〜初めて見る後輩〜 全38P

〜初めて見る後輩〜




5月……爽やかな初夏の朝………。

清水家の洗面所で朝食後の歯磨きを終えたばかりの薫の耳に、廊下を歩く足音が聞こえてくる。




「…おはよ………」

「おはよう、大河……って、さぁ……なんだよ、その寝ぼけまなこは……?これからシニアの試合なのに、また夜更かしでもしてたのかよ?」

「そうだけど……それが、何か……?」




完全に寝ぼけた表情。あげくに酷い寝癖のついた髪型となっている大河が、洗面台へと向かう為に薫の前を横切る。




「何か……?じゃないだろ……!試合前は、早寝早起きして体のリズムを整えておかなきゃじゃんか!」

「うっさいなぁ……。別にそんなことしなくても、ちゃんとプレイ出来りゃそれでいいんだろ?」




寝起きだけが理由では無いと思える、気だるそうな話し方での答えを返した大河。

自分の方を見ようともせずに、そのまま洗顔を始めた大河の様子に薫の眉が吊り上る。




「あのなぁ〜!試合前の緊張感とか、少しは持った方がいいプレイが出来るんだぞ?あんたの場合、ちょっと『野球』が上手いからっていっつも緊張感が無さすぎだっつ〜の!」




その言葉を聞き、タオルで顔を拭きながらの大河がチラリと横目で薫を見つめた。




「もしかして……今のも姉貴のお得意の「本田語録」かよ?」

「は……?な、何?今、なんて言ったんだよ……?」




口元にあったタオルのせいで、いくらかこもった声となっていた大河の言葉を聞き返した薫。

もし、自分に聞こえたはずの人物の名が聞き間違えで、それをうかつに口にすれば、目の前の弟にどんな揚げ足を取られるかわかったものではないからだ。




「姉貴が俺に『野球』のことでとやかく言う時は、大抵それだろ?「本田」が言ってた言葉……だから「本田語録」ってやつ」

「ほ、本田……語録ぅ……?」




本田 吾郎ならぬ「本田語録」の響きに、薫は思わず吹き出しそうになってしまう。と、同時に、その名を思い出した事からの妙なソワソワ感に襲われ始めた薫は、それを振り払う為に先程よりも声のトーンを上げて大河へと言葉を返した。




「ち、違うよ……!今あたしが言ったことは、試合前に必要な基本的な話じゃんか!別に、本田が言ってたことじゃないからな!?」

「あ、そう……。ま、なんでもいいけどさ。さすがに遅刻は出来ないから、そこどいてよ。早いとこ朝飯食わないと……」




そう言われ、廊下への出口前に立っていた薫が壁際に体を寄せる。

その横を通りリビングへと向かう大河の背に、薫はもうひと声をかけた。




「大河……!あたしはもうすぐ出掛けるけど、今日の試合頑張れよな!」

「へい、へい」




自分への声援に対し、振り向きもせずに答えた大河。試合への気合いなど、とても感じる事の出来ないその様子に思わず薫は呟いてしまう。




「大河のヤツ……『野球』のセンスはあるのに、ほんともったいないよなぁ……。同じように才能を持ってても、あいつとはえらい違いだよ……」




ここで再び浮かんだ1人の人物の顔。そのせいで、これまた再び胸が騒ぐのを感じ始めた薫が、それを散らす為に自室へと向かう廊下を敢えてドカドカと歩き始める。



お互いに、高校2年生になった……。

だが、全寮制の海堂に入学してしまった吾郎とは、中学卒業後、それこそ数回しか会えていない。

学期末毎の休みになると、ほんの数日だけは三船に帰ってくる吾郎。その都度、仲間と呼べる何人かと一緒に会う事は出来ていた。

その度に、吾郎への印象として思う事はいつも同じ……昔から変わる事のない「野球バカ」、そして昔から変わらぬ子供のようなあの笑顔……。

そして…………

昔から、少しも変わらぬ……いや……変われぬ自分のこの想い……。

なかなか会う事さえも叶わぬあいつ……。しかも小5になったばかりのあの春には、何も告げられる事なく置いてけぼりにもされたのだ。

あの頃……ずっと嫌いになろうと努力した相手……だったのに………。

なのに……決してあいつは、自分の心の中から消えてはくれなかった……。



そんな事を考えながら自室の前に着く頃には、大きかった足音もすっかり小さなものとなっていた薫。

俯き加減で自室へと入ると、そのまま真っ直ぐに自分の机へと向かった。

そして、机の上に並んで立てかけてある物の一つへと薫の手が伸ばされる。

パラパラとめくり始めたそれは……三船東中学校の卒業アルバムだった……。

すぐに見る事が出来る場所に置いてあるこのアルバムは、いつでも薫に懐かしさと笑顔を提供してくれる宝物だ。

三船東中には1年しかいなかったはずの吾郎だが、何故か卒業アルバムの中のあちこちにその存在を示していた。

自分とのツーショット写真さえも存在するこのアルバムは、卒業から1年が経った今でも一瞬で薫に笑顔をもたらせてくれる。

そして……更に、最高レベルの思い出の1つとなっている作品に手を伸ばそうとした薫であったが、その動きがピタリと止まった。




「いっけない……!!真紀子との待ち合わせに遅れちゃうよっ!!」




大慌てで、机上の元の場所へと戻された宝物(卒業アルバム)。

その後、普段の3倍の速さで出掛ける為の身支度を終えた薫が、自室のドアを乱暴に開け飛び出してゆくのであった……。

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