びしょぬれのトム・リドルを盗撮する
「キャーッ!」
耳を突く様な悲鳴が静かな冬のホグワーツ城内に響き渡った。
ぽたぽたと滴り落ちる雫を見てリドルは煮え滾る様な怒りに奥歯を噛んだ。はち切れんばかりの感情に呼応してずくりと自分の魔力が疼くのが解る。目の奥に灼熱の塊を押し付けられる様なこの感覚は久しぶりだ。___晴れて五年生となり監督生となってからは、特に。
「大丈夫トム!? やだっ、びしょ濡れじゃない…」
「大丈夫、気にしないで」
慌てた様子で駆け寄ってくる女生徒を掌で制止、リドルはポケットから杖を取り出した。暴れ出しそうな魔力を必死に抑え、渇きの魔法を唱えるも体中を滴る水は消えてくれない。何度か違う魔法も試すが結果は同じだった。
(チッ 魔法素の無効化作用を調合した水か。ご丁寧な事だな、)
呪いの類だと性質が悪いので幾つか防護の魔法を唱えた後リドルは杖を下げた。これは着替える他になさそうだ。
「? トム、服を乾かさないの?なんなら私が___」
「いや、いいよ。どうやら魔法じゃ乾かないみたいだから、」
「そんな!なんて性質の悪い悪戯なの、一体誰がこんなことしたのかしら!!」
「全くだね、僕個人を狙ったものなら兎も角…無差別にこんな事をしているとなれば許しがたい。監督生として、放置しておくわけにはいかない」
寒気の所為で僅かに霜を纏い始めた髪を掻き上げてリドルは笑った。そのままついと襟元に着けた監督生バッヂをなぞれば、幾分か気分は落ち着いた。
「…犯人を見たかい?ミス・フレバー」
「いいえ…気づいたらもうトムはびしょ濡れに…ごめんなさい、役に立てなくて」
ぽうと火照った頬に掌を擦り付けて言うフレバーに、リドルは一拍置いた後「気にしないで」と笑った。そんなリドルの対応にフレバーは益々熱に浮かされたる。そして、込み上げてきた衝動のまま外の極寒の雪野原を溶かしてしまいそうな程に熱く甘い、蕩ける様な声でリドルへとしなだれかかった。
「トム、このままじゃ貴方の体が冷えちゃう…」
「……そうだね、早く着替えないといけない」
「良かったら私の部屋に来ない? 心配しないで、同室の子なら帰省中だから___貴方と私だけよ、トム」
言葉と共にふんわりとたわわに育った女性の体を惜しみなく摺り寄せるフレバーは、リドルと同じスリザリン寮に所属する五年生だ。それなりの魔法族の出で、魔法の才能にも造形に恵まれていた。_____だが、トム・リドルの“恋”の相手(パートナー)とするには決定打に欠ける。加えて、トム・リドルは彼女の様な媚び諂う慎みのないタイプは反吐が出る程嫌悪していた。
「___いや、自分の部屋で着替えるよ。ミス・フレバー」
「そんな野暮なこと言わないで。それと、私の事はアンジェで良いわ」
「ありがとう、アンジェ。君の誘いはとても魅力的だけど、…女性寮に男の僕は入れない、そういう決まりだよ」
「……貴方ってば、思っていたよりもずっと堅物ね」
フレバーは何かを察したように賢く笑って見せると、するりとトムの腕を離した。
「良いわ、解った。私の負けよ、トム」
「解ってくれて嬉しいよ、アンジェ」
「監督生としてではなく“男”として私に会いに来たくなったら何時でも来てちょうだい…私の部屋は618号室よ」
「…覚えておくよ」
耳元で囁かれたご丁寧な台詞にそう返すと、漸く満足したのかフレバーは女性としてはとても魅力的な笑みを浮かべてリドルの頬にキスをした。たっぷりと“油”の塗りたくられた唇を押し付けられる不快感に耐えた後、フレバーは「じゃあね」と言って一足先に寮へと戻った。
業とらしく揺れる短いスカートが見えなくなった頃、漸く一人になった廊下を見渡し一息つく。少し乱暴な程度に油の着いた頬をマフラーで拭い、乱暴に首から引きはがした。あの女の一部が体に着いているという事実が耐え難かった、それはまるで自分があの低俗共と同じ場所まで貶められた様で酷く不快だ。
(全く、今日はついてない)
びしょ濡れのローブを払いながら思う。こういった嫌がらせの類に覚えがある、特にリドルが頭角を現し始めた二年の前期はこういった“不運の事故”が多かった。今回もその類だろう、だとしたら犯人は随分と頭が狂っているに違いない。既に幼稚な時期を終え、意志一つでどうとでも他者を繰れるようになった自分に手を出すなど正気の沙汰ではない。
まだ顔も知らない犯人を、まるデートに誘った相手を思い浮かべる様にしてトムはくすりと笑った。一体全体、どうしてあげようか。この世界はやられたらやり返される、そんなこと魔法生物だって知っている常識だ。だからこの後、リドルがどのような仕打ちを返しても許される。加えて容認されるだけの立場と役を、既に彼は手に入れているのだから。
(そうだな、取り敢えず犯人捜しだな。僕に恨みを持ってそうな奴をかたっぱしから洗って、悪戯の証拠を___)パシャッ
思惟を遮って来た音にリドルは弾かれる様にして面を上げた。
「あ、」
「なっ」
人っ子一人いなかった筈の吹き抜けの廊下に、何時の間にか一人の生徒が立っていた。リドルの10メートル先の同じ延長線上にぽつんと立つ少女___そのネクタイはハッフルパフのイエローだった。
そして何故か彼女はその手にマグルで言うポロライドカメラを持っていた。確りとレンズを除いて、リドルをカメラに収めていた。
「…」
「…」
「…あ、間違えました…」
場に流れる沈黙を先に破ったのは少女の方だった。彼女は何処か照れ臭そうにそう言うといそいそとカメラを提げて「びしょ濡れですけど大丈夫ですか?」と何事も無かったかのようにリドルに話しかけて来た。何事も無かったかのように。
「……大丈夫に見える?」
そんな彼女の態度が癪に障り、リドルは深い笑みと共に少し棘のある言葉を返した。折角の佳い気分が台無しになってしまった、そんな苛立ちからの態度であったが、リドルの予想に反して少女はぽかんと間抜けな顔をした後再びテレっと顔をだらしなく解いた。
「ですよねっごめんなさい、当たり前の事を聞いて…」
「…」
「あ、私ハンカチ持ってます。使います?使いますよね、ちょっと待ってください」
そう言ってごそごそとやたらに裾の長いローブのポケットを漁り始める。幾つか違うものを探り当てては戻した後、漸く撮りだしたハンカチを手に少女はニコニコとリドルに駆け寄って来た。
「どうぞ、使ってください」
「…」
屈託なく笑う彼女を前に、リドルは自分の目元がひくりと痙攣するのを感じた。でも、それを素直に少女に示すほどリドルは自分を疎かにしていない。今やトム・リドルという人間は学校中に知れる“好感の持てる優等生”なのだ。こんな名前も知らない女の為に、築き上げてきたルーツの信頼をおじゃんにはできない。
「ありがとう、君の好意には感謝するよ。でも君の可愛いハンカチを汚しちゃうのは悪い____」パシャッ
「…」
「…」
「…」
「…」
「…あ、ごめんなさい。気にしないで下さい」
そう言ってするするとカメラを収める少女に、リドルは咄嗟に出そうになった手を必死に堪えた。殴りたい、もの凄く殴り倒したい。