はるかは、目の前で震える手を静かに握って目を閉じた。
そう、あなたは…この幼い少年は、愛というものに触れぬようひとり耐えていたのね。
彼のオッドアイから溢れる大粒の涙が若草をしとしと濡らす。彼ははるかの従者であった青年に似ていた。いまはシンドリアにて新たな主に尽くしているのだろう。彼のように、目の前の君…練白龍がいつか怨み復讐のためではなく誰か愛おしい人のためにその剣を握れる日が来んことを、心の底からはるかは祈った。

「白龍様、」

彼の名を呼ぶ。涙は止まらないし、彼の瞳もはるかを捉えない。

「白龍様、わたくしが貴方様に出会ってからまだ一月も経っておりません。ですから、貴方様のお気持ちを察することは出来ませぬ」
「…わかっています」
「しかし、わたくしはこの国へ貴方様の妻となるためにやって来ました」

言っている意味が分からない、といった顔でようやく白龍は顔をあげた。それにはるかがふわりと笑みを見せれば、白龍は若干気まずそうに口を結んだ。

「白龍様。妻とは、訳も聞かず一生夫に寄り添うものでございます」

夫を信じ続けるのが妻の役割にございます。
白龍の目にもう涙は見えなかったが、不思議と先ほどよりも泣いているような顔をしていた。

「はるか殿」
「はい」
「俺は怖かったのです」
「はい」
「俺にはやらなければならないことが、俺にしかできないことがあるのに貴女という女性に染まってしまうのが怖かった」

はるかは答えなかった。恐ろしく静かな空間の中で、遠くで鳥のさえずる声だけが聞こえた。

「俺の野望には妻は必要ではない。しかし義兄上の手前、婚約を破棄するわけにはいきませんでした。俺に出来るのは、貴女との距離を縮めず、問題になるほど離さないことだけでした。そのために面会の時間を設けたのです。それさえあれば不仲と囁かれることもなく距離を一定に保てると思った。…はるか殿は知らなかったでしょうが、面会の真実とはこうなのです。決してはるか殿の言っていたような…」
「存じておりました」
「え?」
「存じておりました、白龍様。」

面会時間とは、白龍自身が考えた規定であり、2日1度稽古や巡礼に追われる白龍とはるかが時間をぬって互いの顔を合わせる、名前通り面会の時間であった。
多くの者は夫婦でありながら双方の忙しさに物を言わせあまりに遠い距離を保つ先代の皇太子夫婦を思い、白龍のその提案をなんと愛情に満ちたものだと評価した。しかしはるかはそれが愛情によるものなどではないととうの昔に知っていた。そして、自身の夫であるはずの白龍が自分と距離を置きたがっていることにも。
その図りかねるプレッシャーの中、第一回目の面会の中ではるかは笑顔で白龍にこう告げた。

「お忙しい白龍様に2日に1度も会えるなんて、はるかは何て幸せなのでしょう。きっと白龍様の愛情をこんなにも受け取れるのはわたくしだけですわ」

それははるかという真っ白なルフに囲まれた純粋という言葉の世界一似合う女性が口にした最初で最後の皮肉であった。

「しかし、白龍様がどのような理由でわたくしと面会なさるのかはもうどうでもいいのです。あの時は失礼なことを申しましたけれど、」

彼女の皮肉に気付かなかった白龍は、はるかの口から失礼なことなど出たことが一度でもあっただろうかと首を傾けた。

「白龍様、」

はるかはしりすぼみに彼の名を囁いた。
白龍ははるかを見つめながらも返事はしなかった。

「白龍様。」

再び間を置き、はるかが強く呼んだ。彼女の力のある声を聞くのは、きっと白龍にとって初めてだろう。突然のことに白龍は背筋をぴんと伸ばし驚いたようにはい、と返事をした。


「白龍様、わたくしは小国の元第一皇女にございます。それだけの女です。ですから、これが許されるものかは存じ上げません。」

白龍の目にははるか以外いない。
白龍の耳にはるかの声以外はない。

「白龍様、お慕いもうしております。」

この場で、はるかは初めて白龍の期待に反した行動に出た。
真の夫婦になろうとした。

「貴方様と初めてお会いしたとき、このような気持ちは抱いておりませんでした。でも、いまは、貴方様へ抱くこの少女のような恋心はもはや抑えられるものではございませぬ。白龍様、はるかは貴方様を愛しております。見返りを求めておるのではありません。ただ恋先のお方に知っていて欲しかった」

そこまで一息に言うと、はるかは静かに立ち上がった。

帰りましょう。わたくしたちの従者が心配してしまうわ。

白龍ははるかの儚い笑顔を見て、その細く小さな体を引き寄せて自らの腕の中へ閉じ込めたいと思った。それは彼女の気持ちに感化されての行動などではない。もしこうやって、はるかを受け止めることが出来たらなんと素晴らしいのだろうと白龍は幾度も繰り返した悲しき戯言を重ねて心の中へ紡いだ。

「はるか殿、…ありがとう」

はるかの腕を取れない白龍と、そんな彼を憎めない彼女。
はるかは、この不自然な回転木馬のような関係がこの先終わることなく繰り返されることを知っていた。



悲しき哉回転木馬よ



この日の「出張密会」の日から、お二人のお互いを見やる目が変わったと、はるかの従者は確かに感じていた。
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