「ふああ〜〜あぁぁぁ…」
「最近ほんとう眠そうね、ハルキ」
机にべったりとはりつき目をしぱしぱさせるハルキは、ここ数日の私たちの話題だった。
「基からそんな寝る方じゃないけど、さすがに最近欠伸多すぎじゃろ」
「ここんとこは授業中もグッスリだもんね、少年」
「そーそー。ときどき寝ぼけてあたしのイス蹴るんだもんこいつ」
いつも10時前後には家の電気がすべて消える青木家に比べれば、私もハルキも夜更かしする方だけど、日中眠くて意識が遠のくなんてことはめったにない。一度生徒会の仕事とテスト期間が重なって明け方4時くらまで起きてた時はさすがに放課後のミーティング中に首を傾けてしまったけどそれくらいだし、ハルキこそ一晩中ゲームしたりすることもあるみたいだけど(そりゃあ感心はしてないわよ)休み時間まで瞼が開かないなんてことは今まで一度もなかった。
「別に遅くまで起きてるわけじゃないのに…。昨日だって無理やり12時には寝かせたのよ?」
「ここまで来ると心配だよなァ」
はるかチャンとミノルがわざわざ俺らの教室まで見に来るほどだし。明るい金色の髪をいじりながらハルトが言う。朝、フラフラとみのりによっかかりながら階段を上がっていったハルキのことを思い出した。珍しくみのりも突っ返さないで引っ張っていったようだったけど、私もミノルも見えなくなるまではらはらとその後ろ姿を見送ったのだ。
「…病気じゃないよね」
だからミノルからぽろりとその一言が出たのも、なんら不思議ではなかったし口にしないだけで誰もが持っていた疑問でもあった。体が異変を知らせるために睡眠を取ろうとしてるのだろうか?それともそのまま頭に問題が?
「とにかく、いっかい病院いった方がいんじゃねェのかな」
ぽんぽんとハルトくんに頭を撫でられても、私はうつむくことしかできなかった。始業まであと2分弱。ミノルが教室に戻ろう、と私を促す。病院にいってもし残念ですがあなたのお兄さんは…とか言われてしまったらどうしよう。教室を出る前にもう一度振り返ってみたら、机に伏せたハルキをさみしそうに覗き込むみのりの姿が見えた。怖いのは私だけじゃない。
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「ハルキ、おーいハルキくーん」
うーん、と眉をよせて顔を向きを変えるハルキの前で手を精いっぱい振ってみる。これからコイツの大好きな体育だってーのに、本人さんは相変わらずおねむのようだ。ダメだこりゃ、という顔で体操服の入ったミニボストンを斜めかけたみのりと顔を見合わせた。教室の外からみのりちゃーん、着替えいかないのー?とクラスの女子の声が聞こえる。
「仕方ないよ。先生にはテキトーに言っといて休ませちゃお」
「んじゃオレもハルキとここいよーっと」
「はぁあ?あんたまでサボる必要ないじゃんバカルト」
「いーでしょ、見逃してよみのりチャン」
「きもい」
「ひどい」
「じゃあ、ハルキのこと任せたからね!変なことはナシだよ!」
ラジャー、と敬礼してみせたら、みのりは「敬礼は右手!ばーか!」と叫びながらバタバタと廊下を走って行った。
「おーい眠り姫ならぬ眠り王子ってカンジ?いやハルキの場合姫でも全然オッケーか」
なーんちゃって。
いつもなら目かっ開いて殴りかかってくるセリフだけど、ご生憎様。オレらの姫は未だにログアウト中らしい。
たったひとり抜けたぐらいでオレの友達の多さに違いはないけど、
「つまんねェの」
早く起きろよバカヤロー。普段うるさいヤツが静かなことほど気味の悪いことはない。ハルキはやっと返事をするように低くうなった。
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「えっ、成長睡眠?」
聞きなれない言葉に通していた書類から顔を上げた。どうやら会長も私と同じだったようで、手を止めて目を見合わせた。
「聞いたことないな。じゃあおれ達の年代特有の物なのか」
控えめな白と黄色の花は何輪あっても押し付けがましくなく優雅で潤おしい。それらの茎を切りそろえながら、ジョー先輩はそうですねえ、と小さくうなった。生徒会室にはいつどこから客人が見えても対応できるようにいつも四季にあった花とお茶とお菓子を用意している。そこで茶道部と華道部の部長を掛け持ちしているジョー先輩にコンサルタントとして数週間に一度、それらの用意をお願いしているのだ。ちなみにこんなに落ち着いてて大人なジョー先輩だけど、なんとあのハルトとかなり仲がいいらしい(正直まだ半信半疑だけどね!)。
「要は成長痛みたいなものですよ。人というのは身体的、精神的に大きく成長するときにはたくさんの睡眠を必要とするんです。少し違うけど、第一次成長期の子供たちもよく眠るでしょう」
真っ白な花瓶に少しずつ色が添えられていく。まだ咲ききっていない花たちは少しだけ花びらを広げてもどかしそうだ。
「人生の転機が訪れようとしているときも眠くなるといいますし、そんなに心配することはありませんよ。病院に行くのは念のため、こういう機会に久しぶりに体を診てもらうのも悪くないでしょう」
手早く花の後始末をして、お茶でも入れましょうとさっさと奥へと消えてしまったジョー先輩の背中を見つめる。「蓮にああいわれたら、なんだか悩んでたのが馬鹿らしくなるだろう?」と会長が悪戯に笑うので私もなんだか肩の荷がすっかり降りてしまったように感じた。
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さっきまでの違和感がやっとわかった。ずっと体を庇ってるんだ。
体育から帰って、ハルキのねむねむオーラにやられて一緒に眠りこけたらしいハルトを起こしながら、ハルキが何かおかしいと感じた。それが何なのかわからずに首をかしげるばかりだったけど、足や手を庇うように姿勢を変えながら寝ているんだ。朝こそ腕枕で寝ていたけどいつの間にか頭をぶつけるだけになり、今は器用にイスの上でまるまって足を抱きしめて眠っている。
…病気じゃないよね?″
朝のミノルの一言が思い出されてひやりと背中に冷たいものが走る。寝かせてやろうとか言ってる場合じゃない。こうやってる間にもハルキの体は何かに侵されているのかもしれない。
「ハルキ!起きて!!ちょっと、ハルキ!」
教室、ううんたぶん廊下にいた人たちの視線がいっせいにこっちを向く。きっと同じクラスの人たちは何で今さら?っていう疑問もあるんだろけど。あんなに揺らしても起こさなかったハルトも何事かと目を覚ました。
「ハルキ!」
「おいおいみのり!?いきなりどーしたんだよ?」
「ハルキあんた、どっかおかしいんじゃないの?足痛いの!?」
「へ?足?」
やっとハルキがびくりと動いて体を起こす。でもその顔は悲痛に歪んで、ひとこと。
「…なんか、体中クッソ痛え…」
そこからはもう何が何だか。立とうとしたハルキを「動くな!」とハルトと二人で制して、「ちょっと、2年の東はるかとミノル呼んできて!」と気付いたらそこらへんの人に叫んでいたし、ハルトはハルトでハルキを抱え上げて「このまま病院行くだろ!?」とそれはもう慌てていた。結局あたしとハルトははるかとミノルが駆けつけるまでハルキを抱えたまま彼の鞄をひっくり返し、保険証を探し回り、あたしにいたっては泣き出しとコンランしていた。
でもあの時のあたしには辛そうなハルキの寝顔とあの誰よりもエラそうなバカが小さく丸まってハルトに抱えられているところしか目に映らなくて、このままハルキが自分の隣からいなくなるような気がして本当に不安だったんだ。
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「なんか一生分寝たってカンジして昨日も一睡もできなかったんだけど」
「あっそ」
「ふーん」
「よかったね」
「オメデトー」
「お前ら冷たくね!?」
あのハルキ“全身が痛くて眠い”事件から約3日後。見ての通り本人はケロリとした顔で登校してるわけだけど…とりあえず、順を追って説明していこうかな。
あの日、あと生物だけだー!とはるかと教室で話していたら、いきなり3年の何人かの先輩がおれ達を呼びに来た。しかもその人たちが「東がヤバい」なんて言うもんだからはるかとおれは猛ダッシュで彼らについて行った。そこで見たもの?うーん、知らない方がいいと思うけど…ハルキが知ったらハルトを殺しかねない、とだけ言っておこうかな。
足と肩が痛いというハルキを4人で病院まで連れていって、事情を説明した。最初こそおれ達の剣幕に押されて深刻な顔つきをしていた先生も最後には笑い出しそうな―――厳密に言えば笑い出したのだけど―――声で、
「それは、うん、成長痛だね」
と言った。
それから3日間まるまる寝て学校に復帰したハルキはまだ痛むらしい足にサポーターを巻いて晴れやかな笑顔で登場したってわけだ。
結果的に今回のことは城紅寺先輩の株を上げて終わったってことになるけど、まあともかく、
「オレが無事でよかっただろ?」
お前が言うな!