- ナノ -

それは突然いなくなりました。




あれから幾らか過ぎた。
ブウサギの私はカレンダーを見たが、今が何デーカン?何リデーカンなのかも分からないし何日かも分からない。
カレンダーには月を表す文字が書かれていたが、やはり読む事が出来ない。
フォニック文字はアルファベットと文法はよく似ているらしいがなんにせよどれがAでどれがBかも分からない。
どれもくるくるとうねった文字……難解だ。

文字を読むのはすでに諦めていた。
ブウサギ風情が文字を分かったところでなんになる。
世界を変えれる訳でもなく、元いた世界に戻れるわけでもなく。

そこまで考えて、由希は小さくため息をついた。

殺される恐れも餓死する恐れも無くなったわけだが、
アビスの未来を知っている身としてはこのままのうのうと暮らしてていいのだろうか、と不安になる。
言葉が通じなければどうしようもないし、通じたところで誰がこんなブウサギのいう事など信じるだろうか。

ピオニーならともかく、ジェイドやゼーゼマンは信じてくれない。多分。
本当にやっかいな身体だと思ったが、元の身体のままこの世界に放り出されていてもそう夢物語のようにはいかない。
何処の馬の骨かもわからぬ小娘を誰が助けてくれる?誰も助けてくれない。
ならばまだ、この方が良かった。

もう一度、ふうとため息をつき、いつも通りに宮殿内を散策する。
毎日歩き回ったお陰もあり、大体の部屋の位置は覚えた。
扉を開けるのもお茶の子さいさいだ。

(……そういえば)

ふと気付く。
最近ジェイドに会っていないな、と。
ピオニーと共にいれば、一日に一回は目にするジェイドの姿を此処最近見ていない。

とことこ。小さな歩幅でジェイドの執務室に向かう。
執務室に行けば何か分かるかもしれない。
思い立ったら行動。必死に足を動かした。

茶色い木製の扉。
ぴょこんと飛びあがりドアノブに触れる。
いつも通りに捻れば、開くはずだった。

べちょ、がんっ――

説明しよう。べちょは顔が扉に打ち付けられた音。
がんっは鼻先がドアノブにぶつかった音だ。

「〜〜〜〜っ!(〜〜〜〜っ!)」

開くはずの扉は開かず、私は思い切り顔を打ち付けた。
あまりの痛みに目じりに涙が浮かぶ。
その場に座り込み、打った鼻先をさする。

誰か、ファーストエイドをかけてください。切実に。

一ブウサギに治癒譜術をかけてくれる心優しい人がいるはずもない。
痛みが引くまでその場に蹲る。

「あらあらこんなところにいたわ」

その声には、として顔を上げた。
メイドの服に身を包んだ30代前半くらいのおばさんが此方を見下ろしている。
確か名前はリリィさん。いつもブウサギの世話をしている。
どうやら彼女は私を探していたようだった。宮殿から少し離れたここまで。
申し訳ない気持ちになりながらも、私はジェイドの執務室をじっと見つめた。

「カーティス大佐が気になるの?――あら、鍵が掛かっているわね」

私の代わりにリリィさんがドアノブを捻り、押したが開かない。

「あぁ、そういえば……ピオニー陛下が何か大佐に頼んでいたわねぇ……」

も、し、か、し、な、く、て、も、ストーリーですか。
和平の使者ですかジェイドさん。

不意に脳裏に浮かんだのはローレライ教団の導師イオンと導師守護役のアニス、そしてタルタロスとジェイド。

そっか、そっか、もうそんな時期なんだ、と思う。
物語が進むのをこの目で見れない事がとても残念だ。

「ジェイドはカーティス大佐が好きなのね。暫くは戻ってこないみたいだから、それまで我慢、ね?」

「ぶぅ……(そっか……)」

がくりと肩を落とした。
ジェイドの事はまあ好きだが、それで落ち込んでいるんじゃない。

ぽんぽんと頭を撫でられ、さあこっちへと促されるままピオニーの自室へ向かったのだった。



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