- ナノ -

遭遇!ベヒモス!




沢山の人の協力により由希達はバチカルから脱出した。
バチカルから殆ど休憩なしで南西のイニスタ湿原へと向かった。
そのため、由希はかなり疲弊している。
いや、ルーク達も言葉には出さないだけで表情は疲れている。額にも汗が滲んでいる。

鼻を掠める不思議な香りに私は辺りを見回した。
赤い色をした大きな花が湿原の入り口に沢山生えている――植えられている、といった方が正しいだろう。
初めて見たがあの大きな花がラフレスだという事は何となく分かる。
ラフレスは確かベヒモスを湿原から出さないように植えられていた筈だ。

歩きにくいべちゃべちゃとした地面を踏みしめる。

「タチの悪い魔物に会わなければいいのですが……」

ぽつりとジェイドが呟いた。
その言葉は丁度隣を歩いていた私にしか聞こえなかったようで、誰もジェイドに振り向かない。
ジェイドを見上げると、彼は小さく息を吐き出してずれてもいない眼鏡をくいと人差し指で上げていた。

"タチの悪い魔物"というのは恐らくベヒモスの事なのだろう。
ゲーム内でもかなりのHPだったし、操作があまりうまくなかった私は結局倒せていないままだった。
正直ゲーム内のようにライフボトルですぐ回復、なんて上手く行くはずもないし、出会わない方がいい。

湿原は歩きにくい上に、魔物は強い奴が多い。
足場が悪いのに戦うのは難しい。泥濘に足をとられて魔物にやられるなんて、冗談でも嫌だ。

キュ。

ガイがホーリーボトルの栓を開け、少しずつ全員に振りかけた。
液体のように見えるのに、何故だか身体にかかっても濡れていない。
一体どんな風に製造しているのか非常に気になるところだ。

「これで多少は魔物との戦闘は防げるだろ」

何となく全身がキラキラ光っているような……。本当、不思議だ。

ぺちゃぺちゃと湿原を歩く。
足が短いため、踏みしめるたびに泥水がお腹に当たって冷たい。
ルーク達の靴もぐっちょりと濡れてしまっている。ズボンの裾も色が変わってしまっている。
それでも皆何も言わずに黙々と歩いていく。

随分湿原を歩いた。出口ももう少しだろう。
すでに4本目のホーリーボトルを開けてガイが慣れた手つきで振り掛ける。
慣れない大地に全員が疲れた表情をしている。
一歩一歩が重いのだ。

「ナタリア?」

ルークが一人遅れているナタリアに気付き声をかけた。
ナタリアの足取りは酷く遅い。俯いて、何か考え込んでいるようだ。

「ナタリア、どうかしたのか?」

今度はガイがルークよりも少し大きな声で呼びかけた。
は、としたようにナタリアが顔をあげ、離れた距離に気付いたのか眉を下げる。

「申し訳ございませんわ……私ったら……」

色々と有りすぎたせいで随分参っているようだ。
謝罪するとナタリアは私達に追いつこうと足を動かした。

が、その間に赤黒い肉体が割り込んでくる。
斧のような太い尻尾に見上げるほどの大きな身体――ベヒモスだ。

「ひっ――」

ナタリアが息を呑む。
その小さな音に気付いたのかベヒモスがぎょろりとした目をナタリアに向ける。
カタカタと小刻みに身体を揺らすナタリアは動けそうにない。
ゆっくりとベヒモスは獲物――ナタリアの方へと距離を詰めていく。

「ナタリアッ!こっちに引き付けろ!」

剣を抜き、真っ先にルークが飛び出していく。
ティアも杖を構え、譜歌を詠いだす。

「仕方ありませんね……とにかく此方で引き付けて、その間にナタリアを救出します」

救出したら、すぐにあの橋まで逃げますよ!ジェイドが作戦を全員に伝えてから詠唱に入る。
了解。とガイが頷き、ルークに加勢に行った。
アニスはこの湿地では濡れてしまうためトクナガには乗らず、譜術で援護する。

「ナタリアッ!早くこっちに来い!」

ルークがベヒモスを相手にしながら、ナタリアに叫ぶ。
しかしナタリアは身体が竦んでしまっているのか動かない。
ジェイドが面倒そうに舌打ちをしたのが聞こえた。

おろおろと由希は戦闘を見守るが、どう見ても押されている。
ガイもルークもベヒモスの攻撃を防ぎながら、苦々しげに顔をゆがめている。
このままでは負けてしまう。それだけは避けなくてはならない。

生唾をごくりと飲み込み、私はぱちゃんと地面を踏みしめた。

ばっとナタリアの方へ駆ける。
幸いベヒモスはルーク達を見ていて此方には気付いていない。
ナタリアの元へ駆けつけ私はちょんちょんと足を鼻先でつついた。

「じぇ、いど……」

「ぶひぶひっ!(逃げよう!)」

此方を見たナタリアに伝わればいい、と思いながら私は鳴いた。
戸惑いを顔に浮かべながらも、ナタリアは小さく頷き恐々と皆の方へと向かう。

足音を立てずに、そっと。
私もナタリアの後ろをついていく。

「まずい!逃げろ、ナタリアッ!」

突然此方を覆う影が目に入った。
顔を上げるとベヒモスが此方を睨んでいる。

ぁ……。ナタリアの恐怖に怯えた声が漏れる。

ルークが焦って此方に向かってきているのがベヒモスの影から見えた。しかし、遅すぎる。
太く大きい、そして鋭い爪のついた腕が振りかぶられる。
血の気が失せるのを私は初めて感じた。

あんなモノで殴られればナタリアは――

「(雷雲よ我が刃となり敵を貫け――サンダーブレード!)」

何かを考えるよりも前に、口が動いていた。
譜陣が展開されベヒモスに向けて雷の剣がぐさりと突き刺さり、ぱちぱちと紫電を放つ。
突然の攻撃にベヒモスは身体を痙攣させて動きを止めた。

「今です!逃げますよ!」

ジェイドの号令にルークがナタリアの手を引く。
由希もその後を追いかけて、ベヒモスを振り切るために湿原を走り抜けた。

ラフレスが咲く橋の真ん中までたどり着き、漸く一行は足を止めた。
ジェイドを除く全員がはぁはぁと肩で息をしている。

「死ぬかと思った……」

額の汗を拭いながら、ルークが息を吐き出した。
それにガイも同じように同意する。

「本当に申し訳ございませんわ……私のせいで……」

「仕方ないさ、ナタリアも色々参ってるだろうし」

「ですが……足を引っ張った事には変わりありませんもの」

ガイのフォローもナタリアは後ろ向きに受け止める。
表情は暗い。いつもの元気はない。
私はちょこちょことナタリアの足元に寄り顔を見上げた。

「ぶひぃぶひぶ!(ナタリア、元気出して!)」

「元気出して、と言ってるですの!」

ぴょんとルークの肩から私の背中へと飛び移りながら、ミュウが通訳した。
ナタリアは目を見開き、私の傍に屈み込み頭をそっと撫でて小さく笑った。

「ありがとう、ジェイドは優しいのですね」

「はは、それにしても、凄かったなさっきの譜術」

旦那にも負けないんじゃないか?ガイが笑いながら、同意を求めるようにジェイドを見た。
由希もつられてジェイドを見ると、やけに真剣な顔をしたジェイドと目が合った。
赤い眼に真っ直ぐ見つめられると少し怖い。全部、見透かされてしまいそうで。

私はぶるっと身体を震わせ、視線をそっと外す。

「……旦那?」

「いいえ、少し気になった事がありまして」

カツカツ、とブーツのヒールを鳴らし、ジェイドが此方へ近づいてきた。
ぽすと頭に皮手袋の感触が当たる。ひんやりと冷たくて、気持ちがいい。

「ブウサギがここまで譜術を扱えるものでしょうか?」

「扱えるんだろ、現にジェイドはやってるし……」

「そもそもブウサギは譜術を使うような種族ではないんですよ」

ジェイドの言葉にどきりと心臓が跳ねた。
ばれるんじゃないかと冷たい物が全身を駆け巡る。

「勿論チーグル等譜術を使う魔物はいますが……食肉用のブウサギが上級譜術を使うなど、聞いた事もありません」

ブウサギが譜術を使えるのなら、食肉用ではなく戦争の兵器として育てられるでしょうね。
変。疑うようなジェイドの視線に由希はごくりと唾を飲み込み俯いた。
私はブウサギじゃない。本当は人間だ。だから、譜術も使える。
しかし、本当にそれだけなのだろうか?自分じゃ、分からない。

疑うようなジェイドの視線に恐怖を感じる。

「ジェイドはジェイドだろ。そんな細かい事、どうでもいいだろ」

「私は気になるのですが――」

頭上で繰り広げられる会話に私はだんだんと身体が重くなってくるのを感じる。
そうだ、さっき譜術使ってから、調子が悪かったんだ。

「ジェイド……?」

傍にいたナタリアが私の変化にいち早く気付く。
が、意識が遠のくのは止められない。

ぐるりと世界が回るような気持ち悪さを感じながら、私の意識は暗転したのです。



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