「ただいま」
「おかえり」
部屋にやって来たヒソカにただいまと言われ、反射的におかえりと言ってしまった。
よく考えたらいきなりのアポなし訪問なのだから、そんなことを言ってあげる筋合いはまったくないのだけれど、なにしに来たのと突っ込むのも面倒臭かったので、そこは適当に流した。
それに今私は、夕飯の準備でいそがしいのだ。ガスコンロの火を調節して、調味料を用意する。あとは味付けを整えて、もう少し煮るだけだ。
「なにを真剣につくってるんだい?」
「これはね、ジャポンの料理で、肉じゃがというの」
「肉じゃが?名前から察するに、材料は肉とじゃがいもかい?」
「御名答。よくわかったわね」
「まあそのまんまだしね。ボクのぶんはあるのかい?」
「いきなりやってきて図々しいんじゃない?」
「いつものことじゃないか」
「自分で言うな」
あきれた物言いに、ため息まじりに振り返る。するとヒソカはいきなり上半身の服を脱ぎ出した。ところどころ服が泥で汚れている。
「ちょっとヒソカ、脱ぐならお風呂のほう行ってよ」
「いまさら恥ずかしがるなよ」
「床が汚れるって言ってるの」
「はいはい」
全然反省していない顔のヒソカをにらみつける。
「いったいどうしたらそんなに汚れるわけ?」
「ひみつ」
ククッと笑うヒソカが気持ち悪い。本当になにをどうするとあんなに汚れるのだろうか。でも、この間の血だらけで帰って来たときよりはマシだと思った。
ドアを開けたら血に染まった真っ赤な男が立っていたのだから、下手な怪談話より数段こわい。
なんてことを思い出したら寒気がしたので、それを振り払うように身震いをした。それから味見をするため肉じゃがを一口食べる。うん、美味しい。初めて作るジャポンの料理だけど、これは我ながら上出来だと思った。
「うーん、でももう少し甘いほうがいいかな」
砂糖が入った透明な容器を手に取り、計量スプーンですくってお鍋に投入する。
「ねえ」
「わっ」
バスルームに行ったと思ったヒソカに、いきなりうしろから声をかけられた。びっくりした拍子に手が滑った。お砂糖が入った容器はひっくり返り、あろうことか肉じゃがの上に中身がどばどばと落下する。鍋の中に白い山ができてしまった。
「あー!!」
「あーあ、すごいねえ」
こんもりとしたお砂糖を見て、さながら山頂に積もる雪のようだね、とヒソカが言った。私は呆然とする。
「ど、どうしてくれるのよ、ヒソカ」
「わざとじゃないよ。ボクはただ、タオルを貸してって言おうとしただけさ」
「言い訳はいいからなんとかしなさいよ」
私は怒りを抑えて、きつくヒソカをにらみつける。
「そう言われてもねえ」
「ヒソカの念は?ほら、あのバンジーなんとか」
「バンジーガムだよ。前から思ってたけど、キミ覚える気ないだろ」
「そうそれ、バンジーガムでなんとかならないの?」
「なんでもボクの念に頼るのやめてくれよ。キミの右手に持ってるそのスプーンですくえばいいじゃないか」
上半身裸のヒソカは、腕を組んで少しムッとした表情を浮かべた。
だがすでに砂糖は半分くらい溶け出して、じゃがいもや具を覆いつくしている。いまさら砂糖を取り除いても、おそらくものすごい甘い味になっているに違いない。きっと食べられたもんじゃない。
「じゃああれだ、ほら、なんだっけ。えーと、なんかこう薄い……薄っぺらい名前のやつがあったでしょ。あれは?あれで味を変えたりできないの?」
「それってもしかして、ドッキリテクスチャーのこと?」
「うん、それ」
私は大きくうなずく。
「あいにくだけど、ボクの能力に料理の味を変えられるようなものなんてないよ」
ヒソカはあきれたように言うと、バスルームのほうへ足を進めた。
「ちょっと待った」
「なんだよ」
ぐい、とヒソカの腕をつかみ、ガスコンロの前に連れ戻す。
「ヒソカってさ、変化系だったよね?」
「それが?」
「いいこと思いついたの。ちょっとこの肉じゃがに『発』をしてみて」
「は?」
「『発』だよ。前にヒソカが言ってたじゃない。念の系統を調べる水見式では、変化系の人間は水の味が変わるのよね?だからちょっとやってみて」
「無茶言うなよ。料理の味が変わるわけないだろ」
「やってみなくちゃわからないじゃない」
「やってみなくてもわかると思うけど」
私の提案はヒソカにことごとく却下されてしまった。お互い腕を組んだままじっと見つめ合う。目に見えるほどの冷ややかな空気がまわりを包んでいた。
「……じゃあどうすればいいのよ。もとはといえばヒソカが悪いんじゃない。ヒソカが来なければちゃんと肉じゃが完成してたのに。ヒソカのせいだヒソカのせいだヒソカの」
「もう一回作り直せばいいだろ?」
「もう材料使い切っちゃったわよ」
「……」
ふう、とヒソカが息を吐く。駄々をこねているのは私も百も承知だ。だけどせっかく作った料理が台なしになってしまったのだから、ヒソカのせいにもしたくなる。
「いいこと思いついた。ヒソカってさ、嘘つきでしょ」
「なんだい突然」
「嘘つきなんだから、ボクのせいですごめんなさいって嘘ついてよ。それで丸くおさまるわよ」
「どういう理屈だよ」
「名案だと思わない?」
ヒソカは考えるような表情をして、また深いため息をついた。その顔にいつもの笑みはなく、なにか葛藤しているような、そんな渋い顔だ。そしてヒソカはまた深く息を吐いた。
「とりあえずシャワー浴びさせてくれよ。ボクの嘘は、そのあとだ」
そう言い残してバスルームに向かったヒソカの背中を見て、ちょっとかわいそうかなと思ったけど、せっかくだからお言葉に甘えようと思う。
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