Episode.1


あぁ、もう。
全部分かってる。

分かってるから、もうやめて。


短いバイブ音と共に携帯電話の画面に映し出された文字を一瞥し、佐伯高穂(サエキ タカホ)は深い溜め息を吐き出した。

就業時間が過ぎた途端に見計らったかのようにブルっと小さく震える携帯を忌々しげに睨み付け、高穂は頭を抱えた。

“話したいことがある。どっかで時間作れないか?”

便利な連絡ツールで用件だけを端的に文字で送ってきた相手は、高穂の婚約者である優一(ユウイチ)だ。
同い年の彼とは大学の時に交際を始めて今年で五年の付き合いとなり、数ヶ月前に婚約したばかり。
プロポーズをされた時は、涙が出るほど嬉しかったのを覚えている。

しかしあんなに嬉しかったプロポーズも、今となっては本当に自分がされたものかどうか疑いたくなるような出来事があった。

だめ、だめだ!
仕事にならない。休憩しよう。

余計な事ばかりがぐるぐると頭の中を巡り、パソコンの前で頭を抱えていた高穂は勢いよく立ち上がった。
煩わしい携帯をスカートのポケットにしまい込み、社内の休憩ブースへと足を運ぶ。
自動販売機で温かい缶コーヒーを購入し、腰に手を当てて立ったままぐびっと喉に流し込んだ。

「熱っ」

「…お前、なんつー男前な飲み方を」

買ってすぐに口にしたコーヒーで舌を軽く焼けどして顔を顰めている高穂のすぐ後ろで、呆れたような低い声が響いた。

それだけで声の主が誰か分かった高穂は、嫌そうに後ろを振り返る。

「早坂さん、急に背後に立つのやめて下さいよ」

「休憩に来たらお前が仁王立ちで自販機を睨んでるから、破壊するんじゃないかと思って見張ってたんだよ」

「そんなことしませんよ。…破壊したいぐらいの気持ちはありますけど」

「なんだよ、何かあったのか?今は幸せ絶頂の時だろ」

にやりと笑みを浮かべて冷やかすようにそう口にするのは、営業部所属の高穂より二年先輩である早坂慧(ハヤサカ ケイ)だ。
気さくで明るい性格に、細かい事に気が付く頼れる兄貴的な存在の彼は、持ち前の人好きする笑顔で営業成績も優秀。社内でも女性にそこそこ人気のある人物だ。

早坂と言葉を交わすようになったのは経理部の高穂と仕事での接点があったからであり、プライベートでの特別な絡みはなかった。
数ヶ月前に恋人にプロポーズをされた喜びを、ついうっかり話してしまうまでは。

早坂という男は、何かどうでもいい事まで話をしたくなる不思議な雰囲気を持っている。
休憩室でプロポーズされた事を話してしまったその日に飲みに誘われ、お酒の勢いもあってか色々と詳しく打ち明けてしまった。

そのことを今では少し後悔している。

「…数日前までは幸せ絶頂だったんですけどね」

「お、ついに浮気でもされたか?」

面白がるように早坂は言うなり、自販機で購入した水を喉に流し込んだ。

プロポーズされた事をこの男に話したことを後悔したのは、あの日一緒に飲みに行った時だった。
会社で見せているのは、完全な営業スマイル。
性格が悪いとまでは言わないが、平気で辛辣な言葉を口にして相手の様子を楽しんでいる節がある。
他の人から悪い噂を聞かない所を見ると、高穂に限り態度が違うのかもしれない。

「早坂さん、それ、相手が私じゃなきゃセクハラですよ」

「相手が佐伯だから言ってる。なんかあるなら、話聞いてやろうか?」

すべてを見透かしたような笑みで早坂は不機嫌そうに眉を寄せる高穂へと視線を向けた。

この人の気に入らない所を挙げるとすれば、勘が鋭いところではないだろうか。

「早坂さん、今日何時に上がれますか?言い出したからには、きちんと付き合って下さいね」

しかし相手が早坂だろうと、この願ったり叶ったりな申し出を断るのは惜しい。
今はもう、このぐちゃぐちゃした感情を吐き出せるのならば、相手など誰でもいいのだから。





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