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電車が動かないよ、リドルくん。




「遅い」
「…」
「まだ出発しないの?」

窓の向うの変わらない景色にぼやく。言わずもがな、景色が平坦というわけではない、静止していて本当に変っていないのだ。かれこれ一時間以上、モカを乗せた電車はぴくりともしない。むううと眉根を寄せて隣を見る。そこにはこじんまりした席ながら優雅に足を組んで座る同級生トム・リドルの姿があった。細身のブラックパンツに包まれた長いおみ足が窮屈そうで実に結構だ。伸びたもみあげを耳にかけ、ダークブラウンのブックカバーに包まれたハードカバーを読んでいる。その顔は淡々としていて、苛立ちと焦燥に醜く歪むモカとは大違いだ。

「ね、ねえ、リドルくん」
「なに」

返ってこないと思っていた返事は、しかしあっさり返って来た。嬉しくてモカはリドルのコートを摘まみ引いて訴える。

「電車もう一時間止まってるよ、どうして」
「珍しいことじゃない。そのうち動く、それまで行儀よくしていろ」
「し、してるよ。子どもじゃあるまいし…」

むっと反論すると、リドルの鋭い瞳がちらりとこちらに向けられた。びくりと震えたモカに何も言わず、リドルは再び本へと視線を戻す。親指でぺらりとページを進める。ラテン語で記されているので、内容はモカには知れない。

「な、何よその目」
「別に何も。揺らすな、服を引っ張るな」
「だって、落ち着かないの」

ぐいぐいとコートを引くとリドルが眉を寄せる。なので大人しく止めて訴えた。だがどうにもコートの端を離しがたくてそのままでいると、リドルは意味有り気な溜息をついた。

「ミス・モカ。では、おさらいをしよう」
「おさらい?」
「ああ。君がいま乗っているこの電車はなんだ」
「え、電車」

跳ね返す様に応えるが、返ってきたのは冷たい視線だった。どうやら不正解らしい。

「え、えっと…キング・クロス駅から出てる、電車」
「何線だ?」
「あーっと…ぴ、ぴかでりー線…?」

恐る恐る答えるモカにリドルは「正解」とだけ言った。酷く業務的であったが、モカは嬉しくてぱっと顔を明るめた。

「では僕たちはどこに向かっている?」
「えっとね、ロンドン。ヒースロー空港」
「正解。そしたらどうする?」
「ヒースロー空港15時38分発の日本成田空港行の飛行機に乗る」
「Well done.」

流暢な褒め言葉に、モカはふふっと誇らしげに笑った。

「空港駅までざっと一時間…あと30分ほどで着く。動きだしたら直ぐだ、予めこうなることを想定して早く漏れ鍋を出ただろう」
「え、そうなの」
「…君に察しろと言う方がムリだったな」

はあと突かれた溜息は呆れの色を含んでいた。

「パンとスクランブルエッグを吸い込む様に掻きこんでいたのはなんだったんだ」
「あ。あれはなんかリドルくんが急いでる雰囲気だったから」
「ああ…それは悪いことをしたね、レイディ。だが僕はまったく。これっぽちも急いでなかった。全部きみの被害妄想だ」
「そんなばかな…!」

がんっと金槌で打たれたような顔をするモカに、リドルは続ける。

「君の人より遅い作業速度、危機感のない能天気な思考」
「いてっ」
「すべて考慮した上で計算済みだ。君は僕を誰だと思っているんだい?」

組んだ足に肘を突き、優雅に微笑んで見せるリドル。一枚の絵画を思わせる完璧な様子に、モカはかあと顔が赤くなるのを感じた。小突かれた額を摩りながらむうと口を尖らせる。

そんなモカを見て、リドルは満足そうに笑うとゆるりと電車の硬いイスに身を委ねた。

「一応、招かれた身だからな。それぐらいの甲斐性がなければ困るだろう」
「へ?」
「大事なお嬢さんをかすめ取った外国(よそ)の男は、将来の義父に気に入られるために必死に白鳥を装うんだ」

「は、白鳥…?なんで?」

リドルの言わんとしている所が知れず、クエスチョンマークを飛ばすモカに、リドルは黒い瞳を猫のように眇めた。


Mon beau cygne.

(美しいわたしの白鳥)


「僕を捕まえた責任は、しっかりとってもらわないと」

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