分かってはいるけれど、とても複雑だ。
この腕さえどうにかできれば……。
ちらりと二人の背中を再度見た。 コンバットナイフが背中に付けられている。 B.O.Wにも対応できるように設計されているため刃は大きく太い。 それから、もう一度菜月は自分の右腕を見下ろした。
想像すると少し呼吸が乱れた。 だが、やっぱり方法はそれくらいしか考え付かない。 元の人間の腕は潰れてしまったし、飛び出たウロボロスの腕はどうも自分の中には戻らないようだ。 俺は生唾を飲み込み、クリスの装備に手を伸ばした。
「よし……いけるぞ」
パネルを操作していたクリスが声を上げた。 そして俺に振り返る。と、同時に表情が変わる。 俺の手の中にあるコンバットナイフに視線が釘付けだ。
「……ナツキ……?どうするつもりだ、それを……」
「大丈夫、死ぬつもりじゃないから」
顔を青くさせ、強張らせるクリスを安心させるようにへらりと菜月は笑う。 しかし笑顔が逆に不安を煽ったらしい。クリスの隣にいたピアーズも眉間に皺を寄せ、今にも掴みに掛かりそうだ。
「このままじゃ、シェバにも会えないと思うから」
深呼吸を一回、左手で握り締めたコンバットナイフを右肩の付け根へ当てる。 クリスのとめる声も聞かず、一気に下げた。
――ぶちぶちぶちッ
触手が嫌な音を立ててちぎれ落ちた。 本体から千切れてもウイルスとしての意思があるのかくねくねと動いている。 カラン、コンバットナイフが左手から零れ落ちて乾いた音を立てる。
激痛に一瞬息が止まったが、耐えれないほどではなかった。 もう一度大きく肩で息をして菜月は触手のなくなった右肩口を押さえた。 何にもなくなったそこに違和感を感じる。
「……バカな事するなっ!!」
「わっ!?ご、ごめん……クリス……。でも、どうしても、触手をどうにかしておきたくて……」
わなわなと唇を震わせ、クリスは怒鳴った。 驚いて菜月は吃音しながら弁明する。
「別にし――」
「……痛かっただろう?……無茶するな」
尤もらしい言い訳を並べるよりも前に、ぽすんと頭を撫でられた。 中途半端な所で言葉が途切れ、俺はクリスをただ見つめた。そして、クリスの表情を見て気付く。 ――……あぁ、また、心配かけてしまった。 一体どれくらいクリスに心配掛けさせれば気が済むんだと自己嫌悪する。
「……行きましょう、隊長、ナツキ」
「あぁ」
脱出用ポットの入り口を開け、ピアーズが静かに声を掛けた。 クリスが相槌を打ち、俺の手を掴んで歩き出す。
離さない、とでもいうように強く握られた左腕から、クリスの感情が伝わってくるようだった。 何となく分かる気がする。引かれるままに歩き、脱出ポットに乗り込む。 菜月が乗ると同時にがこん、と扉が閉まり、ポットが密閉された。
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