刀剣乱舞 | ナノ

へし切長谷部が望んだもの


※一部、刀剣欠損の表現があります







俺は、この女性(ひと)のために何ができるのだろう。


その疑問は、刀剣の付喪神としてこの世に降り立ったその日から渦を巻いている。現神とは名ばかりで、分霊の、分霊の、分霊の…擦り切れた端程度の俺を、大事と言ってくれる女性。ありがとうと、万の感謝と共に髪を梳いてくれる主君。その手が、その声が、その存在が、堪らなく愛おしいのに_____俺はこの人のために、戦争のひとつも終わらせることができない。

「______長谷部くん!!!」

遠く、燭台切光忠の声がした。真っ赤に染まった視界で、忌わしい骸骨が這いずりまわっている。その顎は短刀ではなく、青紫色の透き通るガラス玉を咥えていた。珍しいこともあるものだ、まるで他人事のように頭に浮かんだ言葉にふと気づく。ああ、ちがう。他人事なんだ。

おかしなことに、俺の目には呆然としている情けない男の姿が見えていた。その男は薄色の髪に、青紫色の瞳を携えている。そして藤色の戦装束を纏って____ああそう、これが俺だ。へし切長谷部という刀剣だ。

「…ァ」

がちん。
骸骨が咢を閉じる。青紫のガラス玉が、水風船のように割れた。そして情けない男も、闇に消えた。

(俺は、)

あの女性のために、何ができたのだろう。








「主っ、…長谷部くんは!」

とんと手入れ部屋の襖を閉じる。すると、廊下で待機していたのだろう、第一部隊の男士たちが飛び掛かる様にして詰め寄って来た。特に燭台切光忠の表情は酷いものだった。部屋の中で眠るへし切長谷部をを連れて来た時もそうだが、心安い仲である分、今回のことが堪えているらしい。

「大丈夫、本体の方が無事だったから…欠けた体も、すぐに戻るよ」
「そ、そう…」
「ほんとう、本当に? 長谷部すぐに元気になるよね?」
「うん。 大丈夫だよ、蛍丸」

忙しなく袂を引く蛍丸に笑って答えれば、翡翠色の瞳が漸く安堵の色を浮かべる。溜まっていた息を吐き出す様に「よかった」と呟いて、くたりと抱きついて来るその背を優しく撫でてやる。同じように緊張を解く男士たちを見て、やるせない気持ちになる。そう、大丈夫…見てくれの人形だけ、なら。

「…主、」

まるで口にしない続きに気づいた様に、燭台切光忠が言う。…隠していても、いつかは知れること。ただでさえ傷ついている彼らに真実を伝えるのは憚られたが、これからも戦地を共にする刀のことだ。きっと、知っておいた方が良い。

「…体は、問題ない。 でも…“中身”がどうなるかは、わからない」
「なか、とは?」

石切丸の言葉に、わたしは眉を寄せた。口を閉じたわたしに、痺れを切らしたように御手杵が言う。

「おい、黙ってちゃわからないぜ」
「ううん、ちがう。ちがうの。イジワルで黙っているわけじゃない、わたしもこんな事は初めてだから、…どうなるか、正直わからなくて」
「…なら、俺たちも考えます。だから、全部話してみてください」

焦燥から首をふって俯くわたしの傍に、鯰尾藤四郎が寄り添ってくれる。安堵させるように背を撫でる温度にほっとしながら、蛍丸を抱きしめて…わたしは可能な限り、言葉にして彼の容態を話した。それはまるで、…わたし自身、へし切長谷部の身に起こったことを整理するようであったと思う。






「どうだい」

燭台切光忠が問う。布団から身を起こしたへし切長谷部は、正面の少し遠くに座る彼を睨むように見据えた。

「……四本、」
「…そう」
「誤魔化すな、何本だ」

「…二本だよ、長谷部くん」

そう言って、光忠はもう一度二つの指を上げて見せるが、長谷部の青紫の双眸にはそれが酷く掠れて見える。…辛うじて捉えられるのは四つの影、だがそれを、光忠は二つと言う。

「……………そうか」

今度はなにも言わなかった。いや、言えなかったというべきか。するりと顔を撫でるが、そこに傷は一つもない。当然だ、長谷部の外傷は全て審神者が癒したのだ。長谷部の主であるみわは優秀な審神者だ、戦場で傷ついたこの身を、何時だって傷一つも残さず癒してくれる。だが_______、

「短刀の骸骨に喰われたからだろうって、三日月殿が」

長谷部の隣に移動した燭台切光忠が、長谷部の思考を読んだように答えた。

へし切長谷部の目が異様なまでに弱体化していることは、すでに本丸の大部分に知れ渡っていた。それは悪戯に風潮されたわけではない。皆が知識を集めて、どうにかできないかと知恵を寄せあった結果だった。だが、その結果が出なかったのだから、結果としては惨めを晒しただけだと、長谷部は他人事のように思う。そう、まるであの時。短刀の骸骨に、抉られた目を喰われた時のよう

「…戻る可能性は」
「…いま、他の男士と主が、いろいろ探してくれている」
「そうか」
「あまり前例がないようだから、期待しない方が良いと思う」
「そうか」

はっきりと言い切った燭台切光忠の言葉に、長谷部は自分がうすらと笑っていることに気づいた。なにが可笑しいのだろうか、いやきっと、全てなのだろう。つうと瞼をなぞれば眼球の形を覚える。喰われた筈の目は、たしかにここにあるのに、ここにない。いうなれば、視力を喰われたということか。

「ハッ……本当に、何も」
______何も、できなかった。

びりと布が切れる音がした。気づけば握り締めた布団の端が破けていた。びりびりと走る亀裂、それすら長谷部の瞳は、ただのかすれしか写さない。

「光忠よ…俺は、どうなる」
「……主が、その程度で君を刀壊すると思っているのかい」
「ハッ むしろ、こちらから頭を下げて請いたいほどだ」

あの、女性が。その程度で、自分の刀を手放すわけがなかった。だが、その慈しむべき優しさが、今ばかりは忌わしい。こんな惨めに生かされるくらいなら、こんな不恰好に居るだけなら…こんな情けない姿で彼女に寄り添うことしかできないのなら、

「いっそ、壊してくれ」

生きている、意味なんてないじゃないか。
ぽつぽつと雨が降る。それは何時だか、遠い昔の記憶のように思う。

「…心残りは、ないのかい」

燭台切光忠の言葉に、雨の水面が揺れ動く。そうして長谷部の目に見えたのは、今生唯一と定めた爛漫の桜。その人は、ころころと変る笑みと鈴のような声でいつも長谷部を呼ぶ。


______「長谷部」「へし切長谷部」「長谷部さん」「おじさん」「長谷部!」「はせちゃん」「長谷部」「はっせべー!」「はっちん」「へしべー」「長谷部」「長谷部」_______「はせべ」


_____「長谷部」、
たった三文字の、彼女の口から零れる音が堪らなく愛おしかった。

世界を愛して、慈しんで。大切な誰かのためではなく。大切にしてくれる誰かを、大切におもう誰かのために…そうやって、どこまでも利己的に世界平和を詠う人間。あなたは世界が美しいのだという、きっと戦争が終わればもっともっと輝くのだと、子どものような瞳で俺に語った。俺はそんな世界が見たいと思った。だから戦って、戦って、せめてでも、この戦に終止符を打たんと。

嗚呼、だからか。


「…烏滸がましいのは、俺か」

ぼたぼたと雨が降る、わかっている。これは涙だ、

____俺は、貴女のために何ができるだろう。
主。貴女は俺を神さまのように言うけれど、それは間違いなんですよ。俺はちっぽけで、情けなくて、本物の欠片にすらなれない断片で。なんの力もないんです、貴女の細やかな夢さえ叶えることのできない無力な成り損ないでしかないんですよ。

それを必死に気づかれまいと、見っとも無く足掻いている鉄クズなんです。

(この世から戦を無くすことなど、俺が成せるはずもない)

戦のない世界ではなく…貴女が望む世界を見たいと望んだ俺に、そんな大義が成せるわけもない。唯一無二と定めた人に、なにひとつしてあげられない俺が、何かを望むなど、望むことなどあってはならないのに。

(これは報いか)

もう、なにもみえない。



「長谷部」


きっと、その声に顔をあげてしまったのか。悲しい程に染みついている反射なのだろう。ゆるりと無意識のうちに上げた顔に、____「てい」と、なにかを押し付けられた。驚いて体を引けば、揺れる世界に恋い焦がれた姿が映る。

「あ、…る」
「どう、見える?」
「え…」

ずいと近づいてくるみわに驚いて身を引けば、ずるりと何かが落ちた。…顔に、何かが引っかかっている。反射的に手をやれば冷たい感触がして、揺れる世界にぴたりと合わされば…そこには長谷部が良く知る世界が広がっていた。

「こ、れは…」
「メガネ。わたしの使っているやつ、乱視入ってないからまだ少し見難いだろうけど…うん。良かった、見えるんだね」
「めがね…」

満足そうに笑って燭台切光忠の隣に座るみわ。その姿を目にしても、まだ長谷部は自分の身に何が起こっているのか解らなかった。混乱して言葉を失う彼に反して、燭台切光忠はまるでそれを知っていたかのように感心した様子で頷いた。

「うんうん。 すごい似合ってるよ、長谷部くん カッコいいね!」
「長谷部はイケメンだから、眼鏡装備も絵になるね」
「ねえ主。僕もかっこ良さでは負けていないから、きっとメガネが似合うと思うだけれど」
「いや裸眼で千里先まで見通す人がそんなもんつけたら絶対酔うよ。見えすぎて酔うよ、スケスケ眼鏡だよ」
「うわあなんかその言い方はかっこよくないなあ」

「  い、や、 あの、 ____主!」

なんだかすっかり何時も通りの燭台切光忠とみわの様子に焦燥を覚え、思わず声を荒げてしまった。それなのに「ん?」とこちらを向いたみわの顔を見た途端、口にしようとした言葉たちが喉の奥に引っ込んでしまう。ぐっと息を呑む長谷部に、みわはゆるりと笑って続ける。

「ああ、そのメガネならあげるよ。お古でごめんね、」
「いえ、そんなこと! ですが、主から物を頂くなど、俺には過ぎたことで」
「え、やっぱりわたしの使い古しはイヤだった?」
「え、ちが、  そうではなくてですね、俺は、」
「そうだよね、その色長谷部に似合ってないし。新しい眼鏡、一緒に買いに行こうか」

「……いっしょ、に」

初めて触れたメガネは、どうすれば据えられるかもわからなくて長谷部の顔に情けなく引っかかっている。それがきっとおもしろかったのだろう、審神者は笑って大きな声で応えてくれる。

「うん、一緒に!」
_____そのひとことに、すべてがどうでもよくなった。

考えることを放棄したわけではない、すべて関係ないのだと。些細な事だと、しようのないことだと、思い知ったのだ。

「…ね、だから言ったでしょ?」

燭台切光忠が、目元を明るめて笑う。…ああ、そうだ。お前に言われなくても、俺だって解っていたとも。主が、この本丸に咲き誇る貴い人が、どんなこころをもった人なのか。知っていたさ、

「___っは、い   約束ですよ、みわさま」

くしゃりと情けなく笑った長谷部に、みわは力強く頷いて返した。








(_____図らずも、俺は望んだものを手に入れたわけだ)

差し込む日光に反射して、きらりとレンズが光る。
ついと顔まで上げれば、ガラスの向こうには明瞭な世界が広がっていた。…ブラウンフレームの、長谷部には少し小さな眼鏡。それはかつて、彼の主みわが愛用していたものだった。

(…主の、世界)

それはみわがかつて見ていた世界、彼女が美しいと言った世界。
_____結局、戦はまだ終わっていない。世界は平和とは程遠く、この世は無常で邯鄲の夢の中にいる。それでも、…輝きは、消えていない。

失われは、していない。

「長谷部さーん、そろそろ出陣ですよぉ〜」
「…心得ている」

襖の向うから聞こえて来た声に、長谷部はそっとメガネのテンプルを折った。そうして丁寧にケースにしまい、机の棚に戻す。しっかりと錠を締め、飾りのない鍵をポケットに入れた。己の本体を手に紫色の戦装束を翻す薄色の髪の男、その青紫の瞳には銀色の眼鏡がかけられている。


「お待たせしました、主」


俺にはまだ、この女性のためにできることがある。

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