PKMN | ナノ

不老不死ウォロが妻の死を悼み過去の自分の幸福を祈る


※メリーバッドエンド気味、後味は微妙


小さい頃、川に落ちて死にかけたことがあるという。
悪天候による土砂崩れに巻き込まれ、落ちた先が川だったのだ。生存が絶望的なほど衝撃的な光景であった両親は語る。その後ジュンサー達の必死に捜索により、わたしは少し離れた川下に打ち上げられた状態で見つかった。

前日の雨で氾濫した川から、小さな子どもがひとりで抜け出せるとは考え難い。なにより、土砂に巻き込まれた時にできた擦傷が適切に処置されていたことが、その場にいた第三者の存在を裏付けた。

センターで目が覚めたわたしは何も覚えておらず、退院のその日になっても誰かが名乗りを上げることはなかった。現場を捜索したジュンサー曰く、唯一現場に残っていた足跡から見るにその人物はかなり大柄であるという。

…ああ、もしかしたら人間に化けたメタモンが助けてくれたのかもしれないね。なんて、大人になった今では家族の席で語られる程度の思い出だ。

___それが、大人になったいま。
___こんな形で蓋を開けられるとは思いもしなかった、

「ケガ、治らなかったようですね」

掌に残ってしまった古傷を、まるで懐かしむようにその人は指で辿った。全くの他人に、自分の柔らかい所を嬲られたような不快感に背筋がぞっとした。掴まれた手を振り払い、弾かれるようにして飛び退くわたしを見て、___その人はグレイの瞳で嫋やかに微笑む。

それが、自称『命の恩人』さんとのファースト・エンカウントだった。





「アナタは本当に不幸だ」

歌うような声でいつも通りの口上が始まる。ああ、また長い話が始まるぞ。零れそうになる溜息を堪えて、わたしはフォークを手に取った。

「本当に不幸だ。こんなに美味しいデザートも、絹のワンピースも、整備された生活環境も、何もかも失うことになるのですから。アナタはもう少ししたら、その時世の英雄の帰還と引き換えに見ず知らずの場所に独り投げ出されるのです。使命も意味もないままに、常に死の危険と隣り合わせの大地で生きていかなければならないことになる。 ああ、しかもアナタはそんな地獄のような場所で、よりによって世界を滅ぼそうとして失敗した男と生涯をともにするのです」
「…またその話ですか、」

呆れて返す言葉もないわたしを見て、自称『命の恩人』…ウォロさんは、にっこりと笑う。

「ええ、何度でも。アナタがワタクシの目の前から消えるその瞬間まで言い続けます。だって、何度も言わないと忘れてしまでしょう、アナタは莫迦なんですから」
「大して知らない相手に、その言葉は失礼です」
「知っていますよ、こんなに小さい頃から」

忘れたんですか、と。指でとんと、自分の右の掌を指差すウォロさん。…そこは、わたしの古傷がある場所。今や笑い話の遠い昔、子どもの頃に負った傷だ。もう痛みもなにもないけれど、星が爆ぜるような痕だけが残ってしまった。

「…わたし、まだ信じていません。貴方が、あの時わたしを助けてくれた人だなんて」
「おやどうして。アナタ、あの時のことを覚えていないのでしょう?」
「そうですけれど、だからといって唐突過ぎます。どうして今更名乗り出てきたのか理解できません」
「もうすぐアナタがあの時代に送られる時分だから」

胡散臭いニコニコ笑顔で、また今日も煙に巻くような答えばかり。真面に相手しているわたしが馬鹿みたいで、少し乱暴にカップをソーサーへと戻した。せっかくの休日、最近できたオシャレなカフェで楽しもうとしていたひと時を邪魔されたというだけでも、腹が立っているというのに。

(…やっぱり、違うケーキにすればよかった)

選んだケーキはどうにも口に合わない。でも残すわけにもいかなくて、再びフォークを指し込もうとしたら、目の前で皿がひょいと宙を浮く。

ぎょっとしている間に、ウォロさんはわたしの皿をさっさと自分の前に置いてしまう。まさか盗るつもりだろうか、流石に苦言のひとつふたつぶつけないと気が済まない。

「おまたせいたしました、季節のフルーツタルトです」

だが開きかけた口は、定員さんの軽やかな声を前に言葉を紡ぐ前に引っ込んでしまう。

「そこに置いてください」
「はい、ではごゆっくりどうぞ」

当然のように、ウォロさんがわたしの方を掌で示すから、運ばれてきた新しいケーキはちょこんとわたしの目の前に鎮座することになった。去って行く店員さん、困惑するわたし。元凶であるウォロさんは、コーヒーを一口含んでからさくりと、わたしの食べかけのケーキにフォークを入れた。

「あ、わたしの」
「そちらのほうが好みだと思いますよ、これはアナタには苦いでしょう」

まるで心の内を見透かされたような一言に、ぐっと言葉が詰まる。それでも警戒するわたしに、ウォロさんが「大丈夫ですよ、店員さんが持って来たばかりです。何も仕込んでいません」と言う。

半信半疑ながら、恐る恐るフォークを入れて、小さく切り取って口に放り込む。優しくて大好きな味がした、思わず顔が綻んでしまう。ハッとするが遅い、ウォロさんが「ほらね」と言う。

「ワタクシが言うことは、いつも正しいんです」

まるで何もかもを知っているようなグレイの目が苦手だった。長い金色の髪も、鏡石の首飾りも、まるで誰かの死を悼んでいるように、何時も真っ黒な服装も。

「奥さんはどうしたんですか」
「とっくの昔に死にましたよ、ワタクシをひとり置いて。薄情な女だ」

嘲るように言いながら、左手の薬指の誓いが外されたところをわたしは一度も見たことがない。ああ、___思い出した。誰かに似ているとずっと思っていたのだけれど、彼はシンオウ地方のチャンピオンとよく似ているのだ。どこか懐かしさを感じるのは、きっとそれだからだろう。







風の噂で、あの余所者がいなくなったと聞いた。
ああ元の世界に戻ったのか、と予想は着いた。皮肉なことだ、それはつまりあの憎らしい小娘は、ワタクシが切望した神との邂逅を果たしたということに他ならない。

腸が煮えくり返りそうな憎悪を堪え、真相を確かめるべく古い知人の女を訪ねることにした。だがそこには先客がいた、見覚えのない後ろ姿だが…どうせ余所者に違いない。

最悪だ、気分が悪い。無意識に舌打ちが零れる、小さな音だったはずだ。さもすれば森の梢が揺れた程度の、それになのにオンナは“まるでそれが聞こえたように”ワタクシの方を振り返った。

山麓の稲穂を溶かしたような髪のオンナだった。彼女はワタクシを真っ直ぐに見つめて、大きく目を見開いた。次の瞬間には弾かれたように駆け出して、まっすぐに、無精極まりない愚鈍な走りで、ワタクシの____

「見つけたあああああーーーーー!!!!!」
___腹にタックルを決めやがったぞ、このどこの馬の骨とも知れないクソ女。

吐露くさい足取りに油断していた、この女思いの他勢いをつけてきやがった。そのまま地面の上に後ろから倒れた所為で、思い切り頭を打った。じんと響いてくる痛みに、抱えていた怒りが最高潮に達しようとしている。

そんなワタクシを知ってか知らずか。クソ女は、肥え太った足でワタクシに跨って詰め寄って来た。

「ウォロさん」

とろりと、脳のどこかが蕩けそうな、声。見上げた先で、零れ落ちそうなほど大きな宝石が埋め込まれた眼孔からぽたぽたと涙が零れているのが見えた。涙に透けた切子面にワタクシの顔が反射している様を幻視して、何かがおかしいと頭を振る。

とういうかこの女は誰だ、どうしてワタクシの名を知っている。

「元の世界に返して!」
「………ハァ゛?」
「わたしを元の世界に返してください、あなたこうなることが解っていたんでしょう。わたしがずっと嘘つきって言っていたから怒ったんですか、腹いせのつもりですか。なら謝ります、だからわたしを___わたし、を ___元の世界に、返して」

_____彼女が、小娘の帰還する際に開いた時空の歪みから落ちてきた稀人だと知ったのは。その後のことだった。

極寒の天冠に独り放り出され、右も左もわからず凍死しかけていたところをシンジュ団のキャプテンが見つけたらしい。時期が英雄の行方不明と被ったことから、彼女にも何か役割があってのことかと思いかつて小娘のプレートを集め手伝ったコンゴウ団長がコギトの元に連れてきた…というのが、事のあらましだ。

聞けば聞くほどに、不幸な女だった。
女の名前はミシャと言った、そしてその女曰く。この現象は、ワタクシの所為だと言う。

「つまり、未来でおぬしに付きまとっていたストーカー? が、こやつと瓜二つであると」
「そうです」
「身に覚えがないですね」
「そうしてその男は、何かにつけてこうなる未来についておぬしに仄めかしてきたと」
「そうです」
「何のことだかジブンにはさっぱり」
「だからきっと、こうなったのはこの男の所為で。元の世界に戻してくれるまで死んでも離さない所存と」

「そうです!!!」
「ジブンにはまったくこれっぽっちも覚えがないですね! という訳なので、いい加減その手を放せこの余所者がっ…!!!」

突き放そうと力を込めても、死に物狂いという顔でしがみ付いて離れない女。悪質な押し売りに遭っている気分だ、聞くに堪えないような罵詈雑言で怒鳴りつけても、ぽろぽろ女々しく泣く癖にちっとも離れようとしない。まったくもって迷惑極まりない!

「だが、まあお主には前科があるよものなあ」
「はあ? アナタがそれを言いますか、全てを予期しておきながら必要に迫られるその時まで見て見ぬふりをしたアナタが」
「わらわは先祖の伝承をこの世に伝えるための生き字引、それ以外は棚に並ぶ書物と同じこと。求めるものには応えてきたが、…ゆえに、この身に記録されていない事象については答えられぬのだ」

それはつまりコギトの知恵を持ってしても、この女の存在は異質であるということであった。

「だが、どうやらわらわの知恵は必要にならんようだな」
「はあ?」
「ミシャが答えを知っていただろう、ウォロよ。お主が、ミシャをこの地へ呼び出したのだろう? ならばさっさと用を済ませて返してやれ。そも時の流れを下るなど、そうそう何度もあって良い奇跡ではあるまい」
「だからジブンは知らないと言っているでしょう!」
「わらわではなく、それはミシャに言うべきだろう。当事者は彼女と、…お主だ」

それだけ言い残してコギトはさっさと庵に戻ってしまった。ぽつりと残されたジブンと、…身に覚えのない嘘ばかり宣うクソ女ひとり。最悪だ、怒りでどうにかなりそうだ。

腸を掻き回す憤怒のままに睨みつけるも、クソ女はワタクシにしがみ付いて目を合わせようとしない。口を開けば「返してください」「元の世界に戻りたい」と莫迦の一つ覚えみたいに繰り返す。

「知りませんよ、アナタみたいな余所者。崖でも谷でも良いので落ちてポケモンに喰われてしまえ」

そもそもこっちは長年の苦労を水の泡にされた上に、英雄様の伝説の一端のために袖扱いされて、大概生きることに辟易しているのだ。

続いていく何十年、何百年という人生。次こそは失敗しないように計画を練り直すことが先決だ、そのためには綿密な下調べとイチから伝承や遺跡を調べ直す必要がある。過酷な道になることは必須、元より辛く苦しくない時など一度としてなかったが。…嗚呼どう考えても、女の存在は邪魔になる。

故に、何度も突き離した。女の身では過酷な道を選んで、足が止まれば置き去りにして、そうして付きまという存在を見ないふりしてきたのに。すんでのところで、いつもポケモンたちが助けてしまう。主人であるワタクシを責めるような目でじいと見つめて、クソ女を助けるからもう本当に最悪だ。どうして、ワタクシの人生はいつもこう上手くいかないのか。

「本当にイヤになる」
「トゲキッスちゃん、本当にいつもありがとうね」
「勝手にワタクシのポケモンに触らないでくれますか? アナタの莫迦がうつったらどう責任を取るおつもりで?」

最早日常の一部となった嫌味にも慣れてしまったのか、クソ女はぷいとガキのように顔を背ける。金魚の糞の分際で、クソ生意気なその様子が癪に障る。頭を抑え込んで無理やり顔を付き合わせてやれば、泣きながら「返して」「帰りたい」とばかり言う芸のない女。いっそ、娼館にでも売っぱらってやろうか。

(…いや、)
___こんな性欲の足しにもならない女、売れる訳ないか。

唐突に気分が白けた。そのまま掴んでいた女を放り投げれば、ひ弱な女は地面に転がり落ちる。トゲキッスが慌てて近寄って、少し怒ったような顔でワタクシを見るが知ったことか。



それでも女はしつこく着いてきた。稲穂色の髪が伸びて背を覆うほどになった頃、ワタクシは致し方なく。しょうがないので。あんまりにも無能無才でワタクシに着いてくるしか能がない女を哀れに思ったので。…クソ女を、ミシャと。呼んでやることにした、致し方なく。本当に致し方なく。

「ミシャ、ぼうとしている暇があったら木の実を集めろって言ってるだろ莫迦。何度言えばその頭は人間の言葉を理解できるんだ莫迦。莫迦に食わせる余裕があるような旅はしてないんだよ莫迦」
「バカバカ言わないで下さい、バカって言う方がバカなんですウォロさんの偽物」
「はあ?」
「だってわたしを元の世界に返してくれないじゃないですか。もうきっとあなたは偽物なんです、わたしホンモノのウォロさん探さないと」

なんて頓珍漢なことを言って離れようとするので、思い切り頭を殴って気絶させた。

…解っていたことだが、この女は本当に莫迦だ。
モノを考えて見定めるということができない。だからワタクシが偽物なんて突飛のない話をし出す。というかワタクシに言わせれば、ミシャの語る自称『ウォロサン』の方が偽物だ。話を聞いても胡散臭いセールスか勧誘が目的のカルト信者と言ったところ。つまり、彼女は騙されている。

(この女は莫迦だから、すぐに騙される)
____だから、ワタクシが見張っていないといけない。

そうこれは義務だ。情が湧いたとかではない、飼い主としての義務。

義務だから食事の世話を見てやっている。寝床を作ってやる。夜体の熱を持て余していれば、発散させてやる。…ミシャは嫌がっていたけれど、彼女の意思など関係ない。これはワタクシの、飼い主として果たさなければいけない義務なのだ。

そうなのだと、まるで自分に言い聞かせるように繰り返して。
彼女の掌の疵にツメを立てる、嗚呼この白い肌は自分の遺したものだけにしたいのに。まるで我が物顔でミシャの掌に居座る星の爆ぜるような痕が疎ましくて堪らない。まるで彼女を未来に返すための道標のようだ、そんなものもう必要ないと言うのに。

消えてしまえと、ミシャと熱を交わしながら疵に噛み付く。
もう何一つ、この世界にワタクシのものを奪わせやしない。

















「______アハッ」

ざあざあと雨が降っている。全て、計画通りに事は進んだ。

抱きしめた小さな体、あの時よりもずっとずっと小さな命。生まれた時から知っている、ずっと見ていた。妻が亡くなってから、故郷だと言っていたジョウトの地でよく似た面立ちの血縁者を探した。男と女を番わせて、生まれた子どもがミシャの名を授かった瞬間。ワタクシの祈りは漸く、神に届いた。

あとは簡単だった、妻の人生は何もかも知っている。この小さな命を、妻の伝承のまま生かせば良い。その後は全知全能の創世の神が、然も在るべきに為さるだろう。

川辺に横たえた体は真っ白で、柔らかい稲穂色の髪に眩暈がする。堪らずに口付けた掌は血の味がした。舌で血を舐めとると、その小さな掌に星が爆ぜた様な傷跡ができているのが見て取れる。ああ、これだ。

天割れて、罅割れた狭間からワタクシのもとに堕ちてきた星。
憎らしきも愛おしい、それはワタクシが与えるべき疵だと理解した時、どれほどの多幸感に包まれたことか。妻は産まれて死ぬまで、正しくワタクシの為だけに用意されたものだった。

(はやく、堕ちて)
星はもう爆ぜている。

ワタクシは思い出だけで生きていけるから、はやく翡翠の彼方に彼女を届けて。

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