- ナノ -

それは突然舞い込んだ幸運だった



毎朝餌場に入れられる草をむさぼりながら、由希は息を吐き出した。
何の草かは知らないが、まあ別に美味しくも無く不味くも無く、可もなく不可もなくといったところだ。
味覚はどうもブウサギ用に変わったようで草が食べれない、という事はなかった。
初めは躊躇したけれども、生きていれば腹はすく、というのが自然の摂理で食べずに入られなかったのだ。
それでもやっぱり食べる量は他のブウサギたちよりも格段に少ない。

入れ替えられたばかりの水を少し啜った。

「よしよし、お前最近ちゃんと食べてないなぁ」

年齢は40歳後半くらい、だろうか。
恐らくこの養ブウサギ場の主だ。彼がいつも餌をいれたり水を替えたりしている。

頭を撫でられて、ぶひぃ、とため息をつくように彼を見上げた。
ため息がついたのが分かったのだろう、彼は目を丸くした後に苦笑した。

「何だよ、その人間臭いため息は」

いや、人間です。心の中で呟いた。
口に出してもどうせぶひとかぶふぅとかしかいえない。

「なんかの病気なのかなぁ……だとしたら、とっとと殺さないと他のブウサギにうつっちまう」

そこまで言われて、ぎくりと私は震えた。
そんな由希には気付かず、彼はよっこらせと腰を持ち上げて建物の中に入っていった。

彼はすぐに戻ってきた。

手には大きな大きな……刃物を持って。

ぎらりと光る銀に顔を引きつらせた。

(殺される)

じりじりと後ずさる。
他のブウサギたちは我関せず、といった風に未だ餌場にたむろっている。

「悪いけどなぁ、これも商売だからな」

そうだ、彼も商売だから仕方がないんだ。
それは由希にも分かる。けれども私は死にたくはない。

振り上げられた刃物が、振り下ろされるよりも前に私は駆け出した。

目の前には聳え立つ大きな柵。

飛び越えられるだろうか?
いや、飛び越えなくては私に明日は無い。

四本の足にめいいっぱい力をいれ、跳躍する。
たぷんと重い身体が跳ね上がる。


上がる

上がる

上がる。柵の上を越えて、そして外に着地。
私は飛び越えれた事に感動をする間もなく、ばっと駆け出した。

飛び越える事がゴールじゃない。
此処から逃げ出さなくては。

四本足を必死に動かし走る。
背後からはあの男の声が聞こえる。

怖い、怖い。

怖くて泣きそうだ。

震えそうになるのを我慢して私は走る。

だから気付かなかったんだと思う。


前方に人がいたなんて。

がつん、と脳天に衝撃が走り、跳ね返ってでちんと重たい身体が地面についた。
人間でいう尻餅をついた状態だ。

青い服が目に入った。

「お、ブウサギじゃねぇか。おーよしよし」

首もとをさすられ、私はそのくすぐったさに目を細めた。
可愛いなぁ、とぶつかった主の笑う声が聞こえ、私はそろそろと頭上を見上げた。


そして、これでもかというくらい目を見開けたのだった。




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