執事さまの憂鬱
『お嬢様はメイドさま』より
「――……は?今なんと仰いましたか」
美しく整った顔には似つかわしくない深い皺を眉間に刻み、柏木葵は目の前で困ったように微笑んでいる人物を見つめた。
「いや、だから……、蒼井くんのとこのご子息と婚約の話が出てるって雛に伝えてほしいんだけど……」
聞き直したところで同じ返答が返ってきたことに葵は表情を険しくしたまま、こちらの様子を窺う視線を送ってくるこの西園寺邸の主、西園寺拓郎が一体何を考えているのか思考を巡らせた。
「雛さまはまだ高校生ですよ。そのようなお話は少し早いと思いますが」
「うん、そうなんだけど……」
雛とよく似た垂れた瞳の目尻に笑い皺を刻んで苦笑した拓郎は、言いづらそうに言葉を濁した。
拓郎がこういう顔をしている時は、自分に多少なりとも非がある時と決まっていることを葵は知っている。
「なぜ婚約のお話が出たのでしょうか」
「いやぁ〜……、実は先日蒼井くんと会う機会があって、その時に提案をされたんだよ。雛と同い年の息子を結婚させるのはどうかって。息子の陽介くんとは彼が小さい時に何度か顔を合わせていたし、それで……」
「断ることもできたのではないですか」
「ほら、それは、これ……」
手で酒を飲む仕草をした拓郎を見て葵は顔を片手で覆って深い溜め息を吐き出した。
若くして西園寺グループの当主を務める拓郎は人柄もその手腕も間違いない人物なのだが、ごく稀にこういう事が起こる。
「まぁでも、雛や陽介くんにその気がなかったら当然無くなる話だから。聞いてみるだけ聞いてみてよ」
「……でしたら、ご自分で雛さまにお聞きになっては如何でしょうか」
「え」
「嫌な役割を私に押し付けるのはお止めください」
「うーん、でも明日からまた出張に行かなくちゃだから。少しの間会えなくなるし、雛に嫌われたくない」
「嫌われたくないって……子供じゃないんですから。私だって嫌ですよ」
「大丈夫。雛が葵くんを嫌いになることなんて絶対ないから」
お願いします。と主人に頭を下げられ、断れるはずもない葵は押し切られる形で渋々了承することになった。
拓郎の執務室を出た葵は、いつどのように雛に婚約の話をするか頭を悩ませた。
どんな仕事でも基本的に悩むことなく完璧にこなせるというのに、こればっかりはそうはいかない。
婚約の話をした時の、雛の顔を想像する。
小動物のように愛くるしく、ちょっとしたことでくるくる表情を変えるあの顔は、どんな風に自分を見つめるだろうか。
とはいえ悩んだところで、どうしようもない。
執事の自分にできることなど、何もない。命じられた役割をまっとうするだけだ。
(……どうせ、なかったことになる)
出張前の拓郎と雛が険悪にならないよう、伝えるのは明日以降になりそうだ。
それだけは確定した。
END.
『あとがき』
葵が雛の婚約話を西園寺の当主からされた時のお話。
拓郎と葵の関係は少し特殊で、完全な主従という感じではないです。
なので会話も少し緩いです。
二人のことはそのうち葵の過去編で書きたいと思っています。
本編でもまだ一度も出していない葵の心情的な言葉が一度だけ出てきましたが、本編ネタバレにならないよう葵側の話を書くのは難しいです…。
早く本編を進めなければ…。
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