堀川国広は神さまである
「愛してます」
何時も通りに仕事をしているだけだった。近侍は堀川国広、それは彼を鍛刀してからのお決まり事。もう直ぐ夕飯の時間だ、台所から香ってくる醤油と砂糖の香りに心躍らせて献立は何かと他愛のない話に花を咲かせた。そしたら、堀川に、______抱きしめられた。愛の告白とともに、
「____主さん、」
「____」
心臓が止まるかと思った。いや止まった、現在進行形で止まっている。驚いてついた後ろ手は思い切り机の上の書類をぶちまけた。腰と肩に絡み付く堀川の腕の感触がいやにリアルだ。意外と太い指が、逞しい腕が、くしゃりとわたしの着物を乱す感触が生々しい。その“一枚の布ごし”に肌をなぞられているのが良く分かった。この行為が善意でないものを、暴力的なまでに体をもって教えられている。
「…ねえ、聞こえてますか」
「!」
耳になにか触れた。驚いて自分でも呆れるほどに身体が跳ねた、机の下で足も跳ねたからがたんと大きな音が鳴る。堀川の、唇が、触れた。頬に触れる柔からかい小豆色のジャージとか、同じシャンプーと柔軟剤の香りとか____でも違う、汗の、…男の、匂い。
がんと、頭を打たれた様だった。フラッシュバックする最悪の記憶に吐き気が込み上げる。だがすぐに堀川の手がわたしの肩を掴んで引き離した。ひゅっと呼吸する。冷たい空気に一瞬だけ命がつながる。だけどその向うで、冴え冴えとする凍った湖色の堀川の瞳に思考が停止した。
「…シィー 大丈夫、大丈夫です」
「…ほ、ほり」
「大丈夫 あなたの嫌がることはしません」
わたしの両手を包んで、そっと指先にキスをする。それはいつか、無遠慮に、冒涜とともに押し付けられたものと同じなのに…なぜかそれは、神聖なものに見えた。漸く気づく、がちがちと震える指先がぞっとするほど温度を無くしていることに。気づいたときにはもう、堀川がその手で「大丈夫」と自分の温度を分けてくれていた。
「…堀川、あったかい」
「別に子ども体温じゃないですよ。これは筋肉です、筋肉熱量」
「べつに子ども体温なんて一言も…」
「嘘、思ったでしょう。 わかりますよ、何年あなたの近侍をしていると思っているんですか」
不機嫌そうな声とは裏腹に、優しく掌を撫でてくれる堀川。その不器用だけど確かな優しさに、思わず笑みがこぼれた。
「…堀川」
「…」
「やめ、よう こんな 不毛な、こと」
自分で言って、熱が冷めた。不毛だ。そうだ、こんなこと意味がない。刀と人、神と泥人形の恋物語なんて、今時少女漫画でもうけやしない。知っているだろう、わたしはわたしに問いかける。刀と恋に落ちた沢山の同僚、彼女たちが辿ったしょうもない結末。行き着く果てなどない、彼女たちは揃いも揃って沼田場塗れて死んでいった。その死体は、腐葉土に溶けて線香すらあげられない。
わたしはそれが、こわい。
わたしは家族が大事だ。友人が大事だ。世界が大事だ。____王子様との恋にうつつを抜かせるお姫さまの歳はとうに過ぎた。責任があるのだ、審神者としての。才能のあるものとして生まれた責任、選ばれ選んだ責任、____いろんな目に見えない重圧が、わたしにはある。
それに応える義務がある。意思がある。生きている意味を成し遂げたい。意義をあげたい。わたしは____線香をあげてもらえるだけの、人間になりたい。
(だから、審神者になった____わたしは、)
審神者でいなければ、いけない。
「…主さんが、求めているものを知っています」
「っ」
「それがあなたにとって生きている意味で、生きて“いられる”理由であることも。______あなたをそうした原因が外でのうのうと生きていて、あなたばかりが苦しめられていることも」
「! ちがっ」
「僕じゃだめですか」
堀川の目が、真っ直ぐにわたしを見据える。
「僕ではあなたの生きる意味になりませんか」
「な、 なにをっ」
「僕は、あなたを苦しませない。悲しい顔なんてさせない、辛いことも思いださせない。これからの未来を一生償いで埋めさせたりなんてしない___あなたの未来を、いつも笑顔と、幸福と、それでも偶に喧嘩して、でも実りのある“ひとりの人間”として生きる自由を与えたい」
「ちがう、 わたしはっ!」
「僕は! ______あなたの、人生の一部になりたい!」
息を、忘れるような_____青い、蒼い瞳が、
まるで夏の空の様だと、ずっと思っていたの。
「もう主さんを、“あなた”なんて呼びたくないっ!」
咳き込む様に堀川の口からでた言葉は、ナイフのように鋭いけれど…すとんと、やさしくわたしの胸の内まで落ちて来た。それは息を、忘れるような、愛の告白。堀川がずっとずっと、どんな気持ちでわたしを呼んでいたのか。きっとそれは声ばかりではなくて、わたしの知らないところで何度も何度も呼んでいたのだ。呼ぶ音すら知らないのに、ずっとずっと…桜の下で手を引きながら、川の流れに沿って歩きながら、土に落ちた紅葉を数えながら、雪の夜に星を指さして…そうして、ずっと苦しみながらわたしの傍にいてくれたんだ。
音の無いわたしの名前を、慈しみながら。
主さん。沢山呼んでくれた堀川の声が、頭の中で反芻する。その裏に隠れた切ない程の悲鳴を思って、涙が、流れた。
(どうすれば、いいんだろう)
「… ? 主、さん」
どうすれば、この思いを、伝えられるだろう。
ぼたぼたと涙が落ちる。堀川が握り締めていた拳を開いて、戸惑いがちに振れてくれる。目尻の涙をすくう指も、そうして困った顔で見つめてくれる堀川の顔も、何もかも心に焼き付けたいと思った。忘れたくないと、この時を永遠にしたいと、強く、つよく、おもった。
「____ぎゅって、 して」
涙でしがれた声で言えたのは、それだけだった。
それでも堀川の顔がくしゃりと歪んで、消えそうな声の承諾がきこえた。優しく抱きしめてくれる腕とほうと安堵の溜息、そして甘える様に、ずっと堪えていたものを吐き出す様に黒い髪が擦り寄ってくる。
「やっと、 ____ !」
沢山の時間と、沢山の思いが込められた言葉。わたしは堀川の背に震える指でしがみ付く。忌わしい記憶は消えない、でもいつか、いつか、そんなわたしでも堀川の傍にいていいのだと、自信をもっていえたなら、
「ほりかわ、あのね」
「え」
「わたしのなまえは 」
囁いた名前には、沢山の意味を込めた。その全てを受け取って、堀川が名前を呼んでくれる。音になったそれに、堀川がくしゃりと顔を歪めてぼたぼたと雨を降らせた。ああきっと、みんなこんな気持ちだったんだ。____だから、みんな刀と恋をせずにはいられなかったんだ。

I want to die in the next to you tomorrow